真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

きみは明治~大正期の外交官 堀口九萬一を知っていたか 「日進・春日の購入」で活躍

2008-11-06 | 読書-2008
『昏の詩人 堀口大學とその父のこと』
工藤美代子/著2001年

じつは週刊誌でこの本⇒『敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一』2008年柏倉康夫
が取り上げられていたのだが、まず入手できた工藤女史の長岡つながりの本を先に読んでみる。

以前、工藤女史の本は片っ端から読んでみたのだが、詩人に興味がないし、堀口大學にも興味ないし、ということでこれは読んでいなかった。
地味な本で、あまり売れなかったのでは?なんて余計なことも思ったりもするが、それはまた別の話。
堀口大學のことを調べていったら、父の九萬一がユニークで興味深く、そちらの記述がどんどん多くなってしまって半分お父さんの話になってしまった・・・、という趣旨の記述が著者のあとがきにあるが、うんうん、そんな感じ。

サンパウロ人文科学研究所ブラジル物故先駆者列伝 堀口九萬一

上記には触れられていないが、堀口父がブラジル在勤中に携ったプロジェクトで「坂の上の雲」にも現場での詳細が詳しくは書かれていないというのが「日進・春日の購入」なのだそうだ。公使の交代の間、臨時代理公使を務めていた堀口の素早く鮮やかな対応により、「イタリアの造船所で完成間近なのだが、発注者はもう不要になった」新造軍艦の入手に成功。

アルゼンチン海軍の帆走練習艦が来た時に見学した人のページ
このずうーっと下に「日進・春日の購入」という記述がある。

外務省 外交史料 Q&A 明治期 1900年代~1912年(明治33年~45年頃)
Question:日露戦争直前の1903年(明治36年)12月に、日本はアルゼンチンから軍艦2隻を購入したそうですが、その記録は残っていますか。
~現場で奔走した堀口父の活躍には触れていないね。
堀口の適切な判断と行動力、人間的魅力があって(アルゼンチンと早期合意に至り)ロシアとの軍艦争奪戦に勝てたといってよいのだろう。
当時は、吹けば飛ぶような小国で、下手をすると(というか、すべてがよほどうまく運ばないと)大国にひねりつぶされてしまうというのが日本の立場だよね。
サムライ世代。

wiki 堀口九萬一

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 老カメラマン鎮魂の旅 (新... | トップ | きみはディッキー・チャペル... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書-2008」カテゴリの最新記事