夫の闘病記はこれで終わりになる……かな?
3行日記から抜粋と記憶からの記
今季も介護ベットから見てたワビスケが咲いた~
2019年11/1 (金) がんセンターに通院
悪化していた。
「いつでも入院できる」と主治医に云われショック!!
同病の兄の家に寄り愚痴を聞いてもらう。
11/2 (土) 朝・・・じゃがバター
昼・・・焼きおにぎり
夜・・・たこ焼きとビール
すべてが少量の食事、 夢で肉をたらふく食べていたと云う。
兄・息子・娘が来た。 入浴した。
11/3 (日) 便秘で苦しそう。 左足首下より浮腫みが出てきた。
朝・昼・夜の食事がストレスになると云う。
殆ど固形物は食べない…食べれない。
水分と栄養ドリンクだけは無理に飲ませた。
夜・・・ビール(小グラス半分) 入浴は無し
11/4 (月) 買い物に付いてきたが車から降りず待っていた。
痛みに耐えらず、我慢して飲まなかったモルヒネのオプソを服用
血痰が出た。
トイレ・着替え・洗顔・入浴は見守りしていればできる。
時々 妄想もあるが、まだ意識はしっかりしていた。
11/5(火) 訪問看護師に苦痛を訴える。
足の浮腫みは水分不足?と云われ、夫は納得する。
足湯に入れて貰う。
訪問看護師は30代の男性、緊急もすぐに駆け付けてくれ
訪問日でない時も様子を看に来てくれた。
帰り際にギリギリまでの在宅介護をお願いした。
夕方、兄の家に行く。同病になってから兄弟愛が親密になった。
11/6 (水) テレビ・新聞も見ない… 一日中ベット…
「痛い痛い」しか言わない。 オプソもかなり本数を服用してる。
朝はパジャマから普段着に着替えさせて
3度の食事も食卓に座って、栄養ドリングを飲ませた。
寝込まれたら終わりになると思った…
夫は辛かったと思う… 後悔してます…
11/7 (木) 鎮痛剤で眠っている時が多くなってきた。
妄想が頻繁に出てきた。
いきなり「珍しいじゃ~」と叫ぶ。
勤務していた時の仲間が来たと言う…
私が「お父さん、しっかりして!大丈夫?」と言うと
我に返り「おかしいなぁ~」と苦笑い。
昼・夜・・・少々 ビールだけは飲む
この日、私の母親に「電話して~」と言う
二人は大きな声でお互いの身体を気遣う会話していた。
88歳の母はこの数日後に娘婿が亡くなるとは思わなかったでしょう…
週花は葉牡丹 サラダにしたら美味しそう~^^
11/8(金) がんセンター通院日。
私はこの日も朝から店が予約客で忙しかった。
仕事に行く時、夫はソファーに座ってTVを見ていた。
午後から通院なので昼に閉店して自室に戻ると
夫は朝のままの状態で眠っている… 一歩も動いてなかった…
限界が近くなってきたようだったので
息子と3人でがんセンターに行く。
夫は主治医に痛みを訴えるが
「検査はショックを受けるのでしない。痛み止めを各種処方、
自宅酸素の手配、次の通院日は2週間後」で診察終了。
夫に息子は酸素の手続きをすると云い、先に私と診察室から出た。
息子が今の状態と今後の事を主治医に訊いた。
「無治療になっているので、いつどうなってもおかしくない。
余命は年末か年明け…
急変した時は必ず救急車で来ること。
延命処置はしない。入院はいつでもできる」
最後の通院になった…
センターの帰路、兄の家に行きたいと言うので寄る。
息子に車から降ろして貰うが歩けず、兄夫婦が駆け寄って来た。
この日が兄弟最後の会話になる…
夕方、自宅酸素の設置に業者が来た。
夫は「必要ない」と頑固に断っていたが、
主治医の手配だからと言い聞かせる。
業者の方の身の上話を聞くと夫は涙を流しながら「偉いな~」
(育児放棄された障害のある子供を引き取り育ててる)
そこまで泣く?と私は思った…
11/9 (土) 朝食、一切れのパンが飲み込めずに苦しがる。
無理に食べさせるのはやめようと思った。
喉がゴロゴロなるのが気になる…
SpO2値は酸素をしてるからか安定してるようだった。
私はこの日も店が忙しくて仕事~
(夫の具合が悪くなると繁盛する?)
日中は息子、娘一家が来ていた。
後で聞いた話だと、、、、
夫は自分の財布から
一番小さな孫、3歳のayanoに小遣いをあげたらしい。
そして、娘婿に
「〇〇君は一番年長だから、これから頼むよ」と云ってた。
着脱を手伝ってお風呂に入れた。トイレも自力で行けた。
夫婦の会話は普通だった。
11/10 (日) 生前 最後の日
日に日に状態が悪くなっているのがわかる…
もう朝の着替えも洗顔もできそうにない。ベットで眠っている。
明日、入院させる準備をした。
私は仕事があったので、息子と娘に朝から来てもらう。
(余命は年末と聞いていたので、まだ仕事ができると思っていた)
夫は薬のせいか寝てばかりいたそうだ。妄想もあった。
朝も昼も食べない。ベットで水分だけは取らせる。
大量の薬を飲み込むのも一苦労…
11月になってからは食事は殆ど食べれなくなっていた。
それでも、夕食の時に「ビール飲む?」と聞いてみる。
「飲もうかな」と返事!
ヨロヨロと食卓に座る。TVは好きな相撲が観えた。
相撲で負けた力士に「ダメだぁ~」とタメ口を吐きながら
135ml缶のアサヒスーパードライを飲んだ!
18:00 ベットに横になった。娘と息子は一旦帰宅した。
20:30 「おかあさん~薬の時間だよ」と私を呼ぶ。
21:00の薬の時間を忘れてなかった…
21:00 薬を飲む時に時に息子が来てくれた。
1錠の薬が飲み込めず、首を上下に振りながらやっと飲んだ。
睡眠前のトイレに息子が寄り添うと
夫は「一人で行ける」と断り、おぼつか無い足取りだが
何とか用を足してベットに戻る。
そして、生前最後の水分補給は
大好きなコカ・コーラドクターペッパーをストローで飲んで
私と息子に「ありがとう」と言い寝た。
息子が帰った後に夫が「ドライブスルーに行って来た」と言う。
私が「どこのドライブスルー?マクドナルド?」聞くと
考えながら「どこだったかな… 明日教えるよ」と言い目を閉じた。
夫の様子は変わりないようだったので
私も23:00頃に入眠剤を服用して寝た。
喉のゴロゴロが昨日より一層大きく聞こえた…
[命日ブログからの追加記]
昨年11/11(月)の回想…
午前2時になぜか?目が覚めたので夫の様子を見ると
異変が起きていた。
息子を呼んで救急車でがんセンターに向かう。
3時に到着。
8時20分に逝ってしまった…
親子4人だけの5時間、意識はなかったが
身体を摩られ、声を掛けられながら
幸せな最期だったと思いたい。