ネガティブとされるもの、ありますよね。
不安や怒りや悲しみといった感情や、それに付随する言葉など…
スピリチュアルな世界に興味を抱いた初期の頃は、ネガティブなことを思ったり化学調味料の類や肉類を食べると波動が落ちるとかいう話を聞いて
それは避けなきゃなんて守っていたりするのも楽しかったもんです。なんかアトラクション的な楽しさでした。
それが過ぎると、選民意識みたいなのが芽生えたり、ギスギスしたスピな人が仕上がるんでしょうけど、わたしは残念ながらそこまで極める気にもならず、今に至ります。
ネガティブな自分を浄化せねばと躍起になっても、ふとした拍子にあっという間に顔を出すのがネガティブちゃんでして、
最近なんて、もう、「ああ、わたしはもともとが根暗でネガティブな素質たっぷり人間だったなあ」なんて、孫の顔を見るが如く、目尻が下がりっぱなしな感じになりました。
ネガティブちゃん、かなり可愛いです。
怒るにしても、そんなはずないとか言い聞かせながら怒ったり
許せないと思いつつ悪気がなかったのよと言い聞かせながら無理くり許してみたり
めっっちゃくちゃ悲しいのに、これにも意味があるなんて思いながら小綺麗に悲しんだりしたら
ザ・不完全燃焼のまま燻るわけですよね、生粋ネガティブちゃんがスッキリ昇華できずに。
燻り続ける火を消さなきゃ消さなきゃとあれこれやるのもエネルギーがいるものでして、
もう、そういうのもいいかなあなんて思っています。
許せなくたって、怒りの沸点低くたって、それがわたしの性分で、いまがそうなんだから仕方ないなあって。
楽です。とっても。
そのうち、そんな自分も変わるかもしれないけど、変わらなくても、大切な人たちや、自分を傷つけないような手段をその場その場で講じていけばいいんだろうなあって、思っています。
スピリチュアルな技法も楽しいですが、自分や他人とのコミュニケーション術の使い手になるのは、自分を大切にするかなりの近道になるんではないでしょうか。
SARA