世の中は「改元だ!」、「令和だ!」、「新しい時代だ!」なんて大騒ぎをしているが、私にとっては「今日は昨日の続き」でしかないし、新しい何かが起こっているわけでもない。 いつもどおり昔のこと、過去のことを思っているだけである。 そんななかで思い出すのが「御大典記念」だ。天皇が替わったあとに行われる様々な儀式を御大典というらしいのだが、それを記念した建造物が横浜に残っている。もちろん今回のものではなく、大正から昭和に改元された時のもので、いつも気になっているのが磯子区の八幡橋八幡神社にあるアレ。 こんもりとした林の中に佇む八幡神社の境内にそれはある。 ゴツゴツした岩のような石で高く掲げられた巨大な鉄球。これが何なのかはいまだに不明であるが、、、 その真ん中に「御大典記念」と書かれたプレートが貼りついている。有吉忠一市長の名が刻まれているので、おそらく昭和5年のものであろう。 それにしても、御大典記念として、なぜ、こんなワケのわからない鉄球を祀ったのだろうか…… 八幡橋際の公衆便所。これもかなり古いと思われるが、御大典記念とは関係ない。 さて、こちらは中区にある元町公園。その入り口にこんな石碑が建っている。 昭和5年に建立された元町プールと公園の由来を示す文が、有吉市長の言葉として記されているが、その中に御大典という文字が見える。 【本文】 此の地夙に水屋敷の稱あり清泉滾湧盡きさるを以て飲料竝舩舶給水用たりしこと久し曩年永代借地と志て佛人の手に歸したり志を震災後復興促進の爲横濱市は之を市有となしその利用を計畫中なりしか偶々横濱市青年聨合團か御大典記念事業として水泳塲設立の議を樹つるに會せこゝに於て市はその希望を容せ醵出金をも併せ用ひて之を建設し以て臨港都市青年の體育に資し且更に附近一帯に公園施設をなし之か美化に力◇た◇今功成るを告け幽遽景勝の境満々たる水を湛え永く市民の體育竝情操の涵養に供せらるゝを歡ひ茲に由来を刻して之を後葉に傳ふ 昭和五年九月 横濱市長 有吉忠一誌 【簡単に言うと】 このあたりは以前から水屋敷と言われてきた。 清らかな湧水が出ることから飲料水や船舶給水に試用してきた。 永いことフランス人の永代借地であったが、関東大震災後、復興のため横浜市はこれを市有地とした。 そしてここの利用計画を検討しているとき、たまたま横浜市青年連合団が御大典記念事業としてプールを建設しようとしていたので、それに合わせて横浜市はその希望を容れて建設した。 これによって青年の体育に資し、かつ付近一帯を公園として美しく整備した。 昭和3年頃には、震災復興でいろいろな建造物が造られた、その2年後あたりに御大典を記念するものが建設されている。 これを平成になぞらえると、この間に東日本大震災があったが、いまようやく復興のための構造物ができ始めている(原発跡は問題がであるが)。そして改元が行われた。数年後には御大典記念で何かが造られるのだろうか…… ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
八幡神社の鉄玉、気になったので
ずいぶん前に神社の人に聞いたんですよ。
そしたら神社の人、解らないと言ってました(笑)
謎です!!
神社の方も知らないそうです。
何なんでしょうね、あれ。