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先週の水曜日は、信州から出てきた作治さんと「一楽」にてランチを食べることになった。 長野県出身の彼は長いこと横浜市内で働いてきたのだが、定年になる少し前、故郷にログハウスを建設。退職後は横浜と長野を行ったり来たりするという、悠々自適の生活を送っておられる。(羨ましいねぇ…) 向こうでは広大な敷地で野菜類を栽培したり、自家製のビールやワインも醸造している。なんという豊かな時間の過ごし方なのか。 そんな作治さんとランチを食べるとなると、そこには当然のことながらビールも登場する。 私はこのあと仕事がらみの作業があったのだが、少しばかりお付き合いをさせていただくことに。 ![]() ハマグリのスープ! 実に美味しい♪ ![]() ピンボケになってしまったが、女将さんがつくったお惣菜。 作り方を聞いたが忘れてしまった…… ![]() 週替わりメニューから「鶏もも肉とたっぷりニンニクの辛味煮込み」。 ビールによく合うオカズだな。ニンニクがピッタリ♪ ![]() 日替わりランチ「ナスの四川風辛味炒め」。 これはご飯によく合うオカズ。 ナスとピーマンといったら、私が作るのはいつも味噌炒めになってしまうが、こういうのを作ってみたいね。 ![]() 食後のデザートとサービスのコーヒー。 ところで、信州と横浜の関係で何があるのかといえば、なにも作治さんだけではない。 横浜で建築に携わっていた人が佐久市に移住し、昨年、こんな会を立ち上げている。「信州横濱倶楽部」だ。 そしてさらに、こんな活動もある。 横浜市から佐久市に移住した人から、上のような活動が始まってきているのだが、開港当時は逆に、長野から横浜に移住してきた人によって横浜の都市基盤が造られていったという歴史もある。 平成20年5月1日付け読売新聞にこんな記事が出ていた。執筆しているのは開港資料館の調査員・西川さんだ。 ≪以下、その記事から≫ 2003年11月13日、本牧臨海公園内に、横浜商工会議所と小野忠秋氏によって、小野光景別邸跡記念碑が建立された。小野光景は1845年(弘化2年)、現在の長野県辰野町小野に生まれ、若くして開港直後の横浜に移住。横浜町の役人をつとめた父、光賢とともに、草創期の横浜町政の確立に尽力した人物として知られている。 小野が、横浜正金銀行の取締役になったのは1879年(明治12年)で、翌年には横浜商法会議所(現在の横浜商工会議所)を起こして副頭取になり、横浜財界の有力者の一人となった。 また、横浜倉庫会社を発起して社長に就任、82年に横浜商法学校(現在の横浜市立横浜商業高等学校)を創立した。翌83年には、生糸売込商(貿易商)小野商店を開業。横浜を代表する五大売込商の一つと呼ばれた。 (中略) 1902年には、横浜鉄道会社(現在のJR横浜線)の創立発起人に名を連ねている。小野が記念碑のある場所に別荘を建てたのは、明治時代中期以降のことで、1919年(大正8年)に亡くなるまで、頻繁に利用したと伝えられる。 (中略) 横浜を訪れる外国使節や政府の要人を招待することもあり、華やかな外交や政治の舞台でもあった。また、一部は市民にも公開され、人々は別荘地を小野公園と呼び、親しんだという。 現在は、横浜市が管理する公園などになっているが、かつてこの地が、横浜を代表する貿易商で、横はなお都市基盤の整備に邁進した小野の別荘であったことを知る人は少ない。 ≪以上≫ その場所は、ここだ。 たしかに原三溪と比べると、横浜市民の間では知名度がそれほど高くない。 もう少し、どこかで、何かできないものかなと思う。 ![]() |
ナスダケ?いや豚肉もしっかりでした。
ご飯に抜群にあいましたね。
久しぶりにランチを堪能したいです。
鶏もも肉も、茄子も、美味しそうだなぁ。
ナスの四川風辛味炒め、良かったですね。
ビールを呑みながらでも、ご飯がすすみました。
味付けがちょっと違っていたような・・・
胡麻油と何かだったかなぁ。
激辛麻辣麺をやっつけてください。
思いっきり辛くしてね。
氏に限らず横浜の歴史、発展に貢献された方で自分を含
め市民に認知の度合いが高くない人々に光を当てて差し
上げられる手段は無いものでしょうか?
こういうを自分でも作れるといいのですが…
油通ししなければいけないのがきついです。
地元の本牧あたりでは有名なのですが、
少し離れると知らない人が多いような…
原三溪に隠れちゃっているんですねぇ。