中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

内川橋と六浦橋@金沢八景

2018年04月04日 | レトロ探偵団

 仕事がらみで金沢八景周辺を歩いている時のこと。2つの橋のデザインが同じであることに気がついた。
 同じ意匠なのに一つは真新しく、もう一方はかなり古い。

 その新しい方が冒頭の写真。内川橋である。


 場所的にはここ。侍従川に架かっている。




 古い方は六浦橋という。これがその橋の親柱だ。
 どうです、新しい内川橋と古い六浦橋の親柱はデザインがそっくり!

 内川橋は最近、親柱がリニューアルされたようだ。昔のこの辺のことを私は知らないので何とも言えないが、おそらく昔のデザインをそのままにして造り替えたのだろう。

 分からないのは、六浦橋の方である。
 なんで、こんなに寸詰まりなのか? いや、寸が短いのではない、なぜか親柱の下部が地下に埋まっている。


 建設年月日を記したプレートが、途中から下は地中に隠れて見えない。
 文字も崩してあるため、私のような者には判読できないが、「大正拾*年拾**」と読める。
 大正の十年代というのは11年から15年まである。この下一桁が重要な数字だ。
 なぜなら、大正12年9月に関東大震災が発生し、多くの橋梁が落下しているからね。

 震災前の架橋なら落橋せずに残ったのだろう。そうすると、親柱はその時に沈下して、現在もそのままになっているのか…
 あるいは震災後に建設された復興橋なのか? そんな気もするが、親柱が沈んでいるのはどういうわけだろうか。
 道路を嵩上げしているのか?

 なんだか気になって、眠れなくなってしまった。


 六浦橋の位置はここ。
 


 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
金沢区の年表では (メタ坊)
2018-04-05 22:31:08
大正15年10月に、
六浦橋と内川橋が完成とあります。
六浦は首都圏有数の塩田だったらしく、
今昔マップを見ると、
震災後に埋め立てられて、
今の国道16号線のルートをとり、
架橋されたので姉妹橋として、
同じ意匠になったのではないでしょうか?
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Unknown (管理人)
2018-04-07 11:34:46
>メタ坊さん
文字を崩して書いてありますが、
大正十五年なんですね。
震災前の地図を見ると、塩田らしきものが描かれています。
今昔マップだと震災後の地図が出てこないため、
様子が分かりませんが、
このとき新しく道路を造ったのでしょうかね。
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Unknown (Ca)
2018-04-08 19:14:49
八景にいらしてたんですね。
こちらに昭和11年の六浦橋が載っていました。スケッチですが。
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/02kuban/2016/pdf/1609.pdf
返信する
ありがとうございます (管理人)
2018-04-09 09:17:59
>Caさん
親柱の上に設置された照明灯は、
やはり内川橋と同じデザインですね。
現在、六浦橋の欄干は昔のモノが消えてしまったようです。
親柱の下部が見えないという謎は残ったままですね。
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