中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

米軍のオスプレイがノースピアにやって来た

2018年04月09日 | レトロ探偵団

 米軍のオスプレイを運ぶ輸送艦が4月3日、横浜港の瑞穂ふ頭(ノースピア)に着岸し、同機をノースドックに陸揚げした。

 このことは新聞やテレビなどで取りあげられていたので、多くの市民がそのニュースをご覧になっていると思う。
 ところで、ノースドックと言われても、どこにあるのかご存じない方もいらっしゃるのではないだろうか。
 これはノースピアの中にある米軍の艦船用バース、野積み場で、物資の搬出入業務を行っているところだ。
 見に行ってみたいという方には、京浜急行「仲木戸駅」か京浜東北線「東神奈川駅」から海側に向かって歩いて行くアプローチがお勧め。国道を渡るとすぐに村雨橋が現れる。そこからさらに千鳥橋、瑞穂橋を渡るとノースドックの入口である。ここまで15分くらいかな。


 ここにオスプレイ5機を陸揚げし、その後、横田基地に向けて飛び立ったのである。
 機体を離陸させるのはヘリコプターのように垂直に上昇するか、あるいはごく短い滑走で跳び上がるかなので、飛行場のような施設でなくとも発着できてしまう。だから、こんな狭いノースドックからでも離陸できたのだ。

 しかし、ここは米軍の物資の搬出入や軍人・軍属等の移動に伴う貨物輸送業務を行う場所である。こんな所から基地と同じように軍用機が発着していいのだろうか。

 そんなことを考えていたら、40年ほど前の戦車阻止闘争を思い出した。
 当時はベトナム戦争末期の頃だったが、米軍は相模補給廠にあるM48戦車を、ここノースピアからベトナムに輸送する計画を立てていた。
 そのときの市長は社会党出身の飛鳥田さんだった。そこでこの計画を阻止するため、戦車を通行させないという手を打った。
 あんな重たい戦車が村雨橋を渡るとなると、橋が落ちる可能性もある。

 そこで市長は車両制限令をもとに戦車の通行を禁止した。市役所職員、労働組合、平和団体、学生、一般市民など多くの人々がこれに賛同し、村雨橋までやって来た戦車を取り囲み、いったんは米軍を撤退させたのである。

 そのときの新聞記事を載せておこう。


 8月6日 神奈川新聞朝刊
 この紙面を飾った見出しを並べてみよう。

横浜市介入で重大局面
 米軍戦車搬出の実力阻止続く 横浜港・ノースピア
 重量超過をつく
 道路法違反をたてに
 迫られる 安保の優先か国内法重視か
 座り込み5台ストップ
 さらに強い態度も
 米軍と市の折衝物別れ
 頭かかえる外務省
 米大使館と折衝 解決策みつからず


 こんな見出しの合間に、次のような小さな記事も掲載されている。

 都有地の返還を要求
 横田基地で都が更新拒否

 東京都は五日、東京防衛施設局に対し米空軍横田基地内の都有地約3万4千㎡の使用更新の許可を拒否するとともに、同都有地の返還を求めた。
 このときの知事は美濃部亮吉さんだった。


 8月6日 神奈川新聞朝刊

 8月5日午前1時、深夜の国道を地響きたてて進行してきたM48戦車積載の大型トレーラー5台がノースピア入口の村雨橋手前でピタリと止まった。
 宣伝カーのスピーカーから「重量制限違反だ」と英語がポンポン飛び出し、米兵があわてて車のトビラをロックした。
 午前4時。戦車の不気味な全容が眼にハッキリ飛び込んでくる。105ミリ砲が夜明けの空にピタリと狙いを定めているかのようだ。

 午前11時20分。横浜市道路局の黄色いパトカーが先導車の前に横づけされ、搬入絶対阻止の構えを示した。

 午後1時45分。飛鳥田市長が駆けつけた。「米軍は国内法に違反している。市は道路管理者として絶対に米軍の通行を認めない」とぶち上げる。

 午後3時。米軍のピッチフォード大佐がヘリコプターで急遽ノースピアへ。横浜市の道路局建設部長らとヒザ詰め談判に入った。「通せ」と主張する米軍、「通さぬ」と突っぱねる横浜市。

 午後4時。ピケ隊と戦車隊の戦いはすっかり膠着状態。

 突然、青ヘルメットの学生たちがピケ隊に襲いかかった。新左翼系の全学連と共産党系の労働組合との間で内紛が起きたのだった。

 午後7時。戦車隊は一向に引き揚げる気配がない。そこに青ヘルの一団が現れ、戦車の周りをジグザグデモ。
 
 午後11時。葉山市長が激励に訪れる。

 

 8月7日 神奈川新聞朝刊

 8月5日午前1時以来、ノースピア入口の国道15号沿いに立ち往生していたベトナム向けの米軍M48戦車を積んだ大型トレーラー5台は、6日夜11時45分、横浜市や社共両党、労組員らの強硬な実力阻止にあって46時間ぶりに相模補給廠へ引き返した。



 8月7日 神奈川新聞朝刊

 米軍といえども、道路法、車両制限令を破ってでも村雨橋を突破することはできなかった。



 10月25日 神奈川新聞朝刊

 米軍戦闘車両の搬送問題を巡る日米合同委員会が10月24日に開催され、相模補給廠~ノースピアのルートで装甲車のトレーラーによる搬送を無条件許可。また重量制限(20トン)を超える自走高射砲については①午後10時以降、翌朝6時までの夜間通行に限る②ノースピア入口の千鳥橋の通行は1回1台限りの2条件をつけて搬送に合意した。
 この日の委員会では懸案のM48重戦車は課題にならず、外務省は村雨橋、千鳥橋の通行が技術的に可能かどうかの詰めが終わってから、改めて委員会に提出されるとのことだった。

 ということで、10月24日午後10時40分、米軍の戦闘車両(M48戦車を含まない)搬送が再開されたのである。


 10月25日 神奈川新聞朝刊

 国道から村雨橋にかけて座り込んでいた労組員を機動隊がごぼう抜きにするが、圧倒的な座り込み隊の抵抗に遭って大混乱となった。
 25日午前零時すぎ、放水車が出動。
 午前零時15分。体勢を整えた機動隊は阻止隊一人に対し数人がかりで排除し、10分後には戦闘車両の通行が始まった。



 11月9日 神奈川新聞朝刊

 そして11月6日から7日にかけて米軍の依頼により某建設会社が村雨橋と千鳥橋の補強工事を行い、9日午前零時50分、M48戦車は両橋を突破。
 工事の際、横浜市の占用許可を受けず、勝手に橋を補強して戦車を搬送したのである。


 今回、テレビでオスプレイ問題を観ていて思い出した次第。その後、河野外務大臣がこんな隠蔽をしていたことも明るみになって、暗澹たる気持ちになった。


 

←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね






コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 内川橋と六浦橋@金沢八景 | トップ | 最近の横浜中華街から 2018... »

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
歳月はなにを……。 (冬桃)
2018-04-09 17:15:00
臨場感溢れるブログをありがとうございました。
40年近い年月で、横浜は、日本は、なにが
変わったのでしょう。
しっかり考えなければ、とつくづく思います。
返信する
Unknown (管理人)
2018-04-11 06:47:42
>冬桃さん
あの日、私は現場にいました。
騒然とした雰囲気で、なにか高揚感があり、
ワクワクしたのを覚えています。
あれから40年以上経ちましたが、
もっとひどくなっていると思います。
あの頃の大学生・高校生はよく考えていたのですが…
返信する
戦車について ()
2019-09-23 20:41:59
このころの話を父から聞きこのサイトにたどり着きました。

父は当時のノースピアで荷役をしていたそうです。
ピケ張りや戦車等の荷役について話聞きました。当時ピケ張りの緊迫がすさまじく空気がピりついていそうですね。

気になる点があり、ご存じであれば教えていただければ幸いなんですが、当時ノースピアで貨物船に戦車を乗せる際、クレーン作業中に戦車を海に水没したことがあったそうです・・・汗

この後、引き上げられたかどうかご存じないでしょうか。
返信する
Unknown (管理人)
2019-09-24 11:28:52
>山さん
辿り着いていただき、ありがとうございます。
当時の記憶を辿っても、戦車が海に落ちたということは聞いたことがありません。
申し訳ないです。
返信する
Unknown ()
2019-09-25 07:40:50
ありがとうございます。
内密に処理されたんですかね笑
勉強になりました。
返信する
Unknown (管理人)
2019-09-25 10:41:59
>山さん
お役に立てずすみません。
返信する
市に入った時でした (サシダフミオ)
2023-05-25 19:18:05
横浜市役所にやっと入った時だったので、関心はありませんでした。

私は、ノースピアの恒久化について、単純に反対するのには感心しません。

かつて横浜市は、新興ふ頭等を接収されていることの代償として山下ふ頭を国に作らせました。
だから、今回も国に何かさせると良いと思うのです、私は。
返信する

コメントを投稿

レトロ探偵団」カテゴリの最新記事