買い物をして市内循環バス乗り場にきてみるとその広告の入ったベンチが3脚4・5日、近鉄奈良駅にいっていなくて今日久しぶりに近鉄奈良駅にでた。夕方、取り除かれて市内循環バス停よりはるかに遠いところにベンチがいくつかあった。
自転車でバス乗り場のところを走る方が悪い。バスをのるために並んでバスを乗る順番を待っている。こんなところ自転車の通行が悪いと苦情があるらしいがこんなところ自転車で走る方がおかしい。
目の悪い人のための歩道にもなっている。
身体障害者のれきっとした歩道である。
ここのところ自転車を乗って走るほうほうがおかしい。
そしてベンチがなくて皆立って待っておられた。
私は少々バス乗り場より遠くても買い物の荷物が重くて遠いところのベンチに座りにいった。
ベンチがなくて時刻案内の看板のしたに腰かけている人もいた。
そして私の座っているベンチに腰をかけにこられた70歳くらいの高齢者の婦人が私に言った。
強烈な言葉だった。
「せっしょうですわ。高齢者いじめですわ。椅子がなくなっている。なんでどけなあかんの。高齢者がバスをただ乗りしているからいうて椅子をどけられたんですわ」と話した。
私は「広告のベンチで壊れているのもあるので危険だからとりのぞいて間伐材で作った椅子を置くらしいです」と話すと「そんな椅子、どこにもおいないやんか」と話される。
そこで私もムラムラと腹が立ってきた。
間伐材を利用した木のベンチを置くのだったら間伐材の椅子を置くときに撤去したらいいのに3脚そっくり、それも市内循環バス停の前の物を持っていかれる」と文句を言いながらもふと気になることがあった。
ここの場所の椅子は座りやすいのかホームレスに近い生活をした人が以前3人座っていた。1人はずっと同じところに朝も昼も夜もそこにいた。2人はときどき現れていた。
そして常時居座っていた1人の女の人がいつのまにかいなくなって1年が過ぎようとしている。1人の男性は見かけなくなった。1人の男性はときどき見かける。
常時いた人はいなくなった。
そうあわててベンチを取り除くことはないのに---。
「事情があるにしてもこれはちょっといきすぎやわ。年寄りのいじめですわ」と話していた高齢者の夫人、私も高齢に片足を突っ込んでいるがベンチ3脚がなくなっているのはこれはちょっときつい。買い物をして重い荷物をもっているものはベンチで座ってまちたい。
どうりで今日は高齢者の人もたって並んでおられた。
バスはそうそうすぐこない。
いつも夕方は大仏殿あたりから交通渋滞である。
時間通りまともに来たことがない。
奈良県のバス会社は1社だけである。競争社会ではないので市民の気持ちをどこまで汲んでおられるのだろうか。
経営者側にたっているのか。もちろん利益を生まないと企業は成り立たないがどうもバス会社の真意がわからない。
バスに乗ると何段にも段差になった座席、車内は少し傾いているのでこけそうになる。
通路の狭いバスもあって買い物袋をもっていると歩きにくい。
電車の座席のような横座りに座れない乗客もいる。私は横座りが酔うのでめったに座らない。車椅子の乗客のために横座りにしてあるがなんと他に工夫がないのだろうか。
市民の足である。待合のための椅子も町の憩いである。
もちろん学生が座って飲食をしてゴミだらけにしているのもよくないがバスをまつひと時、ここでバスの待っている間ほんのいっとき、座って生き抜きをしている。
男性職員の頭の会合で物事は決められるのか心のこもった対応がされていない。
もし椅子を取り除くときの会合で女性がいればもっときめ細やかな意見もでたと思っている。
なんでも結果が出ればよいのかもしれないが市民の足から少しずつ遠ざかっている。奈良市内循環バスは市民のための利用の足なのに市民の声がもぬけの殻になっている。
自転車でバス乗り場のところを走る方が悪い。バスをのるために並んでバスを乗る順番を待っている。こんなところ自転車の通行が悪いと苦情があるらしいがこんなところ自転車で走る方がおかしい。
目の悪い人のための歩道にもなっている。
身体障害者のれきっとした歩道である。
ここのところ自転車を乗って走るほうほうがおかしい。
そしてベンチがなくて皆立って待っておられた。
私は少々バス乗り場より遠くても買い物の荷物が重くて遠いところのベンチに座りにいった。
ベンチがなくて時刻案内の看板のしたに腰かけている人もいた。
そして私の座っているベンチに腰をかけにこられた70歳くらいの高齢者の婦人が私に言った。
強烈な言葉だった。
「せっしょうですわ。高齢者いじめですわ。椅子がなくなっている。なんでどけなあかんの。高齢者がバスをただ乗りしているからいうて椅子をどけられたんですわ」と話した。
私は「広告のベンチで壊れているのもあるので危険だからとりのぞいて間伐材で作った椅子を置くらしいです」と話すと「そんな椅子、どこにもおいないやんか」と話される。
そこで私もムラムラと腹が立ってきた。
間伐材を利用した木のベンチを置くのだったら間伐材の椅子を置くときに撤去したらいいのに3脚そっくり、それも市内循環バス停の前の物を持っていかれる」と文句を言いながらもふと気になることがあった。
ここの場所の椅子は座りやすいのかホームレスに近い生活をした人が以前3人座っていた。1人はずっと同じところに朝も昼も夜もそこにいた。2人はときどき現れていた。
そして常時居座っていた1人の女の人がいつのまにかいなくなって1年が過ぎようとしている。1人の男性は見かけなくなった。1人の男性はときどき見かける。
常時いた人はいなくなった。
そうあわててベンチを取り除くことはないのに---。
「事情があるにしてもこれはちょっといきすぎやわ。年寄りのいじめですわ」と話していた高齢者の夫人、私も高齢に片足を突っ込んでいるがベンチ3脚がなくなっているのはこれはちょっときつい。買い物をして重い荷物をもっているものはベンチで座ってまちたい。
どうりで今日は高齢者の人もたって並んでおられた。
バスはそうそうすぐこない。
いつも夕方は大仏殿あたりから交通渋滞である。
時間通りまともに来たことがない。
奈良県のバス会社は1社だけである。競争社会ではないので市民の気持ちをどこまで汲んでおられるのだろうか。
経営者側にたっているのか。もちろん利益を生まないと企業は成り立たないがどうもバス会社の真意がわからない。
バスに乗ると何段にも段差になった座席、車内は少し傾いているのでこけそうになる。
通路の狭いバスもあって買い物袋をもっていると歩きにくい。
電車の座席のような横座りに座れない乗客もいる。私は横座りが酔うのでめったに座らない。車椅子の乗客のために横座りにしてあるがなんと他に工夫がないのだろうか。
市民の足である。待合のための椅子も町の憩いである。
もちろん学生が座って飲食をしてゴミだらけにしているのもよくないがバスをまつひと時、ここでバスの待っている間ほんのいっとき、座って生き抜きをしている。
男性職員の頭の会合で物事は決められるのか心のこもった対応がされていない。
もし椅子を取り除くときの会合で女性がいればもっときめ細やかな意見もでたと思っている。
なんでも結果が出ればよいのかもしれないが市民の足から少しずつ遠ざかっている。奈良市内循環バスは市民のための利用の足なのに市民の声がもぬけの殻になっている。
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