豊臣秀吉の朝鮮侵略、その後、当時の朝鮮の国政は朝鮮通信史で対馬にくるが豊臣秀吉に連れられてきた人の奪還だった。個別に面談をして儒学者は連れて帰り陶工者は生活基盤もあって日本に残った。
こうして両国の戦後処理をきちんとしたと話された。
それが今日にもつながっている。日本植民地時代のことが今に繋がるとわかりやすく話された。
他にもいろいろ話され分かりやすい韓国と日本の関係を話した。
この後だ。
感動した。
金智石さんが指導するミュージカル、大方在日同胞子弟が所属している。
同舞台は「本名と通名」の間を生きる高校生の精神の葛藤を題材にしたものだが20歳前後の高校生や大学生、または社会人が演じる演技はすこぶる上手かった、
日ごろの練習の成果が伺えた。
日本全国に韓国・朝鮮にルーツをもつ在日同胞子弟が何万人というほとんどが日本の公立学校で教育を受けている。ほとんど通名を名のっているが自分の名前に本名のあることも知っていく。
このテーマを分かりやすく脚本をしたのは金智石さん。在日韓国人2世だが在日同胞が日ごろ日本で暮す問題、課題、日本社会に訴えるものをとらえて脚本にしておられた。
公演が終わると会場の800人の観客の拍手はわれんばかりの熱い拍手だった。
学校教職員などの参加者が多かった。
観賞の後、教師たちは「この舞台はぜひ日本の学生に見せて考えるきっかけにしてほしい」という声が聞かれた。
舞台で演じる若者たち、今風の現代版の衣装、舞台はお金をかけないでされた舞台演出、見事なできばえだった。金智石さんの感性に私は心の中で「すごい。すごい」と1人で心の中でつぶやいていた。金智石さんはまだ40代、1970年前後のバブルに青春を送り韓国の感性も身に付けられた。在日同胞の大事な文化的資産である。
NHKテレビで放映された「聖徳大使」「大化の改新」に寄与され「平城宮跡」で撮影されたという。私が結婚して15年住んだ佐紀町から目と鼻の先立った。
当時はまだ朱雀門も復元されていなかった。
野原ばかりの平地だったが子どもたちはここでよく遊んだ。
そんなことも講演の中で思い出していた。
在日同胞子弟の演技、こんなにたくさんたくさん素晴らしい感性をもっている。将来、おそらく日本で暮して行くだろう。自信をもって自分を大切にして生きていってほしいと取材を兼ねて見ていた私は心の中で願っていた。
こうして両国の戦後処理をきちんとしたと話された。
それが今日にもつながっている。日本植民地時代のことが今に繋がるとわかりやすく話された。
他にもいろいろ話され分かりやすい韓国と日本の関係を話した。
この後だ。
感動した。
金智石さんが指導するミュージカル、大方在日同胞子弟が所属している。
同舞台は「本名と通名」の間を生きる高校生の精神の葛藤を題材にしたものだが20歳前後の高校生や大学生、または社会人が演じる演技はすこぶる上手かった、
日ごろの練習の成果が伺えた。
日本全国に韓国・朝鮮にルーツをもつ在日同胞子弟が何万人というほとんどが日本の公立学校で教育を受けている。ほとんど通名を名のっているが自分の名前に本名のあることも知っていく。
このテーマを分かりやすく脚本をしたのは金智石さん。在日韓国人2世だが在日同胞が日ごろ日本で暮す問題、課題、日本社会に訴えるものをとらえて脚本にしておられた。
公演が終わると会場の800人の観客の拍手はわれんばかりの熱い拍手だった。
学校教職員などの参加者が多かった。
観賞の後、教師たちは「この舞台はぜひ日本の学生に見せて考えるきっかけにしてほしい」という声が聞かれた。
舞台で演じる若者たち、今風の現代版の衣装、舞台はお金をかけないでされた舞台演出、見事なできばえだった。金智石さんの感性に私は心の中で「すごい。すごい」と1人で心の中でつぶやいていた。金智石さんはまだ40代、1970年前後のバブルに青春を送り韓国の感性も身に付けられた。在日同胞の大事な文化的資産である。
NHKテレビで放映された「聖徳大使」「大化の改新」に寄与され「平城宮跡」で撮影されたという。私が結婚して15年住んだ佐紀町から目と鼻の先立った。
当時はまだ朱雀門も復元されていなかった。
野原ばかりの平地だったが子どもたちはここでよく遊んだ。
そんなことも講演の中で思い出していた。
在日同胞子弟の演技、こんなにたくさんたくさん素晴らしい感性をもっている。将来、おそらく日本で暮して行くだろう。自信をもって自分を大切にして生きていってほしいと取材を兼ねて見ていた私は心の中で願っていた。
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