昨日は1日、雨の中での取材だった。
長尾にある「史跡―伝王仁墓」が現場、2006年3月百済門が完成した。
韓国から木材や石材を取り寄せて韓国の宮大工で約3ヶ月かかって建立された。
丹清(タンチョン)の色彩が施された。
色鮮やかな百済門、韓国の王仁博士が日本に漢字を伝えた。
韓国の全羅南道霊岩郡で生誕した王仁博士、日本に論語と千文字を伝えた。枚方市藤阪東町の王伝墓で眠っている。地域の人たちが荒れ果てた王仁墓にこれはいけないと考えて、清掃し公園にして人が見学できるようにしてこられた。
1986年から地域の人の活動は韓国との交流を進めて公園は韓国の花、無窮花を植樹して地域や日本社会そして韓国に大阪府枚方市(最寄り駅は学研都市線長尾)は史跡に指定して守ってきた。
百済門建立5周年の式典の現場取材で長尾にむかった。
知人が奈良から木津そして長尾に行く電車の時刻表を知らせてくれた。
遅れてはいけないと考えて早い目にでると1台早い電車に乗れた。
駅名の西木津、祝園に同級生の顔、顔が浮かんでくる。
今は学研都市線で車両も多い。だが昔は片町線、2両のジーゼルだったと思っている。ほとんど通学車両だった。
祝園駅は近鉄線の祝園駅と併設、今も併設している。
同志社大学前になるとそう同級生の顔は思い出さない。
長尾駅につくとまたここから通学していた男子高校生の顔が浮かんでくる。
しかし駅に降り立つとそんなこともすっかりと忘れて仕事の顔になっている。
雨の中、タクシーにのって王仁墓に行く。
2時について関係者に事前取材をして式典は2時半から始まって3時50分まで行われたが私は40分に出てトイレを済ませて45分に行きしなに乗ったタクシー会社に電話した。王仁墓といえばタクシーの運転手は知っていると思った。
いくら待っても来ない。2回電話する。
もう行くという。3回目をかけてもまだ電話でモタモタしている。
仕方なく歩いた。雨の中を歩いた。
歩いて5分ほどするとタクシー会社から電話が入った。
今、これから行きますということで所在地を教えた。
タクシーに乗るとワンメーターもない料金だが歩くと遠い。
タクシーの運転手、民族資料館に行かれたとのこと。
電話を取った女性には王仁塚といってあるのに----。
運転手は住所もいって下さいという。口ではそうですね。すみませんといいながら、そんなことぐらい知識の中で入れて下さいと思っていた。
長尾駅に着くと40分、木津行きは4時47分、急いで駅でトイレを済ませてホームに上がった。4・5分待つと電車が来た。
座席に座って落ち着いて自分の髪を触ると髪の毛も濡れている。
また雨の中の取材で5月22日の雨の現場で体調を崩したことを思い出していた。木津に着くと5時20分、23分が大阪行き大和路快速、急いでホームに行く。エスカレーターで2列に並んでいる高校生にイライラするが我慢した。
間に合った。乗れた。
奈良に着くと5時半、駅構内でビールの肴を1品とアンパンを買って市内循環バス乗場向かう。市内循環バスが遠くから走行してくるのが見えている。横断歩道の信号が赤に変わった。またここでイライラして待つこと、なんとか間に合って乗れた。
自宅に着くとシャワーを浴びて出ると急いで夕食の支度をした。
夜は8時ごろから9時半頃まで雨の中で取材した写真の保存をして原稿を作成した。とりあえず完成させてパソコンを閉めて後はぼんやりと11時までテレビを見ていた。
今朝、7時45分に起きて家事をして朝食をして9時前にパソコンの前に座って昨日、作成した原稿を見直した。見直しをして編集局に送って写真も12枚送信した。これで昨日の現場取材の仕事は片付けた。後はゲラの確認作業が残っている。これから休憩します。
長尾にある「史跡―伝王仁墓」が現場、2006年3月百済門が完成した。
韓国から木材や石材を取り寄せて韓国の宮大工で約3ヶ月かかって建立された。
丹清(タンチョン)の色彩が施された。
色鮮やかな百済門、韓国の王仁博士が日本に漢字を伝えた。
韓国の全羅南道霊岩郡で生誕した王仁博士、日本に論語と千文字を伝えた。枚方市藤阪東町の王伝墓で眠っている。地域の人たちが荒れ果てた王仁墓にこれはいけないと考えて、清掃し公園にして人が見学できるようにしてこられた。
1986年から地域の人の活動は韓国との交流を進めて公園は韓国の花、無窮花を植樹して地域や日本社会そして韓国に大阪府枚方市(最寄り駅は学研都市線長尾)は史跡に指定して守ってきた。
百済門建立5周年の式典の現場取材で長尾にむかった。
知人が奈良から木津そして長尾に行く電車の時刻表を知らせてくれた。
遅れてはいけないと考えて早い目にでると1台早い電車に乗れた。
駅名の西木津、祝園に同級生の顔、顔が浮かんでくる。
今は学研都市線で車両も多い。だが昔は片町線、2両のジーゼルだったと思っている。ほとんど通学車両だった。
祝園駅は近鉄線の祝園駅と併設、今も併設している。
同志社大学前になるとそう同級生の顔は思い出さない。
長尾駅につくとまたここから通学していた男子高校生の顔が浮かんでくる。
しかし駅に降り立つとそんなこともすっかりと忘れて仕事の顔になっている。
雨の中、タクシーにのって王仁墓に行く。
2時について関係者に事前取材をして式典は2時半から始まって3時50分まで行われたが私は40分に出てトイレを済ませて45分に行きしなに乗ったタクシー会社に電話した。王仁墓といえばタクシーの運転手は知っていると思った。
いくら待っても来ない。2回電話する。
もう行くという。3回目をかけてもまだ電話でモタモタしている。
仕方なく歩いた。雨の中を歩いた。
歩いて5分ほどするとタクシー会社から電話が入った。
今、これから行きますということで所在地を教えた。
タクシーに乗るとワンメーターもない料金だが歩くと遠い。
タクシーの運転手、民族資料館に行かれたとのこと。
電話を取った女性には王仁塚といってあるのに----。
運転手は住所もいって下さいという。口ではそうですね。すみませんといいながら、そんなことぐらい知識の中で入れて下さいと思っていた。
長尾駅に着くと40分、木津行きは4時47分、急いで駅でトイレを済ませてホームに上がった。4・5分待つと電車が来た。
座席に座って落ち着いて自分の髪を触ると髪の毛も濡れている。
また雨の中の取材で5月22日の雨の現場で体調を崩したことを思い出していた。木津に着くと5時20分、23分が大阪行き大和路快速、急いでホームに行く。エスカレーターで2列に並んでいる高校生にイライラするが我慢した。
間に合った。乗れた。
奈良に着くと5時半、駅構内でビールの肴を1品とアンパンを買って市内循環バス乗場向かう。市内循環バスが遠くから走行してくるのが見えている。横断歩道の信号が赤に変わった。またここでイライラして待つこと、なんとか間に合って乗れた。
自宅に着くとシャワーを浴びて出ると急いで夕食の支度をした。
夜は8時ごろから9時半頃まで雨の中で取材した写真の保存をして原稿を作成した。とりあえず完成させてパソコンを閉めて後はぼんやりと11時までテレビを見ていた。
今朝、7時45分に起きて家事をして朝食をして9時前にパソコンの前に座って昨日、作成した原稿を見直した。見直しをして編集局に送って写真も12枚送信した。これで昨日の現場取材の仕事は片付けた。後はゲラの確認作業が残っている。これから休憩します。
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