まったく同感である。私が勘違いしているのかなと思った。
電化製品が置いていないことは知らなかったがどの百貨店でも衣類と食料品そして晩御飯の惣菜、できあいの惣菜にこれでもかこれでもかと隣あわせの店で競っている。こうした店舗が多い。
そして主婦たちが惣菜のある店にけっこう多く並んでいる。
私は食品売り場を利用するとなると近鉄線り最寄のデパートに立寄って訪問先の手土産を買うときぐらいである。
たまに時間があると衣類のあるところを見てまわるがものすごく高い。それにみんな細身に仕立ててあるので見た目から着られないことがあきらかである。
そんなことで衣類のところを見なくなってもう何年もなる。
スリムな時は仕事の合間を縫ってみて歩いた。たまにバーゲンで安いジャッケトを見ると買っていた。生地も上質でよかったが今は着られるサイズがないのでめったに寄らない。
そして1階はたいてい化粧品売り場である。化粧品売り場だけがバブルがはじけていないような気がする。
どの化粧品も外国のブランド品、1階はさまざまな化粧の匂いが入り混じって長くいると頭痛が起きてくる。化粧品店の美容職員も昔とちっとも変わらないスタイルで立っている。変わったと言えば目の周りの化粧がパンダの目みたいに濃くなったこと。唇はベジュー系かそれでなかったら濡れたように唇をしている人がほとんど、みんな同じような化粧しているので個性のない同じ顔に見える。
こんな人たちの化粧が若い女性の中に浸透しているが電車の中の化粧も指導といるのかと錯覚するほど電車の中の化粧もデパートの美容職員とよく似ている。
私は他の化粧品を長いこと使っているのでデパートで買うことがない。以前は洗顔クリームをデパートで買うこともあったが今は適当に店で買って済ませている。
そして衣類がデパートは高い。とても私には手が出ない。
こんな高価な服、女性は何回か着るとすぐ服は飽きてくる。また買いたくなる。私はそんなことを何ども体験してきて高い服を買っても長く着られない。デザインも変わるので高い服を買うのをやめた。
デパートの衣類売り場に立つと日本の国の家庭にはまだまだお金のたくさん持っている人がいるのだと実感する。
ただそのお金は
私のところに回ってこないだけ。
不運の星の下に生まれたのだとあきらめている。
いつも高額な価格表示に誰が買うのだろうか。買う人がいるからデパートは利益を上げている。買う人がいるということは日本の国にはお金を持っている人がたくさんいるのかと実感する。くどいようだが何度も言いたくなる。
そしてなぜあれだけ惣菜の店に老若男女問わず、多くの人が入って混雑している。私は何か1つ今夜の夕食とふと思うが奈良まで持って帰るのも大変だし買って帰って夫に美味しいと言われたことがない。
わざわざ大阪から買って持って買えるほどの味でもない。奈良に帰って近くのスーパーで買う方がいいと考えてほどのないかぎり買わない。
ここだから飛び切りというものがない。
やはり惣菜は買うより自分で作るほうが美味しい。
それが多くの女性が並んでいる。
家では食事の支度をしないのだろうか。食事のしない女性が並んでいるように思えてしょうがない。こんな光景にいくら日本が「食育」といっても馬の耳に念仏である。
家庭構造の見直し、男女共同参画の見直し、雇用均等法の見直し、1980年代に1部分の女性だけが通用する法案が通っていた。普通一般の庶民はこんな法案、何も生かされないのである。男女共同参画で家庭を駄目にした。食事を作らない。子育てをしない女性の増加に子育てにも問題が起きてきた。知識だけはいって行動に実施できない女性が増えた。男女共同参画は1部のエリート女性には都合がいいが普通の女性には何も意味がない。
農村では夫婦で助け合って農作業をずっと昔からしている。夫婦で零細企業の町工場を経営する人は夫婦で支えあってしている。商店の奥さんも夫婦で店をきりもりしている。男女共同参画はデスクワークで仕事をする1部分の女性のわがままが通っただけと私は思っている。
デパートに行くと女性の顧客心理を読んで1階に並んだ化粧品店、2・3階は婦人服売り場、4階が紳士ものや子どもの衣料品である。
しかしいくら綺麗に着飾ってもお惣菜のうっている食品売り場で夜の食卓の惣菜を買っているのをみるとぞっとしてしまう。これがまさに現実の日本だとおもっている。
電化製品が置いていないことは知らなかったがどの百貨店でも衣類と食料品そして晩御飯の惣菜、できあいの惣菜にこれでもかこれでもかと隣あわせの店で競っている。こうした店舗が多い。
そして主婦たちが惣菜のある店にけっこう多く並んでいる。
私は食品売り場を利用するとなると近鉄線り最寄のデパートに立寄って訪問先の手土産を買うときぐらいである。
たまに時間があると衣類のあるところを見てまわるがものすごく高い。それにみんな細身に仕立ててあるので見た目から着られないことがあきらかである。
そんなことで衣類のところを見なくなってもう何年もなる。
スリムな時は仕事の合間を縫ってみて歩いた。たまにバーゲンで安いジャッケトを見ると買っていた。生地も上質でよかったが今は着られるサイズがないのでめったに寄らない。
そして1階はたいてい化粧品売り場である。化粧品売り場だけがバブルがはじけていないような気がする。
どの化粧品も外国のブランド品、1階はさまざまな化粧の匂いが入り混じって長くいると頭痛が起きてくる。化粧品店の美容職員も昔とちっとも変わらないスタイルで立っている。変わったと言えば目の周りの化粧がパンダの目みたいに濃くなったこと。唇はベジュー系かそれでなかったら濡れたように唇をしている人がほとんど、みんな同じような化粧しているので個性のない同じ顔に見える。
こんな人たちの化粧が若い女性の中に浸透しているが電車の中の化粧も指導といるのかと錯覚するほど電車の中の化粧もデパートの美容職員とよく似ている。
私は他の化粧品を長いこと使っているのでデパートで買うことがない。以前は洗顔クリームをデパートで買うこともあったが今は適当に店で買って済ませている。
そして衣類がデパートは高い。とても私には手が出ない。
こんな高価な服、女性は何回か着るとすぐ服は飽きてくる。また買いたくなる。私はそんなことを何ども体験してきて高い服を買っても長く着られない。デザインも変わるので高い服を買うのをやめた。
デパートの衣類売り場に立つと日本の国の家庭にはまだまだお金のたくさん持っている人がいるのだと実感する。
ただそのお金は
私のところに回ってこないだけ。
不運の星の下に生まれたのだとあきらめている。
いつも高額な価格表示に誰が買うのだろうか。買う人がいるからデパートは利益を上げている。買う人がいるということは日本の国にはお金を持っている人がたくさんいるのかと実感する。くどいようだが何度も言いたくなる。
そしてなぜあれだけ惣菜の店に老若男女問わず、多くの人が入って混雑している。私は何か1つ今夜の夕食とふと思うが奈良まで持って帰るのも大変だし買って帰って夫に美味しいと言われたことがない。
わざわざ大阪から買って持って買えるほどの味でもない。奈良に帰って近くのスーパーで買う方がいいと考えてほどのないかぎり買わない。
ここだから飛び切りというものがない。
やはり惣菜は買うより自分で作るほうが美味しい。
それが多くの女性が並んでいる。
家では食事の支度をしないのだろうか。食事のしない女性が並んでいるように思えてしょうがない。こんな光景にいくら日本が「食育」といっても馬の耳に念仏である。
家庭構造の見直し、男女共同参画の見直し、雇用均等法の見直し、1980年代に1部分の女性だけが通用する法案が通っていた。普通一般の庶民はこんな法案、何も生かされないのである。男女共同参画で家庭を駄目にした。食事を作らない。子育てをしない女性の増加に子育てにも問題が起きてきた。知識だけはいって行動に実施できない女性が増えた。男女共同参画は1部のエリート女性には都合がいいが普通の女性には何も意味がない。
農村では夫婦で助け合って農作業をずっと昔からしている。夫婦で零細企業の町工場を経営する人は夫婦で支えあってしている。商店の奥さんも夫婦で店をきりもりしている。男女共同参画はデスクワークで仕事をする1部分の女性のわがままが通っただけと私は思っている。
デパートに行くと女性の顧客心理を読んで1階に並んだ化粧品店、2・3階は婦人服売り場、4階が紳士ものや子どもの衣料品である。
しかしいくら綺麗に着飾ってもお惣菜のうっている食品売り場で夜の食卓の惣菜を買っているのをみるとぞっとしてしまう。これがまさに現実の日本だとおもっている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます