鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日外出して用事をすませて明日から2・3日ゆっくりしょうと思った。

2007-07-17 08:45:03 | 直言!
しかし外はどんより曇って雨が降りそうである。
今日はゆっくり過ごそうか。
迷っている。
誰かの昼ランチの誘いがあれば奈良市内だったら出かけていくがそれがないとまた明日でもいいとおもってしまう。
昨日も外出して雨でぬれてしまった。
昨日お腹いたで今日はゆっくりしようかなと思ったりしている。

することがあれこれとあってもなかなかエンジンがかからない。
こんなときは休養するしかないのかな。

また新潟で地震が起きた。
ほんまに日本列島、この10日間の間に「ふんだり、けったり」である。
なんか小泉政権と安倍政権のあり方と年金に自然が猛攻撃しているように思えてならない。
これが1960年代だったら日本の国がどうなるのかと怒りをあらわにした人たちはデモ抗議をした。
今はほとんどのものはその日、なんとか食べていける人が多いのか大きい団結した声が上がってこない。
平和ボケした日本だからだろうか。

今30代以下の人は知らないだろう。
私が育った子どものころ、物資がなくて金もなくて貧乏人は高い傘がかえなくて雨の中を走って学校にいったことなど考えもつかないだろう。
やっと傘が買えるようになった。当時の道は舗装されていないぬかるみの道だった。雨靴をはかなければ足が泥だらけになった。履物も傷んだ、履物と言っても下駄で通学していた。雨靴が買えるようになってようやく日本の経済の戦後復興が見え出した。
今は卵も安く買えるが当時はなかなか高くて買えない。宝物だった。
そんな時代を過ごしてきた私のような世代は今、物にあふれた昨今、大人たちが一生懸命に働いた。しかし人の心は失った、経済復興のためにまず見捨てられたのが日本に住んでいた在日コリアンだった。
しかしめげないで日本人のしない3Kの仕事、汚くてきつい。そして危険な仕事をして経済構築をしてきた。こんな親の苦労を見捨てて帰化していく在日コリアンの若者たち、帰化はやむをえないが自分のルーツを忘れてはならない。
1人で育ったと勘違いしないでほしい。
日本の経済復興の一助をなしたのは在日コリアンである。

未だに解決されない問題、私が子どもの頃育ったぬかるみの道と同じ状態である。政治家は弱者を見ていない。権力志向者ばかりなのかと懸念してしまう。ここをどう判断すればいいのか。いつも迷っている。

このごろ私はベーコンの細切りを買ってきてよく食べる。
夫はそれを買うより大きく切ったベーコンを買うほうがいいのにというが私は細切りを買ってくる。子供の頃ご馳走だったベーコンの細切り、たまにしか食べられなかったが秤売りだったころの子どもの頃食べたベーコンに時代を思い出している。八百屋に行くと果物もあった。ベーコンもあった。魚もあった。あの魚たちはどこで毎朝仕入れてこられていたのだろうか。
木津だったらどこだったのだろうか。
交通不便の時代に新鮮な魚を食べていた。海で泳ぎ筋肉のついたそして汚染されていない美味しい魚を食べていた。だから子どもたちは骨太でしっかり育ったのかもしれない。
みんな元気だった。
はだしで駆けずり回っていた。
私の父ははだしになると怒っていた。
「破傷風になる」
その破傷風の病気は怖いとわかっていたが下駄で走り回っていた時代はみんなそうして大きくなった。
30代以下の子どもたちはこの話は「おとぎ話」に聞こえるだろうが私はその時代に生きた1人である。2世が子どもの頃過ごした暮らしだった。まだ日本は貧しくおおかたの日本人もこうして育った。

在日コリアンはもっと苦しかった。2世は日本政府に切り捨てられても1世と一緒にたくましく生きてきた。この自負心は3・4世に伝えていかなければならないが帰化した子どもたちはだんだん韓国に見向きもしなくなっている。
しかし、3・4世の命をつないできた1世の暮らしそして2世の暮らしがこの日本であったことは忘れてはならない。
このことを国際結婚した日本人も肝に銘じてほしい。
私自身の繰言になるが何度も繰り返して話さなければ2世の生き様も忘れられそうな昨今の同胞社会の現実である。
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