鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

午後の4時前です。

2012-08-26 16:39:00 | 直言!
夕食はもうすんだ。

夫は6時になると布団に入って寝てしまう。
2時半頃から夕食をいい出す。
今日は11時前にバサラまつりを少し見るといってJR奈良駅に出かけたがいっこうにそのパレードが来ないという。
炎天下で待っているのがしんどくなって1時過ぎに戻ってきた。
パレードは東大寺にも行くらしい。
三条通りのパレードは何時ごろになるのか私はわからない。
インターネットで調べてあげればよかったのかな。

まあ暑い炎天下で待って見ることもない。
戻ってきたのでほっとした。
テレビ番組「新婚さんいらっしゃい」を見て夫のビールの肴を作った。
ついでに素麺も湯がいて夕食の支度をした。
支度をしておいて風呂に入った。
風呂から上がって少しパソコンをする予定だったが----。
ビールを飲んでいる夫、とりあえず少しだけ素麺を食べようと思ったがつい箸がすすんで夕食になった。
後片付けをしてパソコンを開いた。

夫は洋画「夕陽のガンマン」を2時からずっと見ている。5時15分まであるらしい。洋画フアンの夫は何度も同じ映画を見ている。
学生時代に見た洋画も飽きもしないで見ている。
夫は自宅から新京極まで歩いてお金を節約して洋画に時代劇を見たという。
私は田舎で生まれている。
映画館は町に1軒だけあったが学校の映画鑑賞で入ったぐらいで個人的には入ったことがなかった。ただ映画館の入り口に日活映画の俳優のブロマイドが多く貼られていてそれを見にいくのが楽しみだった。
ここで石原裕次郎がどんな人かよく分かった。
ブロマイドが変わると食い入るように見たものだった。
私の16歳、17歳の頃だった。
1961年、1962年のことです。

日本の国は貧しかったな。まだまだ---。
家にガスコンロが入ってきたのは高校3年の頃だったと思っている。
そのガスコンロも料亭の厨房で使われているようなコンロだった。
それでも嬉しかった。
プロパンガスだった。
テレビは高校1年の終わりだった。
洗濯機も高校1年の終わりだった。
冷蔵庫はずっと後で高校卒業してからだった。
カンテキで火を起こして炭を入れて煮炊きをする。
それともかまどでご飯を炊いている火をカンテキに入れて煮炊き物をしていた。
ガス釜が家に入ると、ものすごく嬉しかった。
この頃から少しずつ家事に電化製品が入ってきて女性たちの時間を作っていくことになった。

世間知らずの私が田舎で暮らしていた。
奈良は都会だった。
奈良まで奈良線・関西線で1駅、10分程度だったのに奈良は都会だった。
今は途中に平城山という駅ができた。
高校の同級生がこの駅に勤務していたのは私が「月刊奈良」編集局にいたときだった。新駅ができたことでの取材だった。平城駅に行くとその駅に同級生がいたのでびっくりしたことを覚えている。
そのとき平城山駅の近くにあった土地はある企業の物だった。
それを現在のJR奈良駅近くの土地と交換したということも同級生に聞いたものだった。まだ41歳だった。
それからしばらくして国鉄がJRに変わっていった。
あのとき同級生もまだまだ現場の第一線で仕事をしていた。
しかし定年になって退職しているだろう。
みんな高齢者になっている。
どうしているだろうか。
もう1人、笠置に住んでいた高校の同級生も国鉄勤務で大阪駅におられた。
彼とは通勤電車でよくあった。
何かの縁で大阪駅で1度お会いしたことがあったが結婚して笠置から通勤しておられたが---。今も笠置にすんでいるだろうか。

私が日本人だったらもっと仲良くなっていたかもしれない。
けれど私はどの時代も国籍を隠さないできた。国籍問題でどの人も距離をおいてくることになった。特に男性は距離を置かないといけなかった。
そんな青春が甦ってくる。
せつなくて苦しく悩むと木津川の泉大橋にいった。
夕方になると西に沈む太陽は川面を染めていく太陽は活力に満ちていて生きる力を与えてくれた。
もう長いことこの夕日を見ることがなくなった。
けれど何かの時に思い出している。

西に沈んだ太陽は明日、東から昇ってくる。
必ず希望を持って昇ってくる太陽と信じていた。
だから生きる。生きることにしようと思わせてくれると思った。
今もそう思っているがもうそんな「生きる」と「希望」とかそんなセンチメンタルな気持はないが元気に淡々と生きることができればありがたいと、朝、東の空に昇る太陽を見てはそう思っている。

田舎の映画館はテレビの普及でいつのまにか消えていったが1960年代の時代の私の思い出の1つにこの映画館が頭に浮かんでくる。

しかし日本の世相は安保条約反対になどで日米の政治政策、学生たちはまだまだ意気盛んでデモをしては警察が出るというそんな時代に入りつつあった。田舎に住んでいた私はのんびりと暮らしていた。
さて今日はこのへんで-----また。
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