鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

私にまだまだ負けん気の強いエネルギーが残っていた。

2006-09-28 22:30:45 | 直言!
それが要のところも私の指の間からぽろぽろとこぼれ落ちている。
それを知って久しぶりに頭にカッーッと血がのぼって頭が真っ白になった。
先日、眼科医師には「62歳にして働きすぎだ」と言われて「そうではない」といってきた。私の気持ちの中には大方のところは譲歩した。
しかし世間はそうみてくれない。
まわりでいろんな雑音がはいってくる。
それでも若い記者のことをよろしくといっている。
お人よしそのものである。
若いとき同性の記者にお人よしでバカ呼ばわりされていじめられた。
「ここにだれかさんというお人よし」がいると皆の前で私の前で言う。言葉の使い方でそれはいい言葉の使い方でなくて悪口だといくらお人好でアホの私でも分かる。
いつか私が現役を引くときは世話になった人たちの恩返しもあって仕事の流れが止まらないように若い人に多くを譲歩した。そして関係者にも流れをとめないように工夫して努力してきた。
それが現実に老いは私に正面向ってきている。
要の仕事の内容まで私の指の間からぽろぽろと1つ、2つとこぼれ落ちている。
人生、山アリ谷ありと乗り越えてきた人生、ある程度なんでも冷静に受け止めて生きていると思っていた。現実に正面に突きつけられてしまって私はまだまだ成長をしていない自分に気がつきまだ負けん気がたくさんのこっていることに気がついた。
あたるところがないので1番気心の知れた仕事仲間にバンバンメールで当り散らしてしまった。
こんな自分にまた自己嫌悪になって夕方、自宅に戻った夫にグチュグチュと文句を言っている。
夫は言う。「もう体力的にもついていかれへんのにまだそれだけ動いているとおもえばいいじゃないか。お前もバリバリにした40代からはるかに遠くなってしまった。その40代の入り口にいるのが若い記者、あたりまえだ。バリバリとする年代なんだと思えばいい」と言って「今のままでいい」という。
この数年、もう夜の外出は苦痛になった。
数年前までは記事にならなくても現場に入って人と会って人脈づくりに励んだ。もうそんなエネルギーがすこしずつ消えていき平穏に自宅で過ごす時間を大事にしている。
こんな私自身の生活を望みながらまだ負けん気の強い私がどこかにあった。

こんな自分のエネルギーが残っていたことに今日は驚きそして要のことが指の間からぽろぽろこぼれている寂しさを痛感した。

自分の年齢を言い聞かせて自分の立場を知って自分自身のことを知る努力をしているのにやはり私にはまだ欲があった。
イヤーなところも残っていたのかと少しがっくりしている。

しかしまた私自身に言い聞かせている。
私がいつ引いても後継者ができたことはうれしい。仕事の流れをとめることなく私がいつか引くときには心残りはないだろう。
後継者を育成できたことに私をこれまで育てて下さった人たちに少しでも恩返しができればと考えている。

でも私は体力があるかぎり必要とされる間は動き回ることにしよう。

要の仕事をしなくなって久しぶりに会った人たちに「仕事しているのですか」と言われたときはショックだった。そして韓国の駐在員からも私の肩書きを聞いてこられたときもショックを受けた。とうとう忘れ去られる位置になったのかと本当にショックをうけた。それから大方、1ヶ月以上もたっているのにまだ心の傷がとれていない。

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