奈良に着いたのが1時50分、行きつけの喫茶店に行って新聞1紙を読んだ。
朝は8時25分に近鉄奈良駅で特急券を買って喫茶店に入った。
行きつけの喫茶店は土曜・日曜と祝日は9時開店、まだ開いていないので向かいの喫茶店に入った。
新聞1紙を急いで読んだ。
9時30分の京都行特急に乗って丹波橋で下りて京阪電車に乗換えた。
準急で伏見稲荷駅に出た。
10時半から取材、いい感じの若い女性に取材、また会いたい人になった。
12時50分に分かれて私は伏見稲荷駅からまた丹波橋に引き返して近鉄線の丹橋の駅に向かった。
時計は1時9分、奈良行特急は12分、ギリギリセーフ間に合った。
奈良に着いて行きつけの喫茶店で新聞1紙、読んで帰りは資料をコピーしてスーパーに寄った。冷蔵庫の中は食材がたくさん入っている。
しかし帰るとすぐにパソコンを開けないといけない。
出来合いの惣菜と刺身を買った。
近鉄奈良駅に行くと2時40分、中循環バスを待って自宅に帰ると3時、それから風呂に湯を入れながら買ってきたものを冷蔵庫に入れて家事をしているとて湯が入った。
風呂に入った。風呂から上がるともう4時、洗濯機にかけたものをまた干していく。
それから資料をFAX送信してツイッターのつぶやきを書いていると時計は4時半過ぎていく。
早い。
外出すると1日は早く過ぎていく。
今日ももう黄昏時、男性たちは居酒屋にいくのだろう。
女性は家路に急いでいる。
家に着くと主婦は夕食の支度で慌しい。
私は専業主婦をしていた時はどうしていたのだろうか。
PTAの役員をするまでは家にいたり近所の同年輩の奥さんと話したりしていた。集まると「今日はこんなおかず」と言い合った。
3時ごろから夕食の支度をしていた。
3時ごろから作った夕食、1週間に2回程度、家族で食べられたらよかったほうだった。夫は毎夜とマージャンに明け暮れていた。
尿管結石になって何度か入院することになってとうとう勤務している社長に注意された。
「マージャンは体を壊すからやめないといけない」と。
この鶴の一声で夫はマージャンをぴたっとやめた。
しかし男の悪さはあれこれと続いた。
私の20代、30代は母子家庭の家のように夫は夜の不在が多かった。
そして私が40代の初めに在日韓国系の新聞記者になって私の帰宅が毎晩9時10時の帰宅になって夫に不自由をさせた。
男性は女性が家にいないと気持ち的に大変らしい。
私は夫が外で遊びほうけているときは本を読みよく手紙も書き自分の好きなことに時間を使っていた。
それが今につながっている。
そして年を重ねて夫婦も老いに入った。
若いときのことは忘れて老夫婦が心配しあって暮らしている。
時に思い出すと遊びほうけた夫に腹が立つときもあるがこれも人生と思うことにしている。
今はうるさいほど夫は私によく話す。
若いときほとんど話さない人だった。それで時々夫に言う。
「若いときにそれほど私に話してくれればよかったのに、今はうるさいほどしゃべる」と言うとまた憎たらしいことをいう。
「俺は飲まないとしやべられへん」と。
そういえば若い時の晩酌、ビンビール1本だったのに今はもっと多い。
時々思う。缶ビールになってからビールの味が薄くなったのだろうか。
そんなはずがない。
夫も年を取ってきて世間もいろいろ知って話すことにも慣れたのだろうか。
しかし外にいくとまたこれほとんど話しをしない。
猫をかぶるのも上手な人です。
また余計なことを話してしまった。
今日はこのへんで。
朝は8時25分に近鉄奈良駅で特急券を買って喫茶店に入った。
行きつけの喫茶店は土曜・日曜と祝日は9時開店、まだ開いていないので向かいの喫茶店に入った。
新聞1紙を急いで読んだ。
9時30分の京都行特急に乗って丹波橋で下りて京阪電車に乗換えた。
準急で伏見稲荷駅に出た。
10時半から取材、いい感じの若い女性に取材、また会いたい人になった。
12時50分に分かれて私は伏見稲荷駅からまた丹波橋に引き返して近鉄線の丹橋の駅に向かった。
時計は1時9分、奈良行特急は12分、ギリギリセーフ間に合った。
奈良に着いて行きつけの喫茶店で新聞1紙、読んで帰りは資料をコピーしてスーパーに寄った。冷蔵庫の中は食材がたくさん入っている。
しかし帰るとすぐにパソコンを開けないといけない。
出来合いの惣菜と刺身を買った。
近鉄奈良駅に行くと2時40分、中循環バスを待って自宅に帰ると3時、それから風呂に湯を入れながら買ってきたものを冷蔵庫に入れて家事をしているとて湯が入った。
風呂に入った。風呂から上がるともう4時、洗濯機にかけたものをまた干していく。
それから資料をFAX送信してツイッターのつぶやきを書いていると時計は4時半過ぎていく。
早い。
外出すると1日は早く過ぎていく。
今日ももう黄昏時、男性たちは居酒屋にいくのだろう。
女性は家路に急いでいる。
家に着くと主婦は夕食の支度で慌しい。
私は専業主婦をしていた時はどうしていたのだろうか。
PTAの役員をするまでは家にいたり近所の同年輩の奥さんと話したりしていた。集まると「今日はこんなおかず」と言い合った。
3時ごろから夕食の支度をしていた。
3時ごろから作った夕食、1週間に2回程度、家族で食べられたらよかったほうだった。夫は毎夜とマージャンに明け暮れていた。
尿管結石になって何度か入院することになってとうとう勤務している社長に注意された。
「マージャンは体を壊すからやめないといけない」と。
この鶴の一声で夫はマージャンをぴたっとやめた。
しかし男の悪さはあれこれと続いた。
私の20代、30代は母子家庭の家のように夫は夜の不在が多かった。
そして私が40代の初めに在日韓国系の新聞記者になって私の帰宅が毎晩9時10時の帰宅になって夫に不自由をさせた。
男性は女性が家にいないと気持ち的に大変らしい。
私は夫が外で遊びほうけているときは本を読みよく手紙も書き自分の好きなことに時間を使っていた。
それが今につながっている。
そして年を重ねて夫婦も老いに入った。
若いときのことは忘れて老夫婦が心配しあって暮らしている。
時に思い出すと遊びほうけた夫に腹が立つときもあるがこれも人生と思うことにしている。
今はうるさいほど夫は私によく話す。
若いときほとんど話さない人だった。それで時々夫に言う。
「若いときにそれほど私に話してくれればよかったのに、今はうるさいほどしゃべる」と言うとまた憎たらしいことをいう。
「俺は飲まないとしやべられへん」と。
そういえば若い時の晩酌、ビンビール1本だったのに今はもっと多い。
時々思う。缶ビールになってからビールの味が薄くなったのだろうか。
そんなはずがない。
夫も年を取ってきて世間もいろいろ知って話すことにも慣れたのだろうか。
しかし外にいくとまたこれほとんど話しをしない。
猫をかぶるのも上手な人です。
また余計なことを話してしまった。
今日はこのへんで。
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