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難波発、奈良行特急午後4時35分に乗車、乗ってからずっと電車の中で仕事、16日にインタビューした取材メモ、取材メモをすぐパソコン入力をする場合はノートの余白に赤でまた文字を入れることはないが4・5日その作業ができない。他の原稿作成を先に片付けないといけない。
それで自分で書いた取材ノート。インタビューしてメモするのは早いが悪筆、4・5日するとその悪筆に悩むことになるので取材した内容を覚えているうちにノートの余白にまた文字を書き込んでいく。こんどは時間があるので少し丁寧に文字を入れていく。
16日の電車で奈良に戻るとき、そして今日の電車の往復で仕上げた。
仕上げた時は西大寺駅を過ぎたとき、鞄にノートをしまってふと顔を上げると平城宮跡に虹が大きく出ている。大極殿のあるところからの虹、あわててカメラを出したが撮れない。電車はどんどん走っていく。
今度は線路を越えての平城宮跡にかかった虹を撮影、なんとか撮れた。
こんな光景は初めて思わずカメラを出していた。
下を向いて作業していたことを少し後悔をしていた。
もっと早く気がついていればいいのが撮れたかもしれないのにと思った。
でもとりあえずこうして昔、都のあったところで虹と出会うことかができた。
何か夢が叶いそうな広がりそうな気がした。
朝から今日は業者が排水の清掃に来られてその対応すると9時20分、昼食に早いが早い昼食をかき込んで10時過ぎから外出の支度をした。
バス乗り場に行ったのが10時10分、運良く中循環バスが来て近鉄奈良駅に10時15分に着いた。12時20分ごろ行きつけの喫茶店を出て電車に乗って難波に出た。
難波に出ると1時、地下鉄御堂筋線に乗って淀屋橋に出た。
淀屋橋からタクシーに乗って現場に。タクシーに乗って正解、歩いて行くと道に迷って会場を探すことが出来なかった。
2時からシンポが始まって3時45分にシンポの途中だが会場を出た。
ここからタクシーに乗ったが近鉄難波駅に出た。
近鉄難波駅に出ると4時過ぎ、4時35分の特急券を買って待合のベンチで座って待った。土曜日なのに快速急行は三宮から来るので乗客はいっぱい、大阪始発もそれなりに混んでいる。
快速急行は奈良からでも座れないということが奈良に帰る乗客は分かってきた。
この頃、夕方の奈良行特急は混んでいる。
今日も4号車は満席だった。
奈良に着くと5時過ぎ、急いで文房具屋で資料のコピーを取ってスーパーで買物、ひやしうどんを買うのに他の物も買っている。また今日も5千円近く食材を買った。冷蔵庫に食材がたくさん入っているのに-----。
家に帰ると6時前、忙しい、忙しい。シャワーを浴びてから夕食の支度、うどんを湯がいていると夫が帰ってきた。
またバタバタした夕食の支度となった。
今日はこのへんで。
ブログを見て下さっている小・中・高校の同級生に感謝しています。
私は普通にマイペースで仕事して主婦をしている。
自分のできる範囲で活動できればと思っている。
これが与えられた自分と思っている。
焦らないでゆっくりと平凡に自分の人生を歩いている。
ただ書くことが好きだけで取材して記事を作る仕事が生業になった。
そんなに対した文才があるわけでもない。訓練すれば誰でもできる。
ただ書くことが好きであるか。やる気があることだけである。
かつて若い頃はたくさんの失敗を重ねて先輩諸氏にずいぶん叱られた。しかしまた教わったことも叱られたことより何倍もある。
今日のシンポでベトナム戦争のことをたまたま在日韓国人の私に講師の方から質問された。
私も日本人の皆さんとそう対して知識は変わらない。
ずっと高校まで日本の公立学校で過ごしたので韓国のことは何もしらないで在日韓国人の新聞社で仕事をするようになった。
それからベトナム戦争に行った若者たち、韓国に戻って来ると体調不良をおこしていることを知った。これぐらいの知識しかない。
これまで子どもの頃から国籍を隠さないでずっと生きてきたが日本の公立学校の教科書で学んでいる。
日本人と違うのは名前が通名と本名があることだ。
しかし何も知らなくても血が自分のことに向き合うことに人生の中で必ず遅かれ早かれやってくる。
私は40歳の時だった。
日本人のふりをして日本の記事を書きたくない。
これが血なんだとずっと後になってわかった。
何も知らないところからただコツコツと積上げてきた私の人生、平凡にコツコツと積上げてきたので特別変わったこともなく日々の生活を大事にして人生を歩いてきた。これでいいと思っている。これも私が目に見えないもので与えられた人生と思っている。
そんなことで平凡な普通の生活のブログを読んで頂き心より感謝しています。
嬉しいしまた恥ずかしい。
ではまた明日。
写真は西大寺を越えてから電車の車窓から見た虹です。
7月17日、午後5時過ぎ撮影。
それで自分で書いた取材ノート。インタビューしてメモするのは早いが悪筆、4・5日するとその悪筆に悩むことになるので取材した内容を覚えているうちにノートの余白にまた文字を書き込んでいく。こんどは時間があるので少し丁寧に文字を入れていく。
16日の電車で奈良に戻るとき、そして今日の電車の往復で仕上げた。
仕上げた時は西大寺駅を過ぎたとき、鞄にノートをしまってふと顔を上げると平城宮跡に虹が大きく出ている。大極殿のあるところからの虹、あわててカメラを出したが撮れない。電車はどんどん走っていく。
今度は線路を越えての平城宮跡にかかった虹を撮影、なんとか撮れた。
こんな光景は初めて思わずカメラを出していた。
下を向いて作業していたことを少し後悔をしていた。
もっと早く気がついていればいいのが撮れたかもしれないのにと思った。
でもとりあえずこうして昔、都のあったところで虹と出会うことかができた。
何か夢が叶いそうな広がりそうな気がした。
朝から今日は業者が排水の清掃に来られてその対応すると9時20分、昼食に早いが早い昼食をかき込んで10時過ぎから外出の支度をした。
バス乗り場に行ったのが10時10分、運良く中循環バスが来て近鉄奈良駅に10時15分に着いた。12時20分ごろ行きつけの喫茶店を出て電車に乗って難波に出た。
難波に出ると1時、地下鉄御堂筋線に乗って淀屋橋に出た。
淀屋橋からタクシーに乗って現場に。タクシーに乗って正解、歩いて行くと道に迷って会場を探すことが出来なかった。
2時からシンポが始まって3時45分にシンポの途中だが会場を出た。
ここからタクシーに乗ったが近鉄難波駅に出た。
近鉄難波駅に出ると4時過ぎ、4時35分の特急券を買って待合のベンチで座って待った。土曜日なのに快速急行は三宮から来るので乗客はいっぱい、大阪始発もそれなりに混んでいる。
快速急行は奈良からでも座れないということが奈良に帰る乗客は分かってきた。
この頃、夕方の奈良行特急は混んでいる。
今日も4号車は満席だった。
奈良に着くと5時過ぎ、急いで文房具屋で資料のコピーを取ってスーパーで買物、ひやしうどんを買うのに他の物も買っている。また今日も5千円近く食材を買った。冷蔵庫に食材がたくさん入っているのに-----。
家に帰ると6時前、忙しい、忙しい。シャワーを浴びてから夕食の支度、うどんを湯がいていると夫が帰ってきた。
またバタバタした夕食の支度となった。
今日はこのへんで。
ブログを見て下さっている小・中・高校の同級生に感謝しています。
私は普通にマイペースで仕事して主婦をしている。
自分のできる範囲で活動できればと思っている。
これが与えられた自分と思っている。
焦らないでゆっくりと平凡に自分の人生を歩いている。
ただ書くことが好きだけで取材して記事を作る仕事が生業になった。
そんなに対した文才があるわけでもない。訓練すれば誰でもできる。
ただ書くことが好きであるか。やる気があることだけである。
かつて若い頃はたくさんの失敗を重ねて先輩諸氏にずいぶん叱られた。しかしまた教わったことも叱られたことより何倍もある。
今日のシンポでベトナム戦争のことをたまたま在日韓国人の私に講師の方から質問された。
私も日本人の皆さんとそう対して知識は変わらない。
ずっと高校まで日本の公立学校で過ごしたので韓国のことは何もしらないで在日韓国人の新聞社で仕事をするようになった。
それからベトナム戦争に行った若者たち、韓国に戻って来ると体調不良をおこしていることを知った。これぐらいの知識しかない。
これまで子どもの頃から国籍を隠さないでずっと生きてきたが日本の公立学校の教科書で学んでいる。
日本人と違うのは名前が通名と本名があることだ。
しかし何も知らなくても血が自分のことに向き合うことに人生の中で必ず遅かれ早かれやってくる。
私は40歳の時だった。
日本人のふりをして日本の記事を書きたくない。
これが血なんだとずっと後になってわかった。
何も知らないところからただコツコツと積上げてきた私の人生、平凡にコツコツと積上げてきたので特別変わったこともなく日々の生活を大事にして人生を歩いてきた。これでいいと思っている。これも私が目に見えないもので与えられた人生と思っている。
そんなことで平凡な普通の生活のブログを読んで頂き心より感謝しています。
嬉しいしまた恥ずかしい。
ではまた明日。
写真は西大寺を越えてから電車の車窓から見た虹です。
7月17日、午後5時過ぎ撮影。
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