釜山の射撃場では火災事故が起きて多くの日本人が亡くなっている。
私は今日病院に行かないといけない。
今朝、血圧を測ると普通に戻っていたが気になる。
昨日、生野区御幸森通りの商店街の生野コリアタウン祭はすごい人出になった。
身動きがとれない。
事前に2箇所に主催者関係者にメールを入れて場所と時間の開催場所を問い合わせているが何も返信が来ない。
しかたなくホームページを開いて確認するが開会場所は書いていない。
いつも何かのイベントが行われているところはこの近くの公園と思ってタクシーをこの公園の近くにつけて降りた。
歩いて1・2分のところが御幸森商店街、本部席を訪ねると商店街の中間あたりという。人人であふれかえって動かれない。
しかたなく会場の要所によって取材してめぼしいところは主催者と名刺交換して企画記事の情報として頭に入れた。
ここで主催者の関係者に会うと開会式には来られたと聞く。
開会式は済んだという。仕方がない。
私はここに11時10分についたが人でいけないのと開会場所がわからなかった。ほんとうはこの人に文句をいいたいがぐっとこらえた。
こんなところでこの人にメールをしたのどうのといわれない。それでなくても他のことで頭がいっぱいのはずである。
そしてまた通りを歩くが人人でごったがえしている。
正月と盆が一緒にきたような人出である。
パレードの写真をとりながら前に進んでいく。
そして時計は12時過ぎている。とにかく腹ごしらえと思って通りかかった喫茶店に入った。サンドイッチとコーヒーを食べた。
通りは韓国の食材がたくさん販売されているが私は食べられない。
喫茶店は満員、2人がけも満員、4人がけに座った。
10分ほど座ると2人連れの婦人が入ってきた。
私は店の人に「相席してもいいです」と言っておいたので2人連れが私の前に座った。この際、参加者のコメントを聞いておこうと思って今日のイベントの感想を聞いた。そして名刺を出した。
1人は50代半ば、もう1人は私より2歳下の婦人、韓国のドラマや歌手にはまっている。そんな話して盛り上がる。まだ韓国に行ったことがないがこれから韓国に行くという話でどこが1番よいのかと聞く。
初めてならまず韓国ソウルを訪ねて古い史跡や王朝の住んでいた宮を見学してそして韓国の俳優や歌手が行く店を1軒訪ねて後は明洞の繁華街を満喫して下さいと行った。次に行くなら慶州です。慶州に行くと奈良にもたらせた渡来文化の源流がわかるからここに訪ねて下さいといった。次に行くなら列車にのって韓国全羅南道の木浦あたりを訪ねて海の幸と山の幸を楽しむのいいが列車の旅は韓国の農村の風景がよく分かっていいと思うと話した。
海辺の美味しい食材なら済州道に訪ねて下さいといった。
韓国ドラマで見ると日本との文化の違いを話す婦人たち、1人は奈良が大好きという。それで奈良にこられたらぜひ1度、昼ランチをしましようということで約1時間ばかり話してわかれた。人の良さそうな人だったので初対面だったが話しが盛り上がったことと彼女たちを通して在日韓国人の友人も仲良くしていると聞いてほっとした。韓国に行かなくても在日コリアンが隣に住んでおられる。こんなことを知ってもらってよかった。
なんとか人垣を分けて御幸森神社前にでてタクシーに乗った。
タクシーの中で人ごみの多さを話した。
このタクシーの運転手もこの商店街の通りの祭りに連れてきたが帰りが大変だった。人の多さに人を掻き分けての運転が大変だったと話した。
そして私は「韓流で多くの日本人が来るのはいいが韓国に行かなくても隣に在日コリアンがいっぱい住んでいるからそんな人たちとも仲良くしてもらいたい」と行ったら「僕もそう思います」と話す。
私の話しに耳を傾けていて運転手は言う。
「僕の奥さんが在日韓国人です。僕も法事に行ってやりますよ」という話しになるほど話に耳を傾けておられたのがわかった。
また次ぎの行くところがわかりにくい道、親切に探して下さった。
コリアタウンの人の多さに時間を取って次ぎの現場に入ったのが3時10分前、ギリギリ、もう席は満席だったが空いている席が何席あったが私は遠慮して座らなかった。会場でのイベントが始まって45分も立っているとしんどい。
とにかく朝からほとんどたちっぱなし。これは体調を崩すと考えて椅子の用意を関係者に頼んだ。丸椅子でもなんでもいいのに持ってこられない。椅子がなかったらないといえばいいのに探す気配もない。
そして他の人が遅れてくると椅子を出してくる。それには少し気分が悪くなったこととここの会場はまた違う市民団体。私の肌にすこしあわないが上から言われた現場と思ってきたがまだイベントは2時間も続く。2時間も立っていられないと考えて会場を4時に出た。
布施までタクシーを飛ばすつもりだったが少しでも奈良の自宅に早く帰って現場2本の記事を書かないといけないと考えて鶴橋に出た。
4時10分、特急電車は50分、これはあかん。時間がもったいない。
快速急行に乗ることにした。
一番後ろの車両に行った。
4時過ぎた電車なのに満員、座れないと思った。それがJR環状線大阪行きホームのエスカレーターのすぐ側だったので降りる人が多かった。
1番前に並んでいたので降りる人が多かったので幸い、座れた。
奈良に戻ると5時前、遅れている中循環バスがきたので飛び乗った。自宅に着くと5時過ぎ。シャワーを浴びて夫が買ってきた柿の葉ずしと鰯の汁で夕食。洗い物してパソコンの前に早々と座って原稿を片付けた。2本を仕上げると時計は11時、11時に寝ているのに眠りについたのは12時、集中力で一気に原稿を作るとその後、頭がさえて眠れない。いつものことである。
なんとか12時に眠りについた。
昨日、朝、近鉄電車、難波行にのった。11時過ぎのことである。
新大宮から乗った若い女性、新大宮からずっと化粧、鶴橋で降りるときも化粧、
私は向かいに座っていたので何度か注意をしたがやめない。
年輩の婦人は私の方を見て頷いているのにやめない。どうどうと大きい鏡を見て下地からアイシャドウまでしていく。すごい度胸なのか。この人にすればこれが快感なのか。なんと侘しい人である。
またこのことはジャーナリスト・ネットで書くことにしよう。
日本社会のマナーはどこまで崩れていくのか。
この子も奈良市内に住んでいるだろう。
奈良の親の教育、学校教育に問題があるのではと思っている。
私は今日病院に行かないといけない。
今朝、血圧を測ると普通に戻っていたが気になる。
昨日、生野区御幸森通りの商店街の生野コリアタウン祭はすごい人出になった。
身動きがとれない。
事前に2箇所に主催者関係者にメールを入れて場所と時間の開催場所を問い合わせているが何も返信が来ない。
しかたなくホームページを開いて確認するが開会場所は書いていない。
いつも何かのイベントが行われているところはこの近くの公園と思ってタクシーをこの公園の近くにつけて降りた。
歩いて1・2分のところが御幸森商店街、本部席を訪ねると商店街の中間あたりという。人人であふれかえって動かれない。
しかたなく会場の要所によって取材してめぼしいところは主催者と名刺交換して企画記事の情報として頭に入れた。
ここで主催者の関係者に会うと開会式には来られたと聞く。
開会式は済んだという。仕方がない。
私はここに11時10分についたが人でいけないのと開会場所がわからなかった。ほんとうはこの人に文句をいいたいがぐっとこらえた。
こんなところでこの人にメールをしたのどうのといわれない。それでなくても他のことで頭がいっぱいのはずである。
そしてまた通りを歩くが人人でごったがえしている。
正月と盆が一緒にきたような人出である。
パレードの写真をとりながら前に進んでいく。
そして時計は12時過ぎている。とにかく腹ごしらえと思って通りかかった喫茶店に入った。サンドイッチとコーヒーを食べた。
通りは韓国の食材がたくさん販売されているが私は食べられない。
喫茶店は満員、2人がけも満員、4人がけに座った。
10分ほど座ると2人連れの婦人が入ってきた。
私は店の人に「相席してもいいです」と言っておいたので2人連れが私の前に座った。この際、参加者のコメントを聞いておこうと思って今日のイベントの感想を聞いた。そして名刺を出した。
1人は50代半ば、もう1人は私より2歳下の婦人、韓国のドラマや歌手にはまっている。そんな話して盛り上がる。まだ韓国に行ったことがないがこれから韓国に行くという話でどこが1番よいのかと聞く。
初めてならまず韓国ソウルを訪ねて古い史跡や王朝の住んでいた宮を見学してそして韓国の俳優や歌手が行く店を1軒訪ねて後は明洞の繁華街を満喫して下さいと行った。次に行くなら慶州です。慶州に行くと奈良にもたらせた渡来文化の源流がわかるからここに訪ねて下さいといった。次に行くなら列車にのって韓国全羅南道の木浦あたりを訪ねて海の幸と山の幸を楽しむのいいが列車の旅は韓国の農村の風景がよく分かっていいと思うと話した。
海辺の美味しい食材なら済州道に訪ねて下さいといった。
韓国ドラマで見ると日本との文化の違いを話す婦人たち、1人は奈良が大好きという。それで奈良にこられたらぜひ1度、昼ランチをしましようということで約1時間ばかり話してわかれた。人の良さそうな人だったので初対面だったが話しが盛り上がったことと彼女たちを通して在日韓国人の友人も仲良くしていると聞いてほっとした。韓国に行かなくても在日コリアンが隣に住んでおられる。こんなことを知ってもらってよかった。
なんとか人垣を分けて御幸森神社前にでてタクシーに乗った。
タクシーの中で人ごみの多さを話した。
このタクシーの運転手もこの商店街の通りの祭りに連れてきたが帰りが大変だった。人の多さに人を掻き分けての運転が大変だったと話した。
そして私は「韓流で多くの日本人が来るのはいいが韓国に行かなくても隣に在日コリアンがいっぱい住んでいるからそんな人たちとも仲良くしてもらいたい」と行ったら「僕もそう思います」と話す。
私の話しに耳を傾けていて運転手は言う。
「僕の奥さんが在日韓国人です。僕も法事に行ってやりますよ」という話しになるほど話に耳を傾けておられたのがわかった。
また次ぎの行くところがわかりにくい道、親切に探して下さった。
コリアタウンの人の多さに時間を取って次ぎの現場に入ったのが3時10分前、ギリギリ、もう席は満席だったが空いている席が何席あったが私は遠慮して座らなかった。会場でのイベントが始まって45分も立っているとしんどい。
とにかく朝からほとんどたちっぱなし。これは体調を崩すと考えて椅子の用意を関係者に頼んだ。丸椅子でもなんでもいいのに持ってこられない。椅子がなかったらないといえばいいのに探す気配もない。
そして他の人が遅れてくると椅子を出してくる。それには少し気分が悪くなったこととここの会場はまた違う市民団体。私の肌にすこしあわないが上から言われた現場と思ってきたがまだイベントは2時間も続く。2時間も立っていられないと考えて会場を4時に出た。
布施までタクシーを飛ばすつもりだったが少しでも奈良の自宅に早く帰って現場2本の記事を書かないといけないと考えて鶴橋に出た。
4時10分、特急電車は50分、これはあかん。時間がもったいない。
快速急行に乗ることにした。
一番後ろの車両に行った。
4時過ぎた電車なのに満員、座れないと思った。それがJR環状線大阪行きホームのエスカレーターのすぐ側だったので降りる人が多かった。
1番前に並んでいたので降りる人が多かったので幸い、座れた。
奈良に戻ると5時前、遅れている中循環バスがきたので飛び乗った。自宅に着くと5時過ぎ。シャワーを浴びて夫が買ってきた柿の葉ずしと鰯の汁で夕食。洗い物してパソコンの前に早々と座って原稿を片付けた。2本を仕上げると時計は11時、11時に寝ているのに眠りについたのは12時、集中力で一気に原稿を作るとその後、頭がさえて眠れない。いつものことである。
なんとか12時に眠りについた。
昨日、朝、近鉄電車、難波行にのった。11時過ぎのことである。
新大宮から乗った若い女性、新大宮からずっと化粧、鶴橋で降りるときも化粧、
私は向かいに座っていたので何度か注意をしたがやめない。
年輩の婦人は私の方を見て頷いているのにやめない。どうどうと大きい鏡を見て下地からアイシャドウまでしていく。すごい度胸なのか。この人にすればこれが快感なのか。なんと侘しい人である。
またこのことはジャーナリスト・ネットで書くことにしよう。
日本社会のマナーはどこまで崩れていくのか。
この子も奈良市内に住んでいるだろう。
奈良の親の教育、学校教育に問題があるのではと思っている。
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