明日も京都の現場、朝が早い。
やっとしていたものができたのでひと段落がついた。
あれもしなければいけない。これもしなければいけない。この中で本も新聞も読まなければならない。そろそろまた春の服に衣替えしないといけない。クロー--ゼットには冬物ばかりがぶらさがっている。まだ寒い。それでも春は1日1日やってきている。
地球温暖化でまた長い夏をすごさなければならない。
季節のいい春と秋は短くなった。
だんだん季節がなくなっていく。どうすれば歳時記にあった自然になるのだろうか。
昨日琵琶湖の水辺にヨットがいくつか浮かんでいた。気の早い若者たちが湖にもってきたのだろう。
世の中は物があふれてしまった。
私の若い頃はヨットをのる人はブルジョの世界で私とはまったく縁のない人たちだった。それでも海の映画に憧れた。
「太陽の季節」はもちろん、そして「エデンの東」に「太陽がいっぱい」なんて映画があった。
「あのころ何もなかったけれど心は豊かでみんな希望にもえていました」と話したのは昨日、JR石山駅から石山寺までタクシーを乗った運転手が話していた。彼は昭和22年生まれ、1947年生まれである。
「よく似た時代を過ごしてきたので話があいますな」と言っておられた。
本当に日本の国、何もなかった。服も全部母親の手作りだった。それに食べ物も。冬はどんなに温かいご飯を食べたかったことか。おくどさんで炊いたご飯はもう冷たい。会社勤めの父親のご飯とOL生活をしていた私のご飯は丼に入れてまたそれを丼で蓋をして風呂敷に包んで電機コタツの中にいれて温めてくれていた。電機コタツは高校時代に我が家にやっとあった。テレビも高校1年の終わりだった。洗濯機も同じくらいだった。やがてガス釜がきたがこの時もまだ保温ジャーがなくてどんなに温かいご飯を食べたかったことか。今でも冷たいご飯が嫌いで温かいご飯にして食べる。電機釜になってもまだ保温装置がなかった時代があった。
結婚してからしばらくして電子ジャーが一般家庭にも使われるようになって電子ジャーは宝物だった。それもいつのまにか電機釜に保温装置がついて便利になった。温かいご飯がいつでも食べられる。
日本がこうして文明的な生活になったのは1970年代後半からである。まだ40年そこそこである。それが今の若い人たちには理解できないらしい。
さてもう休まないといけない。
明日は少し早起きになりそうだ。
やっとしていたものができたのでひと段落がついた。
あれもしなければいけない。これもしなければいけない。この中で本も新聞も読まなければならない。そろそろまた春の服に衣替えしないといけない。クロー--ゼットには冬物ばかりがぶらさがっている。まだ寒い。それでも春は1日1日やってきている。
地球温暖化でまた長い夏をすごさなければならない。
季節のいい春と秋は短くなった。
だんだん季節がなくなっていく。どうすれば歳時記にあった自然になるのだろうか。
昨日琵琶湖の水辺にヨットがいくつか浮かんでいた。気の早い若者たちが湖にもってきたのだろう。
世の中は物があふれてしまった。
私の若い頃はヨットをのる人はブルジョの世界で私とはまったく縁のない人たちだった。それでも海の映画に憧れた。
「太陽の季節」はもちろん、そして「エデンの東」に「太陽がいっぱい」なんて映画があった。
「あのころ何もなかったけれど心は豊かでみんな希望にもえていました」と話したのは昨日、JR石山駅から石山寺までタクシーを乗った運転手が話していた。彼は昭和22年生まれ、1947年生まれである。
「よく似た時代を過ごしてきたので話があいますな」と言っておられた。
本当に日本の国、何もなかった。服も全部母親の手作りだった。それに食べ物も。冬はどんなに温かいご飯を食べたかったことか。おくどさんで炊いたご飯はもう冷たい。会社勤めの父親のご飯とOL生活をしていた私のご飯は丼に入れてまたそれを丼で蓋をして風呂敷に包んで電機コタツの中にいれて温めてくれていた。電機コタツは高校時代に我が家にやっとあった。テレビも高校1年の終わりだった。洗濯機も同じくらいだった。やがてガス釜がきたがこの時もまだ保温ジャーがなくてどんなに温かいご飯を食べたかったことか。今でも冷たいご飯が嫌いで温かいご飯にして食べる。電機釜になってもまだ保温装置がなかった時代があった。
結婚してからしばらくして電子ジャーが一般家庭にも使われるようになって電子ジャーは宝物だった。それもいつのまにか電機釜に保温装置がついて便利になった。温かいご飯がいつでも食べられる。
日本がこうして文明的な生活になったのは1970年代後半からである。まだ40年そこそこである。それが今の若い人たちには理解できないらしい。
さてもう休まないといけない。
明日は少し早起きになりそうだ。
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