鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

もう日曜日、4時が過ぎた。

2009-01-18 16:44:05 | 直言!
久しぶりの雨、それもしとしとと静かに降っている。
風がないがなんとなく冬の雨と思う。
もうそろそろ水炊きの支度をしなければならない。
今日の夕食は鍋である。
鍋物の好きな夫が昨日、材料を買って来た。
私はあんまり鍋がすきでないが----。
長いこと食材を買っていない。
13日に検査のために病院に行った帰りに食材を買って来たがずっと冷蔵庫の中にあるもので夕食の支度をしてきた。
もうそろそろ購入に行かないといけないが買出しは疲れる。重くて疲れる。
寄る年端を思う。

朝、夫は映画を見ていた。
高倉健が出て倍賞美智子が出ている「遥かなる山の声--」だったのか。
山田洋二監督の作品らしい。景色や内容にそう思う。
高倉健もまだ若かった。20年ぐらい前に作られた映画だろうか。

昨日、なにげなしにBS11のチャンネルをまわすと昔なつかしいフォークソングをしていた。出ている人のトークが面白いのと古い映像のフオーク歌手に時代を遡って自分を思い出していた。ばんばふみおに谷村さんのトークは面白い。人間味があふれていて普通の人が聞いていても共感できる。
私はもう結婚していてほとんどフォークのことは知らなかったが古い映像に子育てをしていたころを思い出していた。
皆、若者たちの格好はジーズンという少しだらしないが気持は燃えていた。キラキラしたものがあった。心が綺麗で親から教わった生方のルールを知っていた。井上陽水さんの歌はどれも胸にしみる。心の純粋さが伝わってくる。だから共鳴するのだろうか。
そんなころの私はどうしていたのだろうか。

今の歌も未来は過去のものになるがどうしても理解できない歌ばかりで聞いていると頭痛がするのでテレビのチャンネルを変えてしまう。
心に染みてこない。何故だろう。
何でもありの世の中に伝わるものがない。
同じ世代の若者たちには伝わるのだろうか。新人類の世界が理解できない。
新人類もおばさんの世代が理解できないというだろうが物はなくても貧しくても世の中のルール、人間としての生き方を親たちは放棄しないで伝えた。
現在の親は放棄したら放任主義とうそぶき干渉は過保護になって子どもの自立の仕方を教えることができない。
子どもの手をしっかり握っていなければならないは小学校から中学校、中学校から高校に行く時は手は離しているが目はそらさなかった。
親はあんたを育てるのに必死だから社会人になるまで親はあんたに責任があると体当たりしながら伝えてきた。
大学に行き社会人になると自分1人で育ったように思っているがこれがまた親として代償を求めない親の愛情かもしれない。

1970年~1980年代、日本は高度経済成長にのぼっていくのに在日コリアンの1世の故郷は南北に分断されて双方の政治団体が熾烈な戦いの中にあった。
私は民団奈良の人が訪ねてきて韓国籍の切り替えと永住権の話をされたが私は「帰化をしますから」とすぐに帰ってもらった。
また奈良の総連系も訪ねてきたが「政治に関心ありません」と言ってすぐに帰ってもらった。
「帰化」をするのに借家ではいけない。とりあえず持ち家をもたないといけない。
そして息子が中学に行ったら持ち家を購入しないといけないと私なりの漠然とした考えを持っていた。
ようやく息子が中学1年の冬に小さな分譲マンションをローンで購入して現在の所に引っ越しをしてきた。
そして「帰化」の準備をし始めた。
それがどうしたことなのか。
雑誌記者をして4年になると「日本人のふりをして日本の記事を書きたくない」という心の葛藤に頭をもたげることになった。
これがきっかけで民団奈良に韓国語を習いに行った。
かつて借家に住んでいた佐紀町の家に訪ねて来られた人が民団奈良の事務局長をしておられた。
人生の縁とは不思議なものである。
そして韓国から赴任して来られた韓国政府派遣教師は私の将来を見据えて在日韓国人の新聞社に転職させた。
これが私の人生の180度回転した始まりである。
私がしたわけでもない。
誰か私の先祖がそうした縁に合わされるように運んでくれたと思っている。
フオークソングを聞きながらこんなことを思い出していた。

もう4時半、夕食の支度をしないといけない。
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