今は山の麓はたくさんの家が建て込んでいて神秘的に風情はない。
しかし静かに立ち上っていくその風景は人間では作れないものだと感じる。
古代ここの山の麓は春日の森で神とあがめられた森で人々は高円山一帯を崇拝してきたのだろう。山の麓は平野だったのか。田んぼだったのか。原野だったここから立ち上る朝もや、人々は神とあがめたのだろうか。
そんなことを思いながら1枚の写真におさめた。
写真の腕はよくないのできれいに見えないが現実はゆっくりと立ち上る朝8時の風景である。
これから私は病院にいかなければならない。
膝治療のための病院行きである。歩きすぎて少し膝が痛い。
今日は病院の帰り久しぶりに午後からはゆっくりできる。病院の帰り喫茶店で新聞を読んでこよう。
雑用はあれこれと残っているが一時それを忘れて新聞をよんでこよう。
この1週間、新聞読んでも斜め読みだった。
喫茶店で新聞よんでいても現場に入る時間が気になってゆっくりとよめなかった。
そんなことで今日は喫茶店でゆっくりと新聞と本を読むことができる。周りは大勢コーヒーを飲んでいるのに私は黙って新聞を読んでいる。至福の時間である。
昨日はもう9時に布団の中に入った。
女友達の話、昨日はややもすれば自慢話が多くてちょっと聞くのに疲れた。
おきていても疲れるだけと考えてすぐに寝た。
女友達の自慢話はずっと続いている。しかしこの頃はちょっとどこか違う。ちょっとずれている。年齢を重ねてきて回りに付き合う友人はブランドママたちばかりなのだろうか。
ブランドママ。私が作った造語である。
お金持ちの奥さんで子育てもブランドに育てて家庭もブランド家庭、育てた子どもはみんな大手企業に就職して、もらった嫁さんや娘婿も超一流大学を出ている。そしてその孫たちは一流大学をでた親の教育はまた2・3歳児から英語にピアノにテニスとかよわせているブランドママのミニママが出現している。
女友達の家庭もそうで息子たちの家庭も英才教育に忙しくしている嫁の話を何度も聞かされた。
自分のところが1番である。
親子揃って-----。
それがその日暮らしをしている私となぜか仲がいいのである。
なぜかしらないが-----。
子育てのころ奈良市佐紀町という閉鎖的な町に住んでいてよそ者をいれないという村的志向の中で人付き合いをしていた。
こんな中でPTA活動は2人の市議会議員を挟んで熾烈な派閥ができてPTA活動もこんな中に巻き込まれていった。
選挙権のない私はそんな派閥の中に足をむけなかった。
それでもそんな人たちになんどかだきこまれそうになったが中立を通した。
中立だから孤独感もいっぱい味わった。(孤独感はいつのまにか地方紙の投稿欄に投稿することで自分を見出していた)
そして女友達も子どもの成績は抜群、都会的センス抜群で容姿もきれいな女友達を巻き込もうとしたが聡明な彼女はいっさい振り向かなかった。
中立を通した。このところが私と女友達と一致した。
だから見えないところで2人はいじめられた。
同じ化粧品メーカーの化粧品の訪問販売する2人の女性化粧品セールスにも派閥があって1人から買えばもう1人にそこらへんにあることないこと悪口を言われていた。
化粧品ぐらい同じクラスの保護者から買ってもいいものなのにこれさえもいじめの対象になった。
奈良と言う町に女友達も私も辟易したものだった。
いつのまにか2人は仲がよくなっていた。
ずっと仲良くしてきているが女友達のブランドママ話に最初は黙ってきいているがこれが長くなってくると私は疲れてくる。
私はここのところで踵をかえしている。
あっそうか。彼女はこんな話を他では受け入れてもらえないので私に話してストレス解消にしているのだろう。
そう思うと黙ってきいているが昨日の最後に言った言葉で悲しくなった。
この人は見下げて話している。この人とは対等に話している。
だがまてよ。私は彼女より3歳年下だが私はお姉さんと思ってたてて話をしているのに彼女は私を見下げて話していたのか。人間性の隙間を見る思いで悲しくなった。ちょっと心が疲れて早く寝てしまった。
高円山の麓、また朝もやがたちこめている。
空中に立ち込めている霧がこうして自然の景色を作っている。今の季節だから見られるのだろう。夏なら雲になって入道雲になり夕立になるが今の季節は一挙に上らないでゆっくりと上っていく。そして水滴が雲に散らばっていくのだろうか。秋の雲のうろこ雲に風情を思う。
しかし静かに立ち上っていくその風景は人間では作れないものだと感じる。
古代ここの山の麓は春日の森で神とあがめられた森で人々は高円山一帯を崇拝してきたのだろう。山の麓は平野だったのか。田んぼだったのか。原野だったここから立ち上る朝もや、人々は神とあがめたのだろうか。
そんなことを思いながら1枚の写真におさめた。
写真の腕はよくないのできれいに見えないが現実はゆっくりと立ち上る朝8時の風景である。
これから私は病院にいかなければならない。
膝治療のための病院行きである。歩きすぎて少し膝が痛い。
今日は病院の帰り久しぶりに午後からはゆっくりできる。病院の帰り喫茶店で新聞を読んでこよう。
雑用はあれこれと残っているが一時それを忘れて新聞をよんでこよう。
この1週間、新聞読んでも斜め読みだった。
喫茶店で新聞よんでいても現場に入る時間が気になってゆっくりとよめなかった。
そんなことで今日は喫茶店でゆっくりと新聞と本を読むことができる。周りは大勢コーヒーを飲んでいるのに私は黙って新聞を読んでいる。至福の時間である。
昨日はもう9時に布団の中に入った。
女友達の話、昨日はややもすれば自慢話が多くてちょっと聞くのに疲れた。
おきていても疲れるだけと考えてすぐに寝た。
女友達の自慢話はずっと続いている。しかしこの頃はちょっとどこか違う。ちょっとずれている。年齢を重ねてきて回りに付き合う友人はブランドママたちばかりなのだろうか。
ブランドママ。私が作った造語である。
お金持ちの奥さんで子育てもブランドに育てて家庭もブランド家庭、育てた子どもはみんな大手企業に就職して、もらった嫁さんや娘婿も超一流大学を出ている。そしてその孫たちは一流大学をでた親の教育はまた2・3歳児から英語にピアノにテニスとかよわせているブランドママのミニママが出現している。
女友達の家庭もそうで息子たちの家庭も英才教育に忙しくしている嫁の話を何度も聞かされた。
自分のところが1番である。
親子揃って-----。
それがその日暮らしをしている私となぜか仲がいいのである。
なぜかしらないが-----。
子育てのころ奈良市佐紀町という閉鎖的な町に住んでいてよそ者をいれないという村的志向の中で人付き合いをしていた。
こんな中でPTA活動は2人の市議会議員を挟んで熾烈な派閥ができてPTA活動もこんな中に巻き込まれていった。
選挙権のない私はそんな派閥の中に足をむけなかった。
それでもそんな人たちになんどかだきこまれそうになったが中立を通した。
中立だから孤独感もいっぱい味わった。(孤独感はいつのまにか地方紙の投稿欄に投稿することで自分を見出していた)
そして女友達も子どもの成績は抜群、都会的センス抜群で容姿もきれいな女友達を巻き込もうとしたが聡明な彼女はいっさい振り向かなかった。
中立を通した。このところが私と女友達と一致した。
だから見えないところで2人はいじめられた。
同じ化粧品メーカーの化粧品の訪問販売する2人の女性化粧品セールスにも派閥があって1人から買えばもう1人にそこらへんにあることないこと悪口を言われていた。
化粧品ぐらい同じクラスの保護者から買ってもいいものなのにこれさえもいじめの対象になった。
奈良と言う町に女友達も私も辟易したものだった。
いつのまにか2人は仲がよくなっていた。
ずっと仲良くしてきているが女友達のブランドママ話に最初は黙ってきいているがこれが長くなってくると私は疲れてくる。
私はここのところで踵をかえしている。
あっそうか。彼女はこんな話を他では受け入れてもらえないので私に話してストレス解消にしているのだろう。
そう思うと黙ってきいているが昨日の最後に言った言葉で悲しくなった。
この人は見下げて話している。この人とは対等に話している。
だがまてよ。私は彼女より3歳年下だが私はお姉さんと思ってたてて話をしているのに彼女は私を見下げて話していたのか。人間性の隙間を見る思いで悲しくなった。ちょっと心が疲れて早く寝てしまった。
高円山の麓、また朝もやがたちこめている。
空中に立ち込めている霧がこうして自然の景色を作っている。今の季節だから見られるのだろう。夏なら雲になって入道雲になり夕立になるが今の季節は一挙に上らないでゆっくりと上っていく。そして水滴が雲に散らばっていくのだろうか。秋の雲のうろこ雲に風情を思う。
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