鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は晴れ、晴れ

2006-06-05 08:31:59 | 直言!
これは仕事で飛び回っていた主婦の知恵である。昔は苦労した。毛布洗いやコタツ布団も風呂場で足でもんで洗って何度も何度もすすいで、そして絞るときは大変である。少しづつ絞っていくが絞ってもまだ水がぽたぽたしていた。
今は容量の大きい洗濯機だと掛け布団1枚は楽にあらえるのである。
外はいい天気でもう半そでのジャケットを着ても寒くはないがもうちょつと長袖のジャケットだ。こんな年になると早くから人前に肌を出すのが恥ずかしい。これも長い人生を生きてきた人間関係の知恵である。
娘時代は絶対に袖のついた半そでだった。父親は娘の服装を厳しく見ていてちよとでも肌を出すと日曜日の夕食の時に言われた。
「だれに見せるのだ」
本当に憎らしい父親だった。
私の娘時代、1960年の後半から奈良にもスーパ系の衣料品店が開店した。
大阪でにもたくさんオープンした。
どこで買ったのか忘れたがピンクと白の細いベンシルストライプのブラウスを1枚買った。このブラウスは袖なしでノースリーブだった。しかし下に紺のスカートと合わすと当時はそれなりのファッションで時代の先をいっていた。
私はこれを着て通勤するのだが父親は見ていないと思っていたら父親はどこかでみていた。
そして娘に憎たらしいことをいった。
時代遅れの父親と心の中で思い父親がいるときは着なかったが会社からの帰りが遅いと分かるときは着ていった。
そのうち時代はすこしづつかわり町に袖なしのブラウスを着る女性が増えてくると父親は何もいわなくなった。
本当にハラハラさせた娘である。
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布団で思い出した。
母親と一緒に1番奥の座敷、8畳の部屋で布団の綿の打ち直しをよくした。
この仕事はしんどかった。
打ち直しが終わると母親は最後、大きな布団針で飾りの糸を通していた顔を思い出す。やりとげた充実感だった。
私が中・高校のときの母親はまだ30代半ばだった。
こんなに若いのに会社勤めの父親の給料では長男の嫁の務め、祭祀もできないということでリヤカーをひっぱつて廃品回収業をしていた。
今考えると根性のある母親だった。
そして昔かたぎの父親のいうとおりにする。よく意見の食い違いをしていた。
夫婦喧嘩のたえない家庭だった。
男勝りで商いの目はあった。
父親は自分の家を残しただけだったが母親は廃品回収業をして土地を2つ残した。
せっせっと働いて残して買った。
人に借金することだけは父親は嫌いで土地を買うとなるとよく喧嘩していた。
現金を持って残しておきたい父と現金は土地に投資して残していく商いの感覚の母親とは意見がくいちがいいつも喧嘩していた。
商売で必要とする土地の購入を父親は許可した。
もし父親に度胸のある人だったら----。
土地投資して金持ちになったのか。
いや借金で買うと大変なことになる。
父親の堅実な生き方がうちの家族にあっていたのだろう。
大金持ちにもなれずただ汗をかいて仕事をしていく人生を自分の子どもたちに伝えた。
何がいいのかわからない。
布団は今日はよく乾くだろう。しかし日本社会はいろんなニュースを伝えている。
マネーゲームとも言われた人もおよそ今日は山場といわれている。
こんな人の生き方をみていてやはり汗して働くことの大切さを思う。
夏に近い晴れの天気、冬の寒いときにホリエモン事件が動きまた半年して違う投資家が山場を迎えた。
こんなことを日本の政府はどういうふうにしてみているのだろうか。
こういう社会を作った国会議員も認識をかえなければならない。
子どもの教育は親の生き方にもある。
これは現在の国会議員の生き方にも見えてくる。
お金持ちがまたお金を生み年金生活者にはなにかといって増税のきざしである。
ニートやフリーターを生んだ日本社会、このつけに国会議員は認識を変えてとりくまなければならない。
天気のいい朝にまたいろんなニュースが流れている。
なげかわしいニュースにテレビを消したくなる。
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