背後で聞こえてくる。
「あたりまえや。まだ冬や」
そうです。まだ冬です。
冬の寒い時に夫の母親の法事があるので昨日は京都に向かった。
昔は夜中12時ギリギリにしていたが1世が亡くなってからは7時ごろに済ませている。3世あたりになると日本企業に勤務しているので翌日の仕事があることと、この頃の法事はよく雪にあう。
1度は大雪で積雪のところ国道24号線に車を走らせて奈良に戻ったことがあるので早く済ませて帰路に着くようにしている。
昨日も1日朝から雨である。
夕方5時過ぎにでるが雨はいっこうにやみそうにもない。
雨の中を行きしなは高速道路を走っていった。
若い人の仕事の帰りを待って7時に法事をした。
正月にお腹を壊したとはいえないが小食で野菜と汁で済ませた。
義姉が心配している。小食なので心配しているが「ちょっと胃腸を壊したので」と言っただけで他のことは言わなかった。
台所のテーブルに座って夫の兄の子どもたちやその子どもたちと話していた。
8時になったら夫は帰ると行ったので帰る支度をすると小さなちびたちは「もう帰るの」と言っている。
ちびたちにそんな言葉を聞いただけでうれしくなるが早く奈良に戻らないといけない。雨が雪に変わったら怖い。
帰りは国道24号線を走った。
夜の9時前の気温、木津川市にある泉大橋の温度の表示を見ると4度、4度なら雪にならないと安心した。
9時過ぎに自宅にもどると頂いてきたばかりの法事の惣菜、たこを切ってほしいと夫は言う。たこを切ると自宅に着いた安心でわさび醤油をつけてビールを飲んでいる。
私は頂いた和菓子を1個、熱いお茶で食べた。
しばらくするとまたお腹が痛い。
トイレにいく。10時前にフトンに入って布団の中で読みかけの文庫本を読んだが30分もすれば眠たくなってきた。そのまま心地良く寝たのにまた夜中にお腹が痛い。トイレに行くと少し下痢便になる。
何が悪いのかわからない。
夫は「和菓子1個余分や」と言われてしまった。
その後、朝の6時の目覚まし時計までぐっすりと寝込んだ。
夕べはパソコン開かなかったが朝開けると小学校の同級生からメールが入っていた。嬉しい。やっぱり小学校の同級生は懐かしくて嬉しい。
年を取ってきて子どものころの同級生、温かさと大事さがわかってきた。
そうそう昨日、夫の兄の子どもたちと話していたときに義姉が鯨肉を子どものころよく食べた話をしていた。子どものころ食べた鯨肉の話で盛り上がった。
そして私は1つ面白い話を紹介すると言って鯨肉にまつわる話をした。
私と同じ年の男性も子どもの頃は鯨肉ばかり食べていた。
子どもの頃はやんちゃで、ごんたさんの子どもだったという。
牛肉は年に数えるほどである。当時の日本の家庭は皆そうだった。
ごんたな、やんちゃ坊主さんは母親に言った。
「家で飼っている牛をつぶして牛肉を出してほしい」と駄々をこねた。
そしたら母親は賢い人でユニークな人だった。
「牛より鯨が大きい。だから鯨がいいのや」と。
この話を夫の甥や姪に話したとたん、まわりは爆笑になった。
そして1人の姪は言う。
「そのお母さん。賢いおかあさんやね。面白おかしくして子どものこころをつかんでおられる」と。
なるほど。だからユニークな感性に育っていくのかと納得して聞いていた。
話が盛り上がっているところで帰る支度をしなければならなかった。
明日は2カ所で仕事がある。
朝は大阪南港、午後は堺市の現場である。
もう体力は大分回復しているが無理をしないようにしないといけない。
これか堺市の地図を検索はなければならない。
朝から小学校の同級生のメールに心がぽっと温かくなった。
「あたりまえや。まだ冬や」
そうです。まだ冬です。
冬の寒い時に夫の母親の法事があるので昨日は京都に向かった。
昔は夜中12時ギリギリにしていたが1世が亡くなってからは7時ごろに済ませている。3世あたりになると日本企業に勤務しているので翌日の仕事があることと、この頃の法事はよく雪にあう。
1度は大雪で積雪のところ国道24号線に車を走らせて奈良に戻ったことがあるので早く済ませて帰路に着くようにしている。
昨日も1日朝から雨である。
夕方5時過ぎにでるが雨はいっこうにやみそうにもない。
雨の中を行きしなは高速道路を走っていった。
若い人の仕事の帰りを待って7時に法事をした。
正月にお腹を壊したとはいえないが小食で野菜と汁で済ませた。
義姉が心配している。小食なので心配しているが「ちょっと胃腸を壊したので」と言っただけで他のことは言わなかった。
台所のテーブルに座って夫の兄の子どもたちやその子どもたちと話していた。
8時になったら夫は帰ると行ったので帰る支度をすると小さなちびたちは「もう帰るの」と言っている。
ちびたちにそんな言葉を聞いただけでうれしくなるが早く奈良に戻らないといけない。雨が雪に変わったら怖い。
帰りは国道24号線を走った。
夜の9時前の気温、木津川市にある泉大橋の温度の表示を見ると4度、4度なら雪にならないと安心した。
9時過ぎに自宅にもどると頂いてきたばかりの法事の惣菜、たこを切ってほしいと夫は言う。たこを切ると自宅に着いた安心でわさび醤油をつけてビールを飲んでいる。
私は頂いた和菓子を1個、熱いお茶で食べた。
しばらくするとまたお腹が痛い。
トイレにいく。10時前にフトンに入って布団の中で読みかけの文庫本を読んだが30分もすれば眠たくなってきた。そのまま心地良く寝たのにまた夜中にお腹が痛い。トイレに行くと少し下痢便になる。
何が悪いのかわからない。
夫は「和菓子1個余分や」と言われてしまった。
その後、朝の6時の目覚まし時計までぐっすりと寝込んだ。
夕べはパソコン開かなかったが朝開けると小学校の同級生からメールが入っていた。嬉しい。やっぱり小学校の同級生は懐かしくて嬉しい。
年を取ってきて子どものころの同級生、温かさと大事さがわかってきた。
そうそう昨日、夫の兄の子どもたちと話していたときに義姉が鯨肉を子どものころよく食べた話をしていた。子どものころ食べた鯨肉の話で盛り上がった。
そして私は1つ面白い話を紹介すると言って鯨肉にまつわる話をした。
私と同じ年の男性も子どもの頃は鯨肉ばかり食べていた。
子どもの頃はやんちゃで、ごんたさんの子どもだったという。
牛肉は年に数えるほどである。当時の日本の家庭は皆そうだった。
ごんたな、やんちゃ坊主さんは母親に言った。
「家で飼っている牛をつぶして牛肉を出してほしい」と駄々をこねた。
そしたら母親は賢い人でユニークな人だった。
「牛より鯨が大きい。だから鯨がいいのや」と。
この話を夫の甥や姪に話したとたん、まわりは爆笑になった。
そして1人の姪は言う。
「そのお母さん。賢いおかあさんやね。面白おかしくして子どものこころをつかんでおられる」と。
なるほど。だからユニークな感性に育っていくのかと納得して聞いていた。
話が盛り上がっているところで帰る支度をしなければならなかった。
明日は2カ所で仕事がある。
朝は大阪南港、午後は堺市の現場である。
もう体力は大分回復しているが無理をしないようにしないといけない。
これか堺市の地図を検索はなければならない。
朝から小学校の同級生のメールに心がぽっと温かくなった。
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