昨日の昼間は暑かった。
そして今朝、ベランダにでるとひんやりして寒い。
やっと秋になるのかな。
また昼間、暑くなるのだろうか。
夫は今日から出かけた。
今度の風邪はきつかった。
さては私の夏の手抜き料理だったのか。
今夏も暑くて暑くて台所に入るのは最低限にした。
油物の炒め物もほとんどしなかった。
電子レンジで温野菜にしてドレシッングやもろみなどつけて食べた。
たいてい素麺にしていた。
たいてい食欲のある夫は食欲がないといったのは今夏の終わりの季節に初めてだった。これには私は驚いた。
昔、1世の親がしてくれたように鶏肉丸ごとはなかなか手に入らないので手羽先と胸肉をたくさん鍋に入れてスープにした。
半分は冷蔵庫に保存した。
鍋に少しスープを残してカレーにするとものすごく美味しかった。
夫も美味しいといって食べていた。
3回、このスープを飲んで病院の薬を飲んでいると激しい咳が弱まってきた。
昨日は鰻を1匹、蒲焼したものを買ってきて鰻丼にすると美味しいといって食べていたのでやっと安心した。
9月28日の金曜日、村田諒太さんを「徹子の部屋」で見たことをブログに書いた。コメント下さった方のコメントは悪いものではないので公開にした。
また今朝、見るといつもブログを読んで下さっている岐阜県の男性のコメントが入っていた。
この年になってくるとテレビにでてくる有名人に心ときめく程度になりました。もう恋もどこかに飛んでいきました。女性もある程度、年を取ってくると枯れていく。恋にも枯れていくといものを知った。
ただ久しぶりにうれしかったのは-----。
知人の同級生に私が片思いした人がいた。
話もしないで卒業していったのでまったくもてなかった私のことは覚えていないと思っていた。それが同窓会などで彼のことを知って私のことを聞いてみたらしい。私のことを覚えていたということに嬉しく心が10数年ぶりに高鳴っていた。けれどもう同級生の友だち感覚というものです。
これが年を重ねたときめきだなと思った。それ以上、何もない、年を重ねたことです。
高校時代は1960年から3年間、まだまだ日本の国は貧しかった。
朝鮮戦争の軍需物資の調達で日本の経済はようやく復興していった。
それでもまだ一般家庭にテレビが普及していくのは1962・3年頃からです。
「新しい家庭のあり方」を教えてくれた先生がいた。
新しい家庭のモダンな家作りも教えてくれた。
ただ憧れで羨望の授業だった。そんな時代に高校時代を過した。
田園が広がる中を片思いの彼の背中を見て歩いた。
それでも言葉を交わすことができなかった。
それが人生を長く歩くと巡りに巡って彼と同級生という人と知り合った。
若い頃は片思いをしたことは人に話せなかったが50歳近くになると結構、人に話せるようになった。
そんな懐かしい朗報でした。
けれどおてんばだった私は子ども時代と同じようにただ真面目で何も面白くない人間です。変わったといえばよく話すようになったこと。
小学校の同級生が「無口なヒラカワがなんで6つの口あるねん」といわれる。
高校の同級生は「何もしやべらへんかったのに、今はうるさいほどしやべる」といわれている。
1960年代の前半を懐かしく思い出していた。
村田諒太さんのテレビを見る私に乙女とコメントを書いてくれました。
昔から吉永小百合や浜田光夫が好きだった。
清純に憧れた。
今もそうだが長いこと年を重ねてくると男女関係は友達でいることが1番、気楽と分かってくる。他愛もない話をして食べて飲んでこれが1番気持が落ち着いて楽です。仕事の中でも「女と思ってない」と時々、男性陣たちにいわれてきたがこのほうがものすごく気持が楽です。
そんなことで-------。
男性たちの猥談に私はつい横から水をさして話を壊してしまうこともしばしばあります。他の女性たちはほとんど腰を折ることができないが私は仕事の現場で何度も何度も直面してきてその話を壊すことで話題を変えてきた。
そうすることで何事もなく仕事をすることができた。
男性と話すことは学ぶことがとても多いので懇談は好きです。
しかし男性が女性を女として見出すと私は引いてしまう。
また同じ女性もそれを目的に来る女性にも最初は黙ってみているがなんどか積み重なると私は引いてしまう。それから無視してしまう。
どんないい企画の取材要請でも無視をしている。
そんな女性はそうした類の集る男性のところに行けばいいと思っている。
同じ女性として恥ずかしくて見ておられない。
30代、40代の女性でも男好きのする年齢でそんな女性たちは恋をしているときは美しい。人知れず恋をしている人は美しい。
恋は人知れずすることでその人に秘めた色香があるのです。
男を求めてうろうろするその女性には気品も何もない。
年を重ねてくると最初は素性が見えなくても生き方は自然に出てきている。
おぞましいほどのふるまいに吐き気がする。
つい無視をしてひいている私です。
テレビで村田諒太さんを見てときめいていることで至福の時間です。
清清しい村田諒太さん、本当に喫茶店で見たときも好青年でした。
これからも家族を大切にして社会人として金メダリストとして恥じない人生を送ってもらうことを遠くから見守っている奈良のおばちゃんです。
奥さんと奈良公園でデートしましたか。
息子が高校時代に私によくいいました。
「奈良公園でデートすると『さいなら』になる」と。
こんな話も聞いて奈良で育った村田諒太さんでしょう。
奈良市立伏見中学校は近鉄大和西大寺駅近くにある。
南に少しいくと西ノ京、東に行くと佐紀町で歴史文化の宝庫、平城宮跡があります。そこから足を伸ばすと奈良公園にもでてくる。
こんな奈良にまた寄与してもらいたいものです。
今日は美容院でいす。身支度です。また----。
そして今朝、ベランダにでるとひんやりして寒い。
やっと秋になるのかな。
また昼間、暑くなるのだろうか。
夫は今日から出かけた。
今度の風邪はきつかった。
さては私の夏の手抜き料理だったのか。
今夏も暑くて暑くて台所に入るのは最低限にした。
油物の炒め物もほとんどしなかった。
電子レンジで温野菜にしてドレシッングやもろみなどつけて食べた。
たいてい素麺にしていた。
たいてい食欲のある夫は食欲がないといったのは今夏の終わりの季節に初めてだった。これには私は驚いた。
昔、1世の親がしてくれたように鶏肉丸ごとはなかなか手に入らないので手羽先と胸肉をたくさん鍋に入れてスープにした。
半分は冷蔵庫に保存した。
鍋に少しスープを残してカレーにするとものすごく美味しかった。
夫も美味しいといって食べていた。
3回、このスープを飲んで病院の薬を飲んでいると激しい咳が弱まってきた。
昨日は鰻を1匹、蒲焼したものを買ってきて鰻丼にすると美味しいといって食べていたのでやっと安心した。
9月28日の金曜日、村田諒太さんを「徹子の部屋」で見たことをブログに書いた。コメント下さった方のコメントは悪いものではないので公開にした。
また今朝、見るといつもブログを読んで下さっている岐阜県の男性のコメントが入っていた。
この年になってくるとテレビにでてくる有名人に心ときめく程度になりました。もう恋もどこかに飛んでいきました。女性もある程度、年を取ってくると枯れていく。恋にも枯れていくといものを知った。
ただ久しぶりにうれしかったのは-----。
知人の同級生に私が片思いした人がいた。
話もしないで卒業していったのでまったくもてなかった私のことは覚えていないと思っていた。それが同窓会などで彼のことを知って私のことを聞いてみたらしい。私のことを覚えていたということに嬉しく心が10数年ぶりに高鳴っていた。けれどもう同級生の友だち感覚というものです。
これが年を重ねたときめきだなと思った。それ以上、何もない、年を重ねたことです。
高校時代は1960年から3年間、まだまだ日本の国は貧しかった。
朝鮮戦争の軍需物資の調達で日本の経済はようやく復興していった。
それでもまだ一般家庭にテレビが普及していくのは1962・3年頃からです。
「新しい家庭のあり方」を教えてくれた先生がいた。
新しい家庭のモダンな家作りも教えてくれた。
ただ憧れで羨望の授業だった。そんな時代に高校時代を過した。
田園が広がる中を片思いの彼の背中を見て歩いた。
それでも言葉を交わすことができなかった。
それが人生を長く歩くと巡りに巡って彼と同級生という人と知り合った。
若い頃は片思いをしたことは人に話せなかったが50歳近くになると結構、人に話せるようになった。
そんな懐かしい朗報でした。
けれどおてんばだった私は子ども時代と同じようにただ真面目で何も面白くない人間です。変わったといえばよく話すようになったこと。
小学校の同級生が「無口なヒラカワがなんで6つの口あるねん」といわれる。
高校の同級生は「何もしやべらへんかったのに、今はうるさいほどしやべる」といわれている。
1960年代の前半を懐かしく思い出していた。
村田諒太さんのテレビを見る私に乙女とコメントを書いてくれました。
昔から吉永小百合や浜田光夫が好きだった。
清純に憧れた。
今もそうだが長いこと年を重ねてくると男女関係は友達でいることが1番、気楽と分かってくる。他愛もない話をして食べて飲んでこれが1番気持が落ち着いて楽です。仕事の中でも「女と思ってない」と時々、男性陣たちにいわれてきたがこのほうがものすごく気持が楽です。
そんなことで-------。
男性たちの猥談に私はつい横から水をさして話を壊してしまうこともしばしばあります。他の女性たちはほとんど腰を折ることができないが私は仕事の現場で何度も何度も直面してきてその話を壊すことで話題を変えてきた。
そうすることで何事もなく仕事をすることができた。
男性と話すことは学ぶことがとても多いので懇談は好きです。
しかし男性が女性を女として見出すと私は引いてしまう。
また同じ女性もそれを目的に来る女性にも最初は黙ってみているがなんどか積み重なると私は引いてしまう。それから無視してしまう。
どんないい企画の取材要請でも無視をしている。
そんな女性はそうした類の集る男性のところに行けばいいと思っている。
同じ女性として恥ずかしくて見ておられない。
30代、40代の女性でも男好きのする年齢でそんな女性たちは恋をしているときは美しい。人知れず恋をしている人は美しい。
恋は人知れずすることでその人に秘めた色香があるのです。
男を求めてうろうろするその女性には気品も何もない。
年を重ねてくると最初は素性が見えなくても生き方は自然に出てきている。
おぞましいほどのふるまいに吐き気がする。
つい無視をしてひいている私です。
テレビで村田諒太さんを見てときめいていることで至福の時間です。
清清しい村田諒太さん、本当に喫茶店で見たときも好青年でした。
これからも家族を大切にして社会人として金メダリストとして恥じない人生を送ってもらうことを遠くから見守っている奈良のおばちゃんです。
奥さんと奈良公園でデートしましたか。
息子が高校時代に私によくいいました。
「奈良公園でデートすると『さいなら』になる」と。
こんな話も聞いて奈良で育った村田諒太さんでしょう。
奈良市立伏見中学校は近鉄大和西大寺駅近くにある。
南に少しいくと西ノ京、東に行くと佐紀町で歴史文化の宝庫、平城宮跡があります。そこから足を伸ばすと奈良公園にもでてくる。
こんな奈良にまた寄与してもらいたいものです。
今日は美容院でいす。身支度です。また----。
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