鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

4月1日(金)エイプリルフールとか。

2011-04-01 08:54:46 | 直言!
今日は嘘をついてもいい日とか。
この頃、春休みで家にいた。
たいてい私は玄関の縁側で人形を作っていた。
ただ作るのが好きで作っていた。
母親が裁縫入れに使っていた大きなかごを持ってきてそこにある布をジョキジョキ切っていたのである日、母親に怒られたことがあった。
そして4月1日になると近所の子ども、私より年下の子どもたちがやってきては「今日は嘘をついてもいい日やなんで」と言ってくる。
しばらくしてまた今度はとてつもない話をしに来る。
どんな話か忘れてしまった。
最初は真に受けていたがやっとエイプリルフールと気がついてほっとしたこともあった。今の子どもたちは嘘をついて喜んで遊ぶことがあるのだろうか。
皆、ませているのでそんなことを嘘とすぐ見抜いてしまうだろうか。
4月1日になると小学校の春休み、玄関の縁側で人形を作っていた自分のことや近所の子どもを思い出す。
この町の周辺も我が家と向かいと何軒かは昔のままのたたずまいだが少し歩くとアパートや駐車場になったりしている。
町は変わっているがやはり子どものころ過ごした町はいつまで経っても懐かしい。

奈良には結婚して43年間住んでいる。
自分が育ったところより長く暮らしている。
仕事の中では私が奈良県出身と思う人が多い。
先日も知人たちと大阪で食事をしたが-----。
「私は京都府相楽郡という田舎、奈良県の県境で生まれて育ったので私はどっちかというとぼんやりしてのほほんとしている」といった。
知人は「そしたら学校は京都府ですか」と聞く。
心の中では(あたりまえ)と思っているが「そうです。京都府の日本の学校を卒業しています。だから韓国語は下手です」と話すと初めて納得されたようだった。民族系統の新聞社にいると民族学校を卒業したと思われがちだが私は町の小・中学校を卒業して地元の府立高校を卒業している。
高校で遠方から来ている同級生と知り合うことになった。
サバンナ八木さんのお父さんも高校の同級生で同じキャンバスの空気を吸ったのである。
このころ私は民族に誇りももてなかった。強いて避けていた。けれど誰かさんみたいに国籍を隠す卑怯なことはしなかった。ありのままに生きていた。
小さい町で国籍を隠すことが町の人たちにすぐに信用をなくすことになるのは目に見えてわかっていた。親はそんなことも知っていたのだろう。
父親は子どもに何度も言い聞かせた。
「在日朝鮮人は日本の歴史が作ったので在日朝鮮人は何も悪いことはしていないし卑下することもない。国籍を話して堂々と生きていけばよい。それには真面目であること。真面目に生きると日本人に信用される。信用されることが大事である」と。私は父親の言葉が心のどこかにあったので国籍を隠すことはしなかった。いつも話していた。
他校の中学校から大勢の高校生がやってくる学校だったが国籍は隠さないでずっと生きてきた。それで同級生で同じクラスだった同胞が2人いて隠し通していた。中の1人がものすごく底意地が悪い。国籍を明らかにしている私は見えない差別を何度も味わっている。高校の時はただたんなる意地悪と思っていたが国籍を隠し通す本人が友だちの中で国籍を言われるのが恐かったのか----。
だから私と仲良くする友だちの仲を何度も裂いては取り上げていった。
大人になってもそんなことがある。やっと最近になってこのことに気がついた。
底意地の悪さにまた気がついた。私はこうした人とは肌が合わない。
他の友だちも日本国籍を取った彼女の生き方を褒め称える。日本国籍を取らない私を変人扱いする。それぞれの事情や生き方があることが理解できないらしい。
何も歴史史実を知らないから。だから彼女たちも私の肌に合わなくなった。悲しいことだが学校教育で日韓関係の歴史史実を学ばなかったことが大人になってもひきずった考えをしている。
小学校の同級生たち、私の1世の親、私の親が町でどんな生活をしたのかつぶさに知っている。父親はただ生涯、会社員を通した。母親はリヤカーを引っ張って廃品回収業をして事業にした。このことは町の人たちに母親の生き方に一生懸命に真面目に生きた人になっている。国籍は法的なことでわずらわしいことはあるが日々の生活の中では国籍は関係ない。本人の人間性であるとこの頃、小学校の同級生に会うようになってそう思う。
私はずっと国籍を隠さないで生きてきた。ありままで生きてよかったと思っている。

私は国籍でビクビクして生きたことがないのでこの気持ちが今も理解できない。
私の親戚たちは日本社会で決して国籍を隠さないで生きてきたので隠す人の気持ちが私は分からない。

私は今、木津川市山城町に生まれて木津町で育ったことがとても誇りに思う。
遊び方、友達の作り方、話し方も知らなかった私は中学卒業するまでほとんど無口な子どもだった。皆、信用できないというが小学生の同級生たちはそんなころの私をよく知っている。
1人で人形ばかり作っていた。
私の性格はぼんやりしているが木津川市、私が育ったころは相楽郡、田舎の景色がいっぱいだった当時、ここで育ったこと、ここに故郷があるのがよかったと思っている。今は小学校の同級生と会うときがとてもうれしい。
「暖かくなったら訪問します」と言っていたのでそろそろと思っているが-----。

4月1日、春休み、子どものころの自分を思い出してしまった。
8時半です。パソコンを閉じて外出の支度です。





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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-04-01 13:08:55
>>それぞれの事情や生き方があることが理解できないらしい

それはあなたのことじゃないの?
日本国籍になるのも
国籍隠すのも自由なのに
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