鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

土曜日の昼下がり。

2008-10-04 16:02:33 | 直言!
動くと汗がでる。
今日は夫が朝、4時半に出かけた。
夫はしらない間に出て行った。いつも通り5時半ごろ目が覚めた。
トイレに行って新聞読んでいると目が冴えてきた。ついでにパソコンを開けて作業した。
朝食、8時ごろ食べて新聞を読んだ。9時ごろから起きればよかったのにそのままウトウトと寝てしまって起きると10時、テレビ番組、建物探訪が終わっている。またウトウトと寝た。起きると11時半、それから簡単に昼食をしてテレビを見た。「美空ひばり特集」を1時間ばかり見ていた。何もすることがなかったらテレビを見ていたが、することがあった。
鍋に豚肉の塊を入れて1度水炊きをした。
水を捨ててまた鍋に水を入れて塊の豚肉を入れた。
ここに玉葱を丸ごと1個を入れてにんにくと生姜のカケラを入れて醤油を多く入れた。ゆっくりとゴトゴトと煮ながら鍋に出し汁が半分になるまで煮込んだ。
約1時間半煮込んだ。途中昆布出汁を入れた。
いい味になった。
後はこれを冷ませて薄切りにして密閉容器に入れておくと夫のビールの肴になる。夕方、野菜の付け合せにブロッコリーとアスパラを湯がくことにしよう。
私は玉子焼きがあればそれでいい。
豚肉の塊をゴトゴトと湯がきながらパソコンの前に座って月曜日連載の原稿を作成した。明日は朝早くから豊中に行かないといけない。
戻ってくると記事を書かないといけないのでセットアップだけするように仕上げた。
そういえばまだ朝日新聞を読んでいない。
夕食の支度まで読まないといけない。
土曜日は連載、落合恵子さんの「積極的その日暮らし」のエッセイが連載されている。
まだ読んでいなかった。
10月か。
祭の季節になってきた。
祭を見て育った私は実家の木津の祭が懐かしい。それがいつも仕事か何かで出かけている。母親が生きていた頃は必ず鯖寿司を夫に持たせていた。亡くなってからも嫁さんが持たせてくれたが去年はどうだったのか忘れた。
あかんな。去年のことを忘れている。
近所でも祭りの御輿が通るが引いている御輿に何かしら興味がわかない。担ぎ手がいないのかいつかにかそうなったのだろう。
木津の御輿も引いている御輿もあるが担いでいる御輿もある。
子育てをしている頃は宮さんによく見にいったものだが仕事を持つようになって見に行かなくなった。
祭を見て育ったものはどこかで記憶に残っている。
夜になると提灯に灯りをつけて帰ってくる御輿、最後の見せ場が木津町本町の交差点だった。私の家から歩いて2・3分のところ、これも楽しみでよく見に行った。この御輿の最後の日を見に行くのに父親は何も言わなかった。
家から遠くない近所の御輿のお祭、2日目の最後これで御輿は見納め、来年まで見られないので父親は何もいわなかったのだろうか。
夜店がでる夏祭りの露天の店が並ぶところには行かせなかった。女の子は外にでるなということばかりだった。
時代に反した娘の育て方を父親はしていた。
いつも心で反発しながら父親がいると出られなかった。
父親が会社から帰るまでに少し出ていくが帰ってきて父親が帰っていると分かると恐怖で震えた。こんなことの不満がいつのまにか父親の悪口になって日記に書いていたのが今日の書くことに繫がっている。
娘を静かにしおらしく育てようとした父親に反して私はざっくばらんな性格に育った。
誰に似たのかわからない。
祖父が豪放な人だったので祖父に少しは似たのかもしれない。
祖母は気位の高いしゃんとした人だった。
物静かな人だった。韓国の両班の娘そのままに育った人だった。父の姉、叔母がそんな雰囲気を持っていた。
祖父に似たのは父親のすぐ下の叔父ぐらい。父親も後の叔父も祖母に似たようだ。物静かな人だったが酒を呑むと人が変わった。
はけ口のないストレスを酒で紛らわしていたのだろうか。
私は父親の雰囲気にちっとも似ていないのに体質は父親に似て年を重ねて和食しか食べられない。
困ったものだ。韓国に行くと食べるものがなくて苦労をする。
もう夕方の4時、夕食の用意をしないといけない。

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