鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

7日から10日の今日まで現場である。

2007-07-10 08:29:02 | 直言!
評論家が今回の選挙の行方を探る講演会である。
私は選挙権がはない。しかし話しを聞くことで日本社会の時事が少し理解できる。
日本社会とのバランス感覚が日本社会で生きる在日韓国人として大事なことなので現場の仕事がないときは出席するようにしている。
7日からずっと現場に出ているので記事もたまってきた。
12・13日の両日に仕上げなければならない。

今日も大阪にいかなければならない。
大雨である。
傘は折りたたみか大きい傘か。
しかし今日の現場はどういうわけか毎回、傘をここで忘れている。
なにかジンクスがあるのだろうか。それでやはり折りたたみ傘にしょうかと考えている。
大雨で雨の音が部屋にいても聞こえる。
なつかしい昔のポップスの歌を思いだしてしまう。
「悲しき雨音」である。
雨音って人生それぞれだからいろんな風にとれるのだろう。
こどもの頃は雨、雨、ふれ、ふれ、母さんが-----だったが私が高校生の頃に流行った悲しい雨音を聞いてから雨音をきくとこの歌がでてくる。

アメリカではこんな軽快なリズムが流行り映画もハリウッドで映画の中の画面は当時日本では見られなかった暮らしの様子が見られた。
映画のような生活に憧れて日本は働いて働いてきた。
しかしいつのまにか人間は骨抜きになってしまった。
あのように軽快にリズムは思考力をなくしてきたのだろうか。

日本の歌は5・7・5という言葉の流れて作られている。
軽快なリズムを出すのは難しい。
5・7・5は唱歌のような歌や演歌が生まれてくる。
大体軽快なリズム音楽はアメリカから入ってきた歌を訳しして歌っていた。
そう思えと日本語の5・7・5の見直しが必要かもしれない。
歌のなかにも言葉のけじめがあった。

今の若者たちが歌う音楽はどこで終わるのか区切りがわからない。けじめがない音楽になった。けじめがないことは生活にも影響してきたのだろうか。
自己中心だけで周りを思いやる区切りがなくなった。

思い起こすとエルビスプレスリーに騒いでいた世代が学生時代を過ごしアメリカ映画の壮観な画面に食い入るように見てきた。
いつかは自分もそうなりたい。日本の国がそうなりたいと願い経済構築に集中してきた。しかし言葉のルールを置き忘れて今は年輩者がとても歌うことのできない歌に若者たちが謳歌している。
さてどうするべきか。
もう一度「俳句」や「短歌」を見直して授業に徹底して取り入れて言葉のつながりを大切にしていく。言葉の意味を理解して大切にしていく。
「悲しい雨音」のリズムと大雨にそんなことを考えてしまった。
もう外出の支度をしなければならない。




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