あんなに暑かった今年の夏、冬の季節が思い出されないほど暑かった。
暑すぎて冬の気候が頭の中に封じこめた。
10月過ぎても暑い。秋は本当に来るのかと思うほどだった。
雨が降って急に寒くなってから気候の変動はあったもののようやく晩秋という言葉の中で気温の低さを実感するようになった。
寒いと実感するようになったのがこの10日ほどである。
寒さが続くと実感するようになった。
ツイッターというのに関心が高まっているのだろうか。
私はまあまあと思っていたが----。
何をそんなにひきつけるものがあるのだろうか。
昔は自分の気持ちをノートに書きとめて自分の心の中を記憶していた。
今は人に心を開いていく。しかし日々その文字は消えていくので心の中に何も残っていない。
それだけ空白になった心の中をまたツイッターで埋めていく。
しかしそこには何も残らないような気がしてならない。
それで今さえ良ければ良いという気持ちの変化につながっているのだろうか。
昔は自分が話したい人がいれば手紙を書くか電話をした。
手の届かない雲の上の人はただ遠くから眺めていた。
眺めていて共通する人に会うとその人たちと共通の話題をすることで日々の生活ができた。
しかしツイッターは言葉のキャッチボールをしようと思えばツイッターに書き込みをする。それこそ憧れの人には名指しで書くことができる。
しかし反面また誹謗中傷が多くなった。
それはよくない。個人的感情の誹謗中傷が多い。
あきらかにネット犯罪という人も多々おられる。
私のブログにもそういう人が見受けられる。
世の中の常識をわきまえていない人がこんなに増えたことは何が原因なのか。
1960年代の後半から各家庭に電話が普及された。
会わなくても電話で会話をした。電話の会話は切れたとたんに跡形もなく消えていく。残っているのは個々の心の中に残っているがそれぞれ受け止め方が違うので言葉が1人歩きすることも多かった。今も同じである。
そして後に残らない会話に勝ってきままに言葉は使われ言葉の造語も多く作られて昨今飛び交っている。日本語の乱れはここから始まっているのではないだろうか。携帯になるとさらに文字メールは略語が生まれギャル言葉も生まれた。
流行語だからと安易に使い日本語をうまく使えない世の中になった。
それから手紙を書く人が少なくなった。
知人が言ったことがあった。
私が物を書き溜めているのを見て「よくそんなに文字を書くことができる。文字を書くと後に残っていくことになる。電話だと跡形もないので気が楽なのに」と。
私は果たしてそうだろうか。と、思って聞いていた。
文字はやはり生きていく上で必要です。
その人にとっては心磨きをしている。
だから心磨きができていない子どものような大人が多くなったのか。
はたしてツイッターは心に残る記憶になっていくだろうか。
ただの情報手段ならその方法もあったのかと思うことにしている。
記憶に残るということで映像より証言が心に響くことを体験することになった。
何年か前からテレビの映像で北朝鮮の中の事情、テレビで取り上げられて放映されるようになった。そのときは心に残っているが何日か立つともう心の中から消えている。
しかしこの2・3年の間に北朝鮮から脱北してきた人と会うことがあって彼らたちの話を聞いていると私の心の中に響いてくる。
もちろん子どもの頃は南北分断国家に対して何も知らなかったが1世の親がその都度その都度、子どもの前で話し語ったことが記憶の底にあってその言葉の意味に焦点を合わしていくことになった。
父親は子どもたちが聞いていなくてもいつか分かると思って何度も繰り返し話していたことが人生を重ねて分かるようになった。
真実を語る脱北者の生き証人の言葉に嘘がなかった。
恐怖という体験を潜り抜けてきたその人の人生は今を生きていくのに一生懸命である。その姿に父親の言った言葉がどんどん記憶が走馬灯に浮かんでくる。
真実を語る言葉はどんどん心の中に入ってくる。
このことを忘れてはいけないと思って聞いた話はパソコン入力をして文字として保存をしている。
この間、1昨年にお会いした多数の人の脱北者の言葉を引っ張り出した。
今、見てもその人の姿がよみがえってくる。
そんなことをこの頃思う。
そんなときに奈良新聞ではツイッターを中心にした会合が発足された。国会議員も参席しての----。人脈作りとしては功を博すことになるだろう。
しかし選挙権のない私はまた歪んだ心で見てしまう。
結局は選挙に絡んだものだろうか----と。そうじゃないと反発の声も聞こえそうだ。素人の考えしかできない私、発足には私では想像できない相互理解があるのだろう。
暑すぎて冬の気候が頭の中に封じこめた。
10月過ぎても暑い。秋は本当に来るのかと思うほどだった。
雨が降って急に寒くなってから気候の変動はあったもののようやく晩秋という言葉の中で気温の低さを実感するようになった。
寒いと実感するようになったのがこの10日ほどである。
寒さが続くと実感するようになった。
ツイッターというのに関心が高まっているのだろうか。
私はまあまあと思っていたが----。
何をそんなにひきつけるものがあるのだろうか。
昔は自分の気持ちをノートに書きとめて自分の心の中を記憶していた。
今は人に心を開いていく。しかし日々その文字は消えていくので心の中に何も残っていない。
それだけ空白になった心の中をまたツイッターで埋めていく。
しかしそこには何も残らないような気がしてならない。
それで今さえ良ければ良いという気持ちの変化につながっているのだろうか。
昔は自分が話したい人がいれば手紙を書くか電話をした。
手の届かない雲の上の人はただ遠くから眺めていた。
眺めていて共通する人に会うとその人たちと共通の話題をすることで日々の生活ができた。
しかしツイッターは言葉のキャッチボールをしようと思えばツイッターに書き込みをする。それこそ憧れの人には名指しで書くことができる。
しかし反面また誹謗中傷が多くなった。
それはよくない。個人的感情の誹謗中傷が多い。
あきらかにネット犯罪という人も多々おられる。
私のブログにもそういう人が見受けられる。
世の中の常識をわきまえていない人がこんなに増えたことは何が原因なのか。
1960年代の後半から各家庭に電話が普及された。
会わなくても電話で会話をした。電話の会話は切れたとたんに跡形もなく消えていく。残っているのは個々の心の中に残っているがそれぞれ受け止め方が違うので言葉が1人歩きすることも多かった。今も同じである。
そして後に残らない会話に勝ってきままに言葉は使われ言葉の造語も多く作られて昨今飛び交っている。日本語の乱れはここから始まっているのではないだろうか。携帯になるとさらに文字メールは略語が生まれギャル言葉も生まれた。
流行語だからと安易に使い日本語をうまく使えない世の中になった。
それから手紙を書く人が少なくなった。
知人が言ったことがあった。
私が物を書き溜めているのを見て「よくそんなに文字を書くことができる。文字を書くと後に残っていくことになる。電話だと跡形もないので気が楽なのに」と。
私は果たしてそうだろうか。と、思って聞いていた。
文字はやはり生きていく上で必要です。
その人にとっては心磨きをしている。
だから心磨きができていない子どものような大人が多くなったのか。
はたしてツイッターは心に残る記憶になっていくだろうか。
ただの情報手段ならその方法もあったのかと思うことにしている。
記憶に残るということで映像より証言が心に響くことを体験することになった。
何年か前からテレビの映像で北朝鮮の中の事情、テレビで取り上げられて放映されるようになった。そのときは心に残っているが何日か立つともう心の中から消えている。
しかしこの2・3年の間に北朝鮮から脱北してきた人と会うことがあって彼らたちの話を聞いていると私の心の中に響いてくる。
もちろん子どもの頃は南北分断国家に対して何も知らなかったが1世の親がその都度その都度、子どもの前で話し語ったことが記憶の底にあってその言葉の意味に焦点を合わしていくことになった。
父親は子どもたちが聞いていなくてもいつか分かると思って何度も繰り返し話していたことが人生を重ねて分かるようになった。
真実を語る脱北者の生き証人の言葉に嘘がなかった。
恐怖という体験を潜り抜けてきたその人の人生は今を生きていくのに一生懸命である。その姿に父親の言った言葉がどんどん記憶が走馬灯に浮かんでくる。
真実を語る言葉はどんどん心の中に入ってくる。
このことを忘れてはいけないと思って聞いた話はパソコン入力をして文字として保存をしている。
この間、1昨年にお会いした多数の人の脱北者の言葉を引っ張り出した。
今、見てもその人の姿がよみがえってくる。
そんなことをこの頃思う。
そんなときに奈良新聞ではツイッターを中心にした会合が発足された。国会議員も参席しての----。人脈作りとしては功を博すことになるだろう。
しかし選挙権のない私はまた歪んだ心で見てしまう。
結局は選挙に絡んだものだろうか----と。そうじゃないと反発の声も聞こえそうだ。素人の考えしかできない私、発足には私では想像できない相互理解があるのだろう。
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