7月8日(土)の公開日まであと8日に迫ったインド映画『裁き』。これまで、被告のナーラーヤン・カンブレ、弁護士のヴィナイ・ヴォーラー、女性検事のヌータンを取り上げて来ましたが、最後に残るもう1人の主役級人物が、裁判官である判事のサダーヴァルテーです。前に取り上げた女性検事もそうでしたが、判事サダーヴァルテーもインドのどこにでもいそうな人。ちょっと額が後退気味の、人のいい中年男性という感じです。まずは、予告編で顔をご確認下さい。
ある歌手が裁判にかけられ…!映画『裁き』予告編
予告編では、「難しい事件だ」というセリフを言っている判事サダーヴァルテーですが、この人が面白いのは、こんな風に私語かと思うようなセリフをいっぱいしゃべることです。弁護士と検事の双方に裁判の進行に関する注意を与えるのはもちろんのこと、マラーティー語が母語ではないと思われる弁護士(その詳しい説明はまた次回に)が「英語かヒンディー語でやり取りをお願いしたい」と言うと、「不明な点は翻訳するのでご心配なく」と言ったりします。また、証言者に対しても、実に率直な言い方で質問したり、注意をしたりします。発言を聞いていると、誰に対しても公平な物言いをしている印象を受けますが、何だかお節介なおじさんという感じもして、人間味を感じさせてくれます。
ところが、女性検事が同僚たちと控え室にいる時に判事サダーヴァルテーの話題が出ると、同僚は「切れ者だ」と評するのです。「彼は仕事が早い方だよ。他の判事は1日に3件がせいぜいだけど、昨年のサダーヴァルテーは1日に5件も裁いたんだ」 日本と違い、インドは判事がずっと法壇に座っていて、被告と検事、弁護士が案件毎に交代していく方式です。法壇下の大きなテーブルに、法壇に向かって弁護士と検事が位置を占め、その向かい側には事務官らしき人々が座っていますが、この事務官らしき人々も動きません。判事の右横にいるのはおそらく書記官で、判事が口述する内容をパソコンに打ち込んでいきます。手前が傍聴席ですが、この案件だけの傍聴人というわけではなく、次の裁判の人が待っていたりします。こうして主役たちが交代するだけでどんどん裁判が進められていくため、1日5件の処理も可能なのかも知れませんが、判事サダーヴァルテーのやり方は丁寧で、人を急がせることもありません。率直なおしゃべりが潤滑油になって、裁判がスムーズに進行しているのでしょうか。
毎回の裁判はあまり紛糾せず進行していても、判決が出るまでにはやはり相当な時間がかかっています。女性検事と同じく、判事サダーヴァルテーの登場も本編が30分近く進んで、本格的な裁判が始まってからですが、その後何度か裁判シーンがあり、振り返ってみるとナーラーヤン・カンブレ逮捕から映画のラストシーンまで、1年近くかかっていることに気付かされます。ラストのパートは、裁判所が夏期休暇に入ってしまい、判事サダーヴァルテーが休暇を取るシーンとなります。調べてみると、インドが酷暑になる5月第2週から4週間、裁判所は休みになるようです。また、10月後半のお祭りシーズンも2週間の長期休暇があり、西暦の年末年始も10日間程度の休みがあるので、普段の日曜日や休日と合わせると裁判所は年間3分の1超はお休み、という計算になります。これでは1日に数件こなしていかないと、どんどん積み残し案件がたまりますね。
上の写真は、ムンバイの北にあるアルナーラー・ビーチ・リゾートという所にバスで向かう、サダーヴァルテー判事と町内会の皆さんらしきご一行ですが、実は最初に見た時、彼の顔がわかりませんでした。黒い法服を脱ぎ、メガネも外したサダーヴァルテーは、赤いポロシャツ姿となっていてまるで別人のよう。バスの中では、インド人が大好きな「アンタークシャリー(しりとり歌合戦)」で大盛り上がりで、映画『Kora Kagaz(白紙)』(1974)、『詐欺師』(1955)、『Tum Sa Nahin Dekha(君のような人、見たことがない)』(1957)、『ドン』(1978)、『Aap Ke Khatir(あなたのために)』(1977)などの歌が次々と歌われていくのですが、輪の中心にいるのは何とサダーヴァルテーなのです。フィルムソングをよく知っているなんて、と意外な素顔が見えてきます。
さらにリゾート地では、予告編にもあるように、隣人に「占い師に相談して名前を変えなさい」と忠告したりと、これまた裁判所における理路整然ぶりとは違う顔を見せてくれます。とはいえ、インドのほとんどの人は、ジョーティシーと呼ばれる占星術を使う占い師に、何かにつけて頼るのが常です。名前を変えることまではしなくても、ローマナイズの綴りを例えば「Ranvir」から「Ranveer」にしたりと、占い師のアドバイスに従ってあれこれやってみます。結婚式の日取りやお店のオープンの日なども、もちろん占い師に占ってもらって決めます。また、『きっと、うまくいく』(2009)でラージューが石の入った指輪をいっぱいしていたように、自分のラッキーストーンを決めてそれを指にしたり、宗教指導者からもらった指輪をしていたりと、男性でもほとんどの人が指輪をしています。どの石をどの指にはめるかも大きな関心事で、占い師に教えてもらったりするわけです。というわけで、切れ者に見られているサダーヴァルテーですが、やっぱりあんたもインド人、というところを見せて『裁き』は終わるのでした...という解釈でいいのでしょうか? 来週土曜日、7月8日の公開後、ご覧になった皆様はぜひご意見をお寄せ下さい。
こんな風に、登場人物たちを多角的に見せてくれる『裁き』ですが、チャイタニヤ・タームハネー監督は、「人間は、こんな人だ、と決めつけられない存在だ」ということを見る者に教えてくれているようです。映画を見ながら、「あれれれ?」気分を何度も味わうのはとってもスリリングで、私はこれで『裁き』にハマってしまいました。これまでの記事(<1><2><3><4><5>)は、ひょっとしたらそのスリルを薄めてしまうかも知れませんが、サダーヴァルテーを演じたマラーティー語映画の俳優プラディープ・ジョーシー(これまでは脇役専門だったとか)のように全員が素晴らしい演技を見せてくれますので、皆さんもきっと『裁き』のマンホールにハマるに違いありません。公式サイトをもう一度チェックして、公開に備えて下さいね。
♫ハマろう、『裁き』のマンホール♫