アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

『K.G.F:Chapter 2』上映後の池亀彩さんトークショー@バルト9(下)

2023-07-23 | インド映画

さてさて、トークショーの中身をお伝えせねば。昨日のトークショー実施に当たっては、事前に台本を作っていました。私が10ぐらい質問を作り、それを池亀さんに答えていただいて、大体の所要時間を計ったりしていたのです。本番ではその通りに進行したわけではないのですが、その台本を元に、私の記憶もまじえて復元したのが以下のやり取りです。手元録音でもしておけばよかったのですが、そんな知恵が浮かばなかったため、実際のトークとは少し違っていたりしますがお許し下さい。また、まだ作品をご覧になっていない方のために、ネタバレになると思われる箇所は削ってあります。悪しからず、ご了承下さい。「池亀」が池亀彩さん、「司会」が私、cinetamaです。

司会:『K.G.F:Chapter1』と『2』は、南インドの西側、アラビア海に面したカルナータカ州のカンナダ語映画です。今回、字幕監修をして下さった池亀彩さんは、カルナータカ州の歴史人類学的研究をご専門になさっています。現地調査もたびたびなさっているとのことですが、初めて調査に入られたのはいつ頃でしょうか?

池亀:私は1999年にカルナータカ州のマイスール市で調査を始めました。当初はカンナダ語の習得のために寮に入って毎日朝から晩まで勉強してました。とはいえ、カンナダ語で普通に会話できるようになるまでにはその後数年かかりました。

司会:調査でのご経験をまとめた本、「インド残酷物語 世界一たくましい民」(講談社新書)も出されていて、当館のショップでも販売しています。調査地は映画の舞台であるK.G.Fの近くだとうかがいましたが、このK.G.Fは今では鉱山としては稼働していないそうですね。でも地元では、折に触れて話題になる場所で、それでこんな架空の物語が考えられたのでしょうか?

池亀:K.G.Fは歴史的には重要な金鉱なので、カルナータカの人たちは皆名前を聞いたことはあると思います。でももう廃坑になって随分とたちますし、噂になったりする場所ではないですね。なぜK.G.Fが架空の舞台になったのか、私も知りたいです。名前がかっこいいからかなと思ったのですが。

司会:「K.G.F=コーラーラ・ゴールド・フィールズ」という名前ですね。『K.G.F:1』の公開が2018年12月20日で、これがまず約25億ルピー稼いで、カンナダ語映画のそれまでの興行収入記録を破りました。インドでは映画は、興収10億ルピーを超えるとヒットと言われているんですが、カンナダ語映画のそれまでの興収第1位は、プニート・ラージクマール主演の2017年作品で、興収は7億5千万ルピーだったんですね。興収を大幅に更新した『K.G.F:1』は、当時大きな話題になったのでは、と思いますが。

池亀:『K.G.F:1』の公開当時はかなり話題にはなっていましたが、現地の研究者仲間は「暴力的な映画でしょ」と結構冷ややかな反応でしたね。

司会:そうなんですか。プニート・ラージクマール(下写真)は、今ご覧いただいた『K.G.F:2』の冒頭に写真が何枚か出てきて、その後に彼への献辞というか弔辞というかが出てきた(注:「Dr. Puneet Rajkumar, we will miss you till we see you again」と出てくる)人です。2021年10月に心臓発作で急逝した人気スターで、父親のラージクマールも大スターだった人ですよね。

池亀:そうです。プニート・ラージクマールは、カンナダ映画の超・大スターだったDr.ラージクマールの息子さんですけど、彼自身がスターとして地位を確立していました。カルナータカの人なら誰でもが認知できる顔だったと思いますし、映画人からもずいぶんと尊敬されていたようなので、心臓発作で突然亡くなったのはカルナータカの人にとっては大ショックだったと思います。冒頭で写真が出てきたのは、カルナータカの人だったらぐっとくるところですね。

司会:『K.G.F』は物語が入れ子構造になっていて、『1』ではベテランのジャーナリストが、『2』ではその息子が語るという、少々複雑な構造です。また、映像の処理の仕方も非常に斬新だったりするのですが、地元カルナータカの観客はすーっと物語に入っていけたのでヒットしたわけですよね? ベンガルールとかの都市部だけでなく、農村部などでも多くの観客を獲得したのだと思いますが、こんなにヒットしたのはなぜでしょう?

池亀:確かに複雑な構造ですが、これくらいならみんなついていけるんじゃないかなと私は思いました。農村部は分かりませんが、地方都市でかなり入りが良かったようです。それは、教育は受けたけれどいい職につけない大量の若者、特に男性、に受けたんじゃないかなと私は思ってます。

司会:これまでカンナダ語映画は内向きの映画というか、州外での上映は少なかったのですが、『K.G.F』はタミル語、テルグ語、マラヤーラム語、そしてヒンディー語にも吹き替えられて他州でも公開されました。特に、昨年公開された『K.G.F:2』は北インドでも大ヒットして、その少し前に公開された『RRR』を抜いて、2022年の国内興収第1位になったんですよね。他州の観客にも大きくウケた理由は、何だとお思いになりますか?

池亀:やはりヒンディー語に吹き替えられたのは大きかったんじゃないでしょうか。それから舞台もムンバイのシーンが多くて、北インドの観客としてもそれほど違和感がなかったのかもしれませんね。パンフレット(下写真)にも書きましたが、むしろムンバイで作られるヒンディー語映画、つまりボリウッド映画が洗練されすぎてしまって、こういう荒々しさの残る映画が求められていたのかもしれないなと思います。

司会:パンフレットのコラム「カンナダ語映画世界へ行く」ですね。ユーモアも交えながら、カルナータカの過去と現在を語って下さっています。それで本作ですが、当時のボンベイでのシーンなどには一部、ヒンディー語のせりふが混じっています。この程度のヒンディー語ですと、カンナダ語が母語の人でもわかる範囲なのでしょうか?

池亀:カルナータカでも都市部の人は、これまでもボリウッド映画をヒンディー語で観てきていますので、映画に出てきた程度のヒンディー語はわかる人が多いのではないかと思います。タミル・ナードゥ州ほどヒンディー語への敵対心もないですしね。そもそもカルナータカの人は、家ではタミル語、マラーティー語、テルグ語、トゥル語などを話し、外ではカンナダ語、というように、マルチリンガルの人が多い州なんですね。なので他の州の言語へのハードルは低めではないかなと思います。

司会:今回、池亀さんがカンナダ語の監修をして下さったのですが、この映画のカンナダ語のセリフはいかがですか? ロッキーはじめマフィアとか裏社会の人間が多いですよね。ヤクザ言葉で難解なものとかありましたでしょうか?

池亀:ヤクザ言葉かどうか分かりませんが、ウルドゥー語というかヒンドゥスターニー語の単語が多かったように思います。それがムンバイっぽさを出すのか、ヤクザっぽさなのかちょっと分かりませんが、「サラーム・ロッキー・バーイー」なんて、全然カンナダ語が入っていませんしね。

司会:ああ、本当に。「サラーム」はアラビア語でイスラーム教徒の挨拶ですし、「ロッキー」は英語、「バーイー(兄貴)」はヒンディー語ですね。カンナダ語だったら、何と言うところですか?

池亀:「ナマスカーラ(こんにちは)・ロッキー・アンナ(兄貴)」ですね。

司会:「ナマスカーラ・ロッキー・アンナ」ですか、なるほど。それで、ロッキーを演じた俳優ヤシュですが、カンナダ語映画界、つまりサンダルウッドではどんな俳優と見られているのでしょう?

池亀:これは、私よりも何千倍も南インド映画を観ている方がたくさんいらっしゃるので、そういう方の方がよくお分かりだと思いますが、ヤシュは『K.G.F』が撮られる前から、若手の人気映画スターではあったと思います。日本公開前に寄せられたコメント動画では、とても優しそうでしたよね。でもカルナータカの人は、ああいう穏やかで、静かにニコニコ喋る人が多いんですよ。ですから他の州から来た人が、カルナータカは静かだ、と驚くんです。外でも大声を出している人はいませんし。

司会:えー、そうなんですか。東側のタミル・ナードゥ州とかとは、ずいぶん違いますね。チェンナイでは、リキシャに乗っても怒鳴り合ったりしてる感じなのに。
それから、『K.G.F:Chapter 3』ですが、これは今後作られるのでしょうか?

池亀:監督が作る意思がある、と報道に出ていましたね。作るんじゃないでしょうか。

司会:でも、プラシャーント・ニール監督は、今、ハイダラーバードでテルグ語映画を撮っているんですよね?

池亀:そうです、プラバースの新作ですね。その後に撮るんじゃないでしょうか。

司会:S.S.ラージャマウリ監督の『RRR』も、続編を撮る、ということがニュースに出たりしたので、私もオンライン講座の参加者の方から訊かれたりしたんですが、「リップサービスでしょう」と答えたんですけど、『K.G.F:3』は可能性が高いんですね。
最後にうかがいたいのですが、今のインドはモーディー政権のインド人民党(BJP)支配下で、ヒンドゥー至上主義が力を持っている感じがしますが、映画人はそれに抵抗しているところが見受けられます。インド憲法にあるセキュラリズム(世俗主義)にのっとって、いろんな宗教を等しく扱おう、としている気がするんですね。インドの娯楽映画も1990年代までは、主人公がヒンドゥー教徒なら友人はイスラーム教徒、家の運転手はシク教徒、とかにして、セキュラリズムに明確に配慮がされていましたよね。池亀さんは、『K.G.F』にもアンチ・ヒンドゥー至上主義的なメッセージがある気がする、とおっしゃっていましたが、それはどんなところに表れているのでしょうか?

池亀:『K.G.F』 は、私は「nambike(ナンビケ/信念、信仰)」が重要なテーマなのだろうと解釈したんですが、この言葉が劇中に何度も出てくるので、字幕翻訳者の藤井美佳さんと相談して、「信念」と訳そうということになりました。奴隷のように扱われていた人々が「nambike」、この場合、「自尊心」と言ってもいいかもしれませんが、この「nambike」を回復する時に、新たな王であるロッキーがムスリムの人たちに、ムスリム帽を被り、祈りの時間を持つことを許しますよね。これは、民衆の信仰を守るという伝統的な王権のあり方を示していると思いましたし、近年インドでは宗教マイノリティー、特にムスリムに対しての抑圧が酷くなっていますが、そうした状況への批判とも読めるなと思いました。

司会:「nambike/ナンビケ/信念」が本作のキーワードで、劇中に何度も出てくるんですね? 見ていて全然気がつきませんでした。次からは耳をすまして、そういう深いところまで読み込んで見て行きたいと思います。私も最初見た時は、マフィアのボスたちの顔の区別がつかなかったりして、もっと髪型を変えろ、ヒゲの形も変えてくれ(笑)、とか思いながら見ましたが、何度か見ているうちに判別できるようになり、すると物語がよくわかって、とても面白くなりました。皆さんもぜひ、何度か本作を見ていただければと思います。今日はありがとうございました。

 


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