アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

7月のインド映画『裁き』を待て!<7>お待たせしました、明日開廷です!

2017-07-07 | インド映画

『裁き』、いよいよ明日、7月8日(土)開廷となります。傍聴のご用意は整いましたでしょうか? ユーロスペースではネットでも傍聴券、ではない、チケットを販売しております。こちらをご参照の上、お早めにゲットなさって下さい。なお、明日は初回(10:50~13:15)のあとにトークイベントもございます。裁判傍聴芸人として名を馳せる阿曽山大噴火さんのトークだそうで、日本の裁判傍聴経験豊富なこの方が、『裁き』を新しい視点から解説して下さるのでは、と思います。明日は、「First Day, First Show」(インドの人気テレビ番組名)にお急ぎ下さい!


「アジア映画巡礼」では、これまで6回記事をアップしてきましたが、最後に監督のご紹介と、この映画の舞台となるマハーラーシュトラ州について、ちょっとご説明しておきたいと思います。まず、監督のチャイタニヤ・タームハネーはこんな人(↑)です。公式サイトにも紹介がありますので、そちらもご覧いただければと思いますが、1987年3月1日生まれの30歳。ということで、『裁き』を撮っていた頃は、準備期間も入れると24歳ぐらいから27歳ぐらいまでなんでしょうか。脚本も彼によるものなので、『裁き』にハマればハマるほど、その早熟な才能にひれ伏したくなります。元々演劇畑の人で、そこから映画に入ったようですが、短編映画の経験だけを経ていきなりこんな完成度の高い長編を撮ってしまうのですから、インド映画界はやっぱりすごいですね。下に、チャイタニヤ・タームハネー監督が海外の映画祭に行った時に取材に答えている映像を付けておきます。『裁き』が作られることになった経緯や、これまでの自分の歩んできた道、ブラジル映画『シティ・オブ・ゴッド』(2002)を見て影響を受けたことなどが語られていますので、字幕がありませんがご覧になってみて下さい。それにしても、ホントに高校生みたいでかわいいです~。

Interview mit Chaitanya Tamhane (Filmfest München 2015)

ところで、以前の記事にもちょっと書いた、マハーラーシュトラ州の人とすぐわかる姓のことをここでご説明しておきましょう。

1.「~カル(-kar)」さん

Sachin Tendulkar at MRF Promotion Event.jpg

マハーラシュトラ州の人で、一番有名な人は誰かと聞かれると、まず名前が挙がるのがクリケット選手のサチン・テーンドゥルカル(Sachin Tendulkar/上写真はWikiより)。彼主演の映画『Sachin: A Billion Dreams(サチン:10億の夢)』も先日公開されたばかりですが、「テーンドゥルカル」のように「~カル」はマハーラーシュトラの人に多い名前です。もう1人、歴史上有名な人物で、『裁き』のバックグラウンド・キーパーソンと言えるアンベードカル(Ambedkar)博士もそうですね。そのほか、「マンゲーシュカル(Mangeshkar)」(有名なプレイバック歌手のラター・マンゲーシュカルなど)、「ケーデーカル(Khedekar)」(南インド映画にもよく出ている俳優サチン・ケーデーカルなど)「パーテーカル(Patekar)」(男優のナーナー・パーテーカルなど)等々、いろんな「~カル」さんがいます。ただし、「シャンカル(Shankar)」はマハーラーシュトラ特有の名前ではありません。この名前、日本では、「シャンカール」という風に間違えて書かれることが多いので(見るとうんざりするので、訂正線で消しておきます)、マハーラーシュトラの「~カル」さんも気をつけて下さいね。

2.「~エー(-e)」さん

語尾が「~エー」で終わる名前の人です。『帝王カバーリ』(2016)でのラジニカーントとの共演から、一躍名前が知られるようになった女優ラーディカー・アープテー(Radhika Apte)や、『裁き』の監督チャイタニヤ・タームハネー(Chaitanya Tamhane)、そして『裁き』の主役ナーラーヤン・カンブレー(Narayan Kamble)、同じく判事のサダーヴァルテー(Sadavarte)もそうですね。役名で言えばほかにも、『きっと、うまくいく』(2009)の学長の名前が、「ヴィールー・サハストラブッデー(Viru Sahastrabuddhe)」でした。デリーの大学でしたが、学長の出身はマハーラーシュトラ州だったのかも知れません。


3.その他

ほかにも、マハーラーシュトラ州の人とわかる名前があります。例えば、「クルカルニー(Kulkarni)」さん。女性検事ヌータンを演じている女優がギーターンジャリ・クルカルニーで、夫のアトゥル・クルカルニーも有名俳優です。余談ながら、女性検事ヌータンの姓が何であるかは、劇中でまったく出て来ません。でも、基本的にマラーティー語を話していることや、休日にはマラーティー語のお芝居を見に行ったりすることから、ヌータンの一家はマハーラーシュトラの人だとわかります。また、「デーシュムク(Deshmukh)」さんもマハーラーシュトラ州の名前なので、男優リテーシュ・デーシュムクも出身がわかります。


一方、弁護士は名前をヴィナイ・ヴォーラーと言い、パンフレットの石田英明先生(大東文化大学)の解説によると、「ヴォーラーという姓はグジャラート州の商人カーストに多い名前である」とのこと。してみると、弁護士が一時実家に帰った時の会話はグジャラート語なんですね。こんな風に、複雑なインドの言語状況も目に(というか耳に)できますので、お楽しみに。パンフレットには石田先生のほか、インド映画研究界のシャー(?)高倉嘉男さん、とても早い時期に『裁き』映画評をブログにアップして下さった映画ライター・済藤鉄腸さんの論評も掲載されているとか。これは絶対「買い!」ですね。


ところで、この舞台がマハーラーシュトラ州の州都ムンバイであることは暗黙の了解なのですが、ムンバイだとわかる証拠もあります。それが上の写真に写っている赤いバスです。今、まさに民衆歌手としての仕事に向かうナーラーヤン・カンブレが乗り込もうとしているのですが、彼のすぐ横、バスの側面にヒンディー語で「BEST」と書いてあるのが動かぬ証拠です。「BEST」は「The Brihanmumbai Electricity Supply and Transport(ムンバイ圏電気供給および交通会社)」の略ですが、こんな元の意味を知っている人は少ないと思われます。みんな「ベストの(赤)バス」と言っていて、映画の中でも言及されたりしています。ニューヨークを舞台にした『たとえ明日が来なくても』(2003)でも、お見合いのために赤いキツキツのドレスを着たスィーティーに対し、ジッパーを上げるのを手伝った姉が、「ニューヨークで見るのは初めてよ。一度、ボンベイで見たけど…BESTのバス」と毒舌をかましていました。

そのボンベイこと現名ムンバイは、マラーティー語の土地でありながら、インドの商業中心地となったことによって各地から人口が流入し、ヒンディー語が土地の公用語のようになってしまいました。映画製作も、19世紀末にヨーロッパから新しいテクノロジーの「シネマトグラフ(映画)」が一番早く伝わったのがボンベイで、従って製作も1912年にボンベイで始まり、1931年にトーキー化されて以降は、この地でヒンディー語とマラーティー語の映画が作られて今日に到っています。ことに、ヒンディー語映画界が「ボンベイ+ハリウッド」で「ボリウッド」と呼ばれて隆盛を極め、マラーティー語映画の存在がその陰でどうしても薄れてしまうのを見ると、地元マハーラーシュトラ州の人としては複雑な気分でしょう。映画だけでなく、何事につけてもムンバイはダブル・スタンダード都市のようになっているため、地元民の不満もつのります。それが、上のような劇中劇にも現れてきているのでしょう。

ある歌手が裁判にかけられ…!映画『裁き』予告編

見ていけば見ていくほど、細部が面白い映画『裁き』。昨日はある大学の授業でこの予告編を使い、それぞれの映像がどんな意味を持ち、何を語っているのか、どんな記号性を有しているのか、といったことを学生さんたちと一緒に分析していきましたが、考え深い学生さんばかりで、やっている方も面白かったです。今日は最後の予告編アップですので、明日は本番の『裁き』をぜひ目撃して下さい。ご覧になった方のコメント、お待ちしています!

 


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