![見出し画像](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_head_long/v1/user_image/43/ba/d0af5436e7cbbd94d5375909b20e6636.jpg)
鶴橋からは10時06分発の名阪甲特急『ひのとり』で名古屋へ向かうことにした。その一本前を『ひのとり』の回送が通過していったのだけど、あれは何だったのだろう。大阪難波へ向かう営業列車はこの時間にないし。鶴橋を出た『ひのとり』はいきなり100キロ以上のスピードを出す。その先もカーブは少ないからスピードを出す区間は多い。シートはバックシェル構造なので後ろの人に遠慮なくリクライニングすることができる。シートピッチは新幹線のグリーン車と同じ1160ミリとなっている。将来的に、東京~大阪間の移動はリニアと新幹線を名古屋で乗り継ぐことになる。名古屋での乗り換えるなら近鉄も同じ条件のうえ、難波へは混雑する御堂筋線も乗り換える必要もない。『ひのとり』の居住性の高さの評判が首都圏まで広まれば、名阪乙特急も『ひのとり』か同一仕様の後継特急で統一した方がいいかもしれない。
20分ほど走って、大和八木着10時28分、近鉄八尾~高安間、関屋~近鉄下田間では70キロ程度まで落としたが、それ以上は100キロ以上で走行、特に恩智~堅下もでは120キロ近く出している。大和八木は奈良県内から名古屋への需要を見込んでの停車だが、客の入れ替わりは少ない。桜井を通過すると山岳区間に入る。直線が多いためか、フルアクティブ制御が効いているのか揺れは少ない。勾配はあるけど、川沿いを走るというわけではないからな。大福までは120キロ出すが、桜井~赤目口までは100キロ程度で抑えられる。名張からは再び100キロ以上出すが、美旗~青山町までは70キロ程度に落ちる。ただ、その先は中川短絡線まで110キロ前後を維持する。西青山を通過し、青山トンネルを4分近くかけて通過する。
中川短絡線を35キロの速度制限で通過、7分ほど名古屋線を走り、11時24分に津に到着した。入れ替わりの客は10人近くで、自分の隣の客も入れ替わった。『ひのとり』が出た数分後には、それと接続する『アーバンライナー』車が充当の名伊乙特急が到着、『ひのとり』が通過する白子、四日市、桑名をフォローする。白子では普通、四日市では急行に接続するからうまい具合にダイヤができているなと。急行側からしたら、伊勢若松、塩浜と連続で特急に抜かれるわけだが、久居方面からは津で特急に8分で接続、名古屋には20分早く着くからな。高田本山から長太ノ浦までは直線が続くので110キロ前後をキープ、並走の伊勢鉄道と同じような走りだからな。北楠辺りまで90キロ以下に落ちるが、再び110キロ近くになり四日市を通過する。ところが、河原町から霞ケ浦間や近鉄富田~川越富洲原間、桑名駅前後は70キロ程度まで原則して、110キロ出すのは近鉄長島まで110キロ出すのは伊勢朝日辺りでけとなる。近鉄弥富を出ると、近鉄蟹江や近鉄八田付近を除いて110キロで飛ばすようになる。
名鉄名古屋着12時06分、名鉄への接続時間は5分しかないので、連絡改札口へ急いだ。近鉄名古屋駅と名鉄名古屋駅の岐阜・犬山方面は同じ地下2階なので階段を上り下りする必要がない。階段の上り下りの必要のない大手私鉄同士の乗り換えってここくらいかもしれない。相互乗り入れの相鉄、東急は別として。
名鉄名古屋発12時11分の準急新鵜沼行で布袋へ向かう。準急だが下小田井を出ると直線が続くので100キロ以上を出すようになる。布袋には12時30分に到着した。
布袋は2007年に訪れた時は、開業時からの木造駅舎と2面4線の狭いホームが犬山寄り構内踏切で結ばれ、構内踏切の近くで犬山側から側線が分岐している構造だった。側線のうち1本は名古屋方面に繋がっている。訪れてから2年後には工事に着工、2010年から10年のも間仮駅舎だったが、この駅に訪れることはなかった。西側の取り壊され、2013年までにはその跡に仮の駅舎とホームが建てられた。2017年には上り線、2020年には下り線が高架ホームに、去年3月には下り線側に留置線が2本設置された。留置線のうち1本は犬山側が行き止まりになるという地平時代の側線とは逆の構造だった。2面4線構造は地平時代と同じだが、待避の回数は減少、平日夕方以降の地下鉄直通の特急待避に使われるだけで、それ以外の時間に使われることは少ない。高架下は最低限の内装で何とかしている印象、改札から自由通路を挟んだ向かい側は仮囲いで囲まれているが、来春には木造の商業施設が10店舗ほどオープンする。それがオープンすれば印象は変わるだろう。
布袋駅西側は車が乗り入れられるロータリー、仮駅舎のころのローターリーを仮駅舎取り壊しでその跡地に拡大整備したものだ真ん中に停車スペース、バス乗り場などに上屋が数か所つけられている。ロータリーの少し外れには未来を輝けという、家族連れを見守る布袋様の銅像があった。ロータリー周辺は商業施設はなく、アパートなどがある。高架化で抜けられるようになった駅東側は、今年4月にオープンしたばかりの図書館などが入った複合公共施設『toko+toko=labo』があった。また、それに隣接してマックスバリュ江南布袋店が同時にオープンとなった。駅と『toko+toko=labo』は歩行者スペースが広く確保され、イベントができるようになっている。特急は通過するものの、特急停車駅の江南より栄えている感じがする。
12時40分の普通東岡崎行で一つ名古屋寄りの石仏駅へ向かう。石仏駅は名古屋方面ホームに東口駅舎を新設し、2020年10月に供用を開始した。このことで、東側の名古屋方面ホームに行くのに、犬山寄りの踏切と跨線橋を渡る必要がなくなった。西側から名古屋方面ホームも踏切を渡れば、跨線橋を渡る必要はない。東口駅舎は当然ながらバリアフリー対応で、上屋の下にスロープが整備されている。既存の西口は駅前広場がなく、車は住宅街の細い道で折り返すことになるが、新設の東口は駅前に小さい折り返しスペースがあるので、簡単に折り返すことができる。東口駅舎の中にトイレはないが、少し離れて公衆トイレがあった。犬山寄りでは名神高速がオーバークロスする。歩いて5分くらいのところの高速道路上に岩倉バスストップがあったが、名神高速を通る高速バスが減少して、2006年に廃止された。今では管理用施設になっている。
石仏発12時57分の準急中部国際空港行に乗って、名鉄名古屋着13時14分、昼食のあと14時16分の関西本線に乗る予定だったが、駅の中の飲食店がどこも列をなしていたので、一本前の13時43分の関西本線に乗ることにして、その先で昼食をとることにした。13時43分の普通四日市行は快速鳥羽行の6分後追いだが、席の8割が埋まる混雑だった。名古屋を出て5分、次の八田で交換待ちのために6分も停車する。なら、名古屋発を6分繰り下げるべきだと思うのだけど、貨物の兼ね合いでもあるなのだろうか。他の時間は46分発だし。春田と蟹江で半分近く下車する。この先の永和も含め、この辺は近鉄と駅が離れているからだ。
蟹江には14時丁度に到着した。蟹江駅は、海側のみに駅舎、山側にラッシュ時だけ使われる改札のある相対式だったが、2021年の1月末に橋上駅舎化された。自由通路の幅は4mと比較的狭いが、須成祭に登場する巻藁船のちょうちんをイメージした丸屋根が特徴で、床も巻藁船のような木目調になっている。また、旧駅舎の梁を再利用したベンチもある。エスカレーターは整備されておらず、階段とエレベーター4台のみ、外への階段の外壁は茶色がアクセントとなっている。コンコースからホームへの階段は両方とも列車の進行方向と逆側に対称に降りていて、エレベーターは列車の進行方向に降りている。南口は、旧駅舎の時は舗装に駐車ラインが引かれている感じだったが、橋上化後も降り口付近にタイルが敷かれた以外は駐車場所にライン、車道と歩道の間にポールという最低限の整備となっている。一方、北口は大きめの駅前広場が整備され、駅出口付近とバス停留場付近に上屋がある。駅舎の橋上化に伴い、駅構内の跨線橋が取り壊されただけでなく、名古屋寄りの歩道橋も閉鎖された。近くに踏み切りがあるから、そんなに不便になったわけでない。
駅近くのスーパー、ヨシヅヤでお土産だけを買う予定だったが、昼食もとることに。味噌カツ定食を安く食べれたのだから正しい判断かもしれない。南口から上り列車を見たのだけど、結構混雑していた。近鉄の急行に比べるとどうなのだろうかと。
蟹江発15時00分の列車に乗って、桑名には15時16分に到着。駅ホームから見た養老鉄道の元東急車は、奥羽本線の大鰐温泉を彷彿とさせた。長島温泉へはバス、一風呂浴びた後、長島温泉発18時50分のバスで1時間かけて名鉄BCへ直行した。バスの中で予約した名古屋発20時14分の『のぞみ』で東京へ帰ることに。初めて聞く新チャイムは思ったほどインパクトなかった。10月、12月と九州方面へ行って、何度も聞く機会があるから、そのうち耳から離れなくなるのかと。東京駅での上野東京ライン(常磐線)は14分と余裕のある接続時間、一本前の高崎線は10両のためか、上野駅からの客の心が折れるくらい混雑していたが、常磐線快速はガラガラだった。
最新の画像もっと見る
最近の「旅行」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事