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しーさるの鉄日記

道の駅あびらへ

毎年恒例の夏休みの北海道旅行、今年は10日から行う予定だったが、体調不良で14日に繰り下げた。それに伴い、9日朝に改めて『はやぶさ』の指定券を確保することに、その日のうちに札幌まで行ければいいと思っていたが、運のいいことに朝一番のはやぶさ1号の指定券が空いていた。夜行バスや宿泊施設についても、9日の予約で確保することができた。宿泊施設については、最寄り駅が初訪問となったため、変更前より効率のいい駅巡りができるようになった。当初は青春18きっぷを使う予定だったが、初日も乗り回すことで普通列車に乗りまくる日が6日間へと拡大したため、北海道&東日本パスを使うことになった。名古屋へ行くときも土曜日フル休みが半日休みになったから、余った18きっぷを使う必要がなくなったし。

はやぶさ1号は、上野を6時38分に出発、朝一番の『はやぶさ』のため、二戸から新函館北斗までは各駅に停車する。札幌延伸時は東京発6時丁度の『はやぶさ』を設定すれば、場所によっては空路より優位に立つことができる。お盆時期は、15時台までの『はやぶさ』の最高速度が通常の160キロから260キロに引き上げられる。GWの時のようにその旨が電光掲示板で流れなかったため、そのことに気づかなかった。この最高速度引き上げで、通常ダイヤでは新函館北斗着10時55分が10時48分に繰り上げ、『北斗』への接続時間は12分から17分へと拡大となる。この時間拡大は大きく、駅前のコンビニ『ハマナスクラブ』で昼食を調達できた。弁当の選択が可能な『ベントーカフェ41°ガーデン』もいいけど、量が少なくても1000円を超えてしまう。在来線ホームに降りたら、長万部からの普通列車が車両故障で運休という放送が。あとでネットで調べたら故障したのはキハ40ではなくキハ150、出だしからこういうのを見ると、幸先は良くない。自然災害にこれだから、JR北海道の駅巡り完了の時期の目処がつかない。

北斗は海沿いの窓側を確保、これも先週の金曜日に変更予約したのだけど、前に予約した人が少なかったのだろう。人立ち入りで新函館北発5分遅れ、交換で待たされた分を回復して、長万部発は2分遅れまで回復した。長万部を出てもウトウトと、目を覚ましたら偶然にも小幌駅が見えた。東室蘭の手前でゆっくり走ったものの、最大7分だった遅れは定刻通りに回復した。

南千歳着14時08分、ここからは追分へ向かうのだが、30分あったので、区間快速エアポートや、特急すずらんを撮影した。まだ時間があって快速エアポートで千歳へ、千歳で折り返す石勝線キハ150系と室蘭本線737系の並びでも撮影しようかと思ったら、737系が数分遅延して、キハ150系の車内からの撮影となった。ちなみに石勝線普通は2番線発着で千歳では札幌方面から対面になるのに対し、苫小牧方面普通は3番線発着で札幌方面の列車と対面になる。

千歳発14時34分の追分行に乗車、自分込みで6人乗っていたが、南千歳で4人降りて1人乗車、追分へ向かったのは自分以外に2人だけだった。快速エアポートの5分後なのに南千歳までの利用があるとは。駒里信号場着14時46分、交換する特急が5分遅れていたため、59分発と13分も停車してしまった。追分着も15時07分が11分となってしまった。

追分での接続列車はだいぶ先なので、『道の駅あびら D51ステーション』へ行くことに。駅前ではなく、10分以上かけて丘を越えることになるけど、アクセスはいい方かもしれない。名前の通り、D51を静態保存しているだけでなく、鉄道資料館を併設している。蒸気機関車を静態保存しているのはここだけだったが、2021年に下関市の外れにある『道の駅 蛍街道西ノ市』に101号蒸気機関車が加悦SL広場から移設された。道の駅に近づくと目の前に国鉄色のキハ183の先頭車が目に入る。第2、第4日曜日にはこのキハ183の車内に入れるのだが、今日は入ることができなかった。キハ183の後ろには車掌車ヨ3500と有蓋車貨車ワム80000を展示している。道の駅ではこのキハ183-214の他に、キハ183-220を所有しているが普段は収納され非公開となっている。追分駅の開業は1891年だが、特急が通るようになったのが石勝線が開業した1981年、つまり90年後となっている。キハ183は、その石勝線開業の前年に『おおぞら』に導入された。

道の駅に隣接した鉄道資料館にはD51-320を展示している。このD51-320は1939年に製造され、函館に配置、1944年に五稜郭に転属となり、1950年から1970年までは長万部の配置となっていた。1970年には小樽築港、1972年には追分に転属となり、1976年1月に廃車となった。これは国鉄最後のSLによる定期旅客列車が室蘭~追分~岩見沢間で運転された翌月のことだ。引退と同年の1976年3月には追分機関区構内の入れ替えからもSLが撤退し、国鉄からは完全に蒸気機関車がなくなった。その翌月には追分機関区で火災が発生、扇型機関庫とともにD51形4両、9600形1両、DE10形1両、新製されたばかりのDD51形7両が新設された。それからしばらくして、追分駅北西、駅裏から100m離れた機関区跡地に安平町鉄道資料館がオープン、D51-320が静態保存され、SLの元機関士によって丁寧に整備されてきた。2014年夏を最後に機関庫跡地での安平町鉄道資料館は閉館に、それからしばらくして、追分機関庫跡地から道の駅へと移送され、2019年6月から公開展示された。道の駅は、前の鉄道資料館よりは直線距離的に遠くなったが、駅の裏ではないので歩く距離は1キロから800mに短縮された。D51-320の後ろには貨車移動機が置いてあり、これを使って屋外展示することもできる。 D51-320の周辺にはサボや制服、展示室の入口付近にはジオラマや年表を展示している。入場無料の割には充実した展示だ。前の場所の鉄道資料館も含めて40年以上の伝統、そしてボランティアの協力もあって、これだけの展示ができるのかもしれない。欲を言えば、追分駅から道の駅までの案内を充実させてほしいところだ。

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