私的には、満開ですが、ちょっと早いらしいです。
埼玉県 神川町
駐車場が無いんだよね。
4月1日が地域のお祭りだそうです。
以前はお饅頭や飲み物の販売もあったようです。
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梅の花。満開の中。
1122の車。シートを広げ昼食。
緩やかな時の流れ、季節の移ろい。
写真とは全然関係ありませんが、
人生って
最後は身の丈に合った普通の生活に幸せを感じる事。
暖かいから花でも見に行こうか。
それなら、おいしいお弁当を作ろうか。
唐揚げとタコのウィンナーがいいなぁって。
お互いが相手の気持ちを気遣いあってこんな生活を続けられたらいいなぁって。
17才先は長いなぁ。
犬伏 新町薬師堂 (栃木県 佐野市)
慶長5年(1600年)、天下分け目の関が原の合戦を前に、
真田父子3人(昌幸、信幸、幸村)が、
東軍と西軍に分かれて戦うことを決断した密議の場所だと伝承されているのが、この薬師堂です。
真田家は、東西のどちらが勝っても、家の存続が出来るようにと、親子兄弟が東西に分かれ、
石田方に与した、昌幸、幸村は徳川方の小山の陣を離れ、沼田を経て上田城に籠り、徳川秀忠の軍を打ち破ります。
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西軍本体は、石田三成を総大将に、関ヶ原に布陣。
豊臣恩顧の、福島、宇喜多、小早川、脇坂。
欲望、保身、出世、裏切り、・・・
政治家も省庁も鉄壁の守りだった安倍陣営。
書き換え文書がでてきてから、風向きが変わった。
お味方総崩れ状態。心の離反が相次ぐ。
安倍さんは、三成の心境じゃないのかな~。
適材適所と持ち上げられた局長も首謀者に昇格してるしぃ~。
茶番劇が子供の喧嘩みたいで醜すぎる。
ごめんチャイ。赦してちょんまげって云って
国会のみんながズルってコケて幕引いちゃえばいいのに。
安倍さんもアベノミクスも不発っぽかったりしてるけど
代わりが居なげなので、しっかりしてもらわないとですよね。
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プロ野球の開幕が近いのに、このところ左肩に違和感が。
観るほうだって、万全じゃなきゃ選手に失礼じゃないだろうか。ということで、
整形外科へ。レントゲンなどを撮って、
診察結果は、両肩急性~~~と漢字が15ぐらい並ぶ中国語のような診断。
で、リハビリをすることに。
リハビリに行くと、「肩こり」ですか~。凝ってますね~。
肩を回したりすると改善しますよ。って理学療法士さん。
ならばと、温水プールへ。
未来の北島と異名をとるかのように、
こぶしを挙げ、「ちょ~気持ちいい」っと水面をたたき、
同じ種目の平泳ぎ。
まだ、北島康介さんのタイムには及ばない。
で、25m × 10 回 で、25000cm 泳いで。
今日は、これぐらいにしといたらぁ。って呟いて。
25mプールから、波のでるプールのビーチへ移動。
ビキニ姿のお姉さんがちらほら。
高校生には、刺激がが強すぎだっせ。
気づくと、体中が痛いなぁ~って。
保養出来たのは、眼だけだったなぁ~。
高崎市 箕郷 梅まつり会場
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財務省が決裁文書の書き換えがあった事を認めた。
誰が指示を出した。責任者は~みたいなことになってますが、
決裁文書が国会答弁に合致しない、都合の悪い部分が沢山あって書き換えた。
書き換えた人はともかく、
書き換え前の、「都合の悪い決裁文書」は、籠池夫妻が主張しているストーリーに近い物?
担当者や携わった人の議事録や発言を経緯としてまとめたもの。
多分裏付けが出来るものも多いのではと思われる。
だとすると、この1年、国会で審議時間を割いて、
事実無根、知らない、忘れた、廃棄して無い。と云っていたことは、全部ウソだったことになるのでは。
これまでの答弁とは、ツジツマが合わないトコが沢山出てくる一方で、
書き換え前の決裁文書に沿って、役者を揃えて行くとスッキリする展開になるのではと思います。
麻生さんは、この期に及んで佐川が勝手にやった事みたいな発言。意外と潔くないなぁ~。
他にも、別の大きな課題が山程あって、
安倍さんもやっと将らしくなってきたのに~。
-MEMO-
2017年の騒ぎが大きくなってきた、ある時期に、
決裁文書を書き換えててしまって、証拠を消した。
で、証拠が消えたので
>私や妻が関係していたということになればこれはまさに私は間違いなく~~~辞める
更に、決定打が出てくる前に、選挙をやって「信を問うた」という事にした。
野党側が攻め口が見つからずにちょっと飽きて来た所で、当事者を栄転させて、論功行賞した。
意に沿った行動をした人は、加増して、余計な事をしゃべりだした人は、抹殺する。
ここにきて、
長官も、更迭となれば、退職金云々があるので、辞任。
籠池夫妻も小学校を創ろうとしていろいろと動いている内に、
突然風向きが変わって建設まで漕ぎ着けたものの。
ボロが出たら嘘が付けなかった。
国会の答弁は、堂々としていたと思う。
教育者としては、これが正しいような。
うるさいのぉ。ヤツは、しゃべり過ぎじゃ。って誰かが思ったら。・・・
小学校建設云々の容疑じゃない件で逮捕。そして長期拘留。
また、一般職員の身で、
四六時中マスコミに追い掛けられたら
全てを知っていながら嵐が去るまで知らぬ存ぜぬなんて出来るのだろうか。
無いはずのモノが出てきちゃって、
上から担当者が勝手にやった事みたいに云われちゃったら。
自分だったら、まいっちんぐ だよね。
*写真と記事とは関係ありません。
震災から7年
被害が大きすぎて、なかなか元には戻りませんよね。
昨日も震災関連の番組を観ていて、
震災後にあった事も考えないと、目的地が変わって行くのではって感じました。
人口減少が課題となっていた地域に、
避難して支援を受けて避難先で仕事や人間関係の基盤が再構築されたら戻りにくくなっちゃうとか。
被災者のケアが少しでも"最良"に近づくように柔軟に微修正していけないものかと思います。
災害の多い国であり、首都直下とか、南海トラフなど、
大きな被害が出る前に、なにか出来ないモノだろうか。
想定外と云われて、なすすべがなく被害が拡大していくさまを目撃するのはナシですよね。
東武鉄道 川俣駅付近
東武伊勢崎線 足利延伸に伴い、1907年(明治40年)この場所移転。
元々は、利根川を挟んだ埼玉県羽生側にあった。
駅の開設に関しては、当時の梅島村の富塚氏らが、
これからの村の発展、国の発展を願い多くの鉄道用地を提供した。
中略
鉄道の開通により、日光脇往還の関所、渡船場として賑わいを見せた川俣地区は、
今は、交通の通過点となってしまったが、直接都心の交通網に接続する重要な交通手段となったのである。
なお、川俣駅は小説の舞台となっている。
田山花袋(館林出身)が大正8年に発表した「再び春の草に」は、羽生市にあった川俣駅が廃止され、
周辺が凋落するまでを描いた作品となっている。
川俣駅プレートより抜粋
11を線路に見立てて、毎月11日に「鉄写同好会の日」として、鉄道に関する写真を発表します。
鉄写同好会の日 連携企画 詳細は、高橋さんの写真館 まで。