南十字星☆

この道48年のフラメンコギタリスト青木敏郎のひとりごと

東京ってところは

2006-04-03 19:38:03 | ・フラメンコ
すた怖えところだ、とかああ上野駅だとか昔はたいそうな覚悟が必要だった。
暮らすには。
電話ひとつかけるにも今はすっかり見かけなくなった公衆電話もあまりなく、近所のタバコ屋のおばちゃんに赤電話の鍵を開けて貰って3分320円のラブ・コール。
手取り月給39000円。東京→新大阪新幹線片道5050円の時代だ。
そんな時代に、日本一のフラメンコギタリストの伊藤日出夫先生にギターを習った。毎週金曜日20時~20時15分。1ヶ月1時間で4000円だった。
高いとは思わなかった。必死だった。1969年。今思えば夢のようだ。
今治出身のソプラノ今井久仁恵女史がボクの次のレッスン生だった。田町駅までの帰り道を二人で歩いていつも一緒だった。プロの生き様を習った。
そんな東京に浩ちゃんは生まれたときから暮らす。浩ちゃんパパは母校の明大ラグビー選手にしたいそうだが、今のところzi-ziが差をつけている。
5月の連休はギターとウクレレを持って飛んでいくよ。

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2 コメント

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汗と涙と・・ (ayacollette)
2006-04-05 09:31:44
青木さんが東京にレッスンに

来られていたまさにその年

私はこの世に生を受けました。

すごい人と共演させていただいたなぁと

あらためて感謝。

当時、東京にレッスンに通うというのは

かなりの決心が必要だったことでしょう。

私も16,7の頃に重い楽譜を抱えて

飛行機で通っていたことを思い出しましたが

その頃よりもずっとずっと

東京という所は地方の人にとって

遠い所だったでしょうから。

私も東京は

人懐っこくない土地柄でクールすぎて寂しいと

住み始めは思いましたが、

今ではもうそんなことも体に染みついて

しまいました。

だから故郷のよさが東京の人って

人一倍わかるのかもしれませんね。



青木さんの青春時代の話とても興味深いです。

また聞かせてくださいね。

今井久仁恵さんという方は

お名前しか存じないのですが

有名なオペラ歌手なんですよね。

同郷なのに恥ずかしながら

声を聞いたこともありません。

録音物ないか探してみます。

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遠い一週間 (ボク)
2006-04-06 00:27:07
1969年。アヤコレットさんにとって記念すべき年だったのですね。

今治でのお話のなかでピアノの先生との思い出というか先生がいたから今の私があるという感謝の気持ちに感動しました。師の恩は離れて年を経てなお重いものです。

未来を見つめ、今を生きるアヤコレットさんの瞳に映る故郷の青い海、ママコレット、先生、お父さん・・・熱い思いが流れているのですね、だからあなたの音楽は聴く人をみな一瞬で惹きつける。

あれから1週間、体調を崩し気が抜けた中でふと書いた古い思い出話。

全盛期の今井女史のステージに何回か招かれました(ギター合奏団で)。手順はいつも決まって最初キーと寸法確認を一度鼻歌で合わせ、1ヵ月後に普通の声でリハ、そして次は本番で初めてソプラノで圧倒されました。発声を向うで鍛えたので日本人離れの声量で、毎年上野の文化会館の大ホールが満員でした。

奇しき運命を感じます。連休に甥の結婚式をかねて上京しますので消息を尋ねてみます。
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