■関連項目 Ⅱ
ー ムーランルージュ ー
ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge、フランス語発音: [mulɛ̃ ʁuʒ]1889年に誕生したフランスのパリ市内、モンマルトルにあるキャバレーである。
フランス語で「赤い風車」という意味で、実際に屋根の上に赤い風車がある。
〔概要〕

編集 歌やダンス、フレンチカンカン、大道芸を組み合わせたショーで有名。また、画家のロートレックがここに通いつめ、踊り子たちをモデルに数々のポスターを描いたことでも有名である。 第一次世界大戦や第二次世界大戦下でも営業を続け、第二次世界大戦中にパリがドイツ軍の占領下に置かれた際も、多くのドイツ軍将兵でにぎわった。ここで活躍した著名なミュージシャンとしてはエルビス・プレスリー、フランク・シナトラなど多数いる。 現在もパリを代表する観光スポットの1つとして人気がある。1日に2回のショーがあり、19時(ディナー付)、21時(19時の回のディナーが終わったころに入場し、19時からいる人と一緒にショーを楽しむ。ドリンク付)、23時(ドリンク付)が開演時間。約840名が収容できる。
■映画『MULAN ROUGE』概要
『ムーラン・ルージュ』
(Moulin Rouge!)は、2001年製作のオーストラリア・アメリカ合作映画。
バズ・ラーマン監督。
ラブ・ストーリーであり、ミュージカル映画。 ムーラン・ルージュ


パリにあるキャバレー「ムーラン・ルージュ」を舞台に、踊り子と若き作家のラブストーリーが、ビートルズやエルトン・ジョン、マドンナなどの曲に乗せてつづられる。 目まぐるしい映像と、有名な楽曲の使い方に関して賛否が分かれるが、主演二人(ニコール・キッドマン、ユアン・マクレガー)の吹き替えなしの歌と、豪華なセット・衣装が話題になった。 キャッチコピーは「ふたりの愛、ひとつの運命。」・「パリ、1899年この街で、最も愛された一人の女… 彼女の名はサティーン」。
〔ストーリー概要〕
英国の上流階級出身の作家志望の若者クリスチャンは、父親に反対されながらもボヘミアンな世界に憧れて華の都パリのモンマルトルに出てきた。モンマルトル一角の安宿に部屋を取り、自由と愛に就いての物語を書こうと試みるが、いざ書こうとすると物語に出来るような恋愛経験が無いことに気付き、クリスチャンは途方に暮れた。 その時、天井を突き破って意識を失ったアルゼンチン人が落ちてくる。驚愕して穴の開いた天井を見上げると、キャバレーのムーラン・ルージュに雇われている作家のオードリーや新進気鋭の画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック達がクリスチャンの部屋を覗き込んでいた。オードリー達はアルゼンチン人の様子はどうだ、明日までの原稿は完成するのかと大騒ぎ。トゥールーズ=ロートレック達は、経営者のジドラーが電飾に凝りすぎたせいで経営が傾いた「ムーラン・ルージュ」の新たなパトロンを見付けるために新しい舞台を考えていたが、披露する歌の歌詞が決まらず、喧々囂々の状態だった。セットの上で彼らのやり取りを見守っていたクリスチャンは、思わず知らずのうちに、彼らが披露するつもりであるショーに完全にマッチした歌を披露した。トゥールーズ=ロートレックらはこれほど完璧な歌を書ける人間はいないと絶賛し、オードリーに彼と一緒に歌を書いてくれないかと頼んだが、オードリーは見ず知らずの新人と一緒に書くことを拒否し出て行ってしまう。 これでクリスチャンを仲間に入れる障害がなくなったと見たトゥールーズ=ロートレック達は、クリスチャンにアルゼンチン人が持っている最高のスーツを着せて、ムーラン・ルージュの花形スターであるサティーンに取り込んで、経営者のジドラーにクリスチャンを認めさせる計画を立てる。かくしてクリスチャンはトゥールーズ=ロートレック達と共に歌を書くことになった。クリスチャンは生まれて初めてアブサンを飲み、完全な酩酊状態でムーラン・ルージュの舞踏会に潜り込むことになった。 ムーラン・ルージュでは多くの着飾ったカンカン踊り子が舞踏を盛り上げ、そして勿論、花魁で高級娼婦ののサティーンだった。サティーンは自分を本当の女優にしてくれると約束している公爵と二人きりで会うことを心待ちにしていたが、ちょっとした手違いから、クリスチャンを公爵だと勘違いしてしまう。クリスチャンはサティーンの目の前で自作の詩を朗読し、二人は恋に落ちてしまう。
〔ウィキペディアより引用〕