簡潔に合理的に。が見本。
無駄なお金と無駄な時間は悪。
みたいな風潮の今。
本当に簡潔に合理的にが正義なのでしょうか?
話はここからです。
私が若い頃は、私より目上の人たちは今で言う無駄を大切にしてくれていたような気がする。
例えば、とにかく説明できないものは「社会勉強だからこれは。」とひとくくりにされるもの。
接待でもなんでもない、同僚部下上司交えて遊ぶ社会勉強。
仕事中に自分のレベル的に出来ない仕事を、今で言う無茶振りされて失敗し笑われる社会勉強。
体験したことない事を、突然やらされる社会勉強。
何でもかんでも最後に、「コレも社会勉強だから」
と、一言言われて終了。
今だとコレはパワハラとか言われちゃうだろうが、その社会勉強の多くは本当に社会勉強となって後に生きる事が多かった。
時間と金の無駄使いではあるが、口や書類などで説明するより、百聞は一見に如かずということですね。
今はなんも知らなくても、スマホでパソコンで手に入る情報。昔はそうじゃなかったからこそ体験しないと理解できなかった。
なら、今はそれやらんでも良くないか?とは思うが
避難訓練と一緒。頭でわかってても体で覚えてナンボ。
社会勉強という避難訓練のお陰で、いざというときに頭が体が回るようになる。
合理的に簡潔に物事動かせるのは理想。
会議室と現場は違うと、どこかのドラマの名台詞でもあるように、頭で描いたとおりにはなかなか行かないもの。
そこんとこわからない世代がどんどん出てくる。
不安で仕方ない…