Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

御礼と感謝

2011-12-11 12:49:12 | その他の応援団関連
暫く…と言ってもほぼ5か月程、更新をお休みしていました。

「休もう」と決めたその時は、ここで更新すること自体を止めようと思ってもいました。それまで、「突っ走っていた」感じもなかったわけではなかったので、私自身は楽しんでいたけれど、「あなたは、単に楽しんではいけない」という声もあり、その「戸惑い」との間で板挟みになり、一気に疲弊した感も否めません。

休んでいたその間、趣味のスポーツ観戦(テレビ、野外問わず)もしていたし、職場も、仕事のやり方(「目的」は一緒です。ただ、「アプローチの方法」は…)も変わる等、色々な意味で多忙でしたが、それなりに充実していたと思います。

その休んでいる間に、ブログを始めたことで「ご縁」を得た方とも、オフで会って会食させていただきました。

その、ある会食がある意味「決め手」にはなりましたが(具体的には、最後に…)、ゆっくりのペースで良いから、再開しようと決めました。
だからと言って、必ずしも「応援団の事一色」でもなければ、「応援団から離れる」ということでもなしに、キーワードである「ゆるゆる」とやっていきながらペースを掴んでいこうと思っています。
暫くは、「その点」を期待している読者の皆様には不満を抱かせるかもしれませんが、「壮大な実験」を試みていた…という事に気付いた後ですので、「リハビリ」はやはり必要の様です。どうか、その点は温かく見守って頂けたら…と思います。

再開して始めての記事ですから、カテゴリをどこにするのか…迷いました。
しかし、やはり「元・応援団」のブログで、もはや「壮大な実験」を途中で放り出す訳にもいかないし、それがそこそこうまくいったら、私の様な小さい人間よりも、もっとスケールの大きな「元・応援団」の方が、立派なブログを立てて下さるかもしれません。そのきっかけとして拙ブログがネット上で佇んでいるとしたならば、やはりその「御礼と感謝」は、「元・応援団のDancho」として述べた方が良いのかも知れない…と思い、敢えて『その他応援団関連』としました。『その他(外出/日記等)』よりも、相応しいのかな?…と、自信がない中でもそう感じたので。

では、今回は、お休みしている間に頂いたコメントにお返事する形で進めたいと思います。
その前に、コメントを付けて下さった皆様に、お返事が月単位で遅くなりました事を、お詫び申し上げます。


たつやまさん

たつやまさんからは、いつも「励まし」のコメントを付けていただいた様に思います。
その励ましは、頂いたその時から、大変ありがたく、そして、嬉しく思いました。
しかし、たつやまさんのように、ご支援を頂ける方もいれば、実は「そうではない」方も多くいることを知りました。
「自分のブログだから、好き放題書けば良い」…基本はそれで良いのだと思います。私もそう思って楽しんでいました。
しかし、「この世界」は、それだけで続けられる程の「温かい空気」だけではない事も知ってしまいました。だから、私の様なコンセプトのブログは「成立しにくい」のです。
ですが、これは、以前に私のブログ友達のssayさんが仰っていた様に、「壮大な実験」であった事に気付きました。ssayさんの声を聞かなかったわけではないけれど、門外漢のssayさんだからこそ、そこが冷静に見えていました。しかし、私は「当事者」ですから、逆にその時は見えにくかったのです。少し離れてみて、それに気づきました。私は、素晴らしい友達に恵まれました(ssayさんとは、実は、nanaponさん川島さん風屋さんも含め、1年に1度はお目にかかって、会食させていただく程の「深いご縁」です)。
最後に述べますが、そこから逃げるのも、また、戻るのも、私の「勝手」ではあります。
しかし、もしも…たつやまさんの様な御方のご声援に支えられ、この試みが上手くいったならば、私の様な「ガラスのメンタル」の小さな人間よりも、もっと壮大な御方が、「自分もやってみようか」という気持ちになって下さり、それが「この業界」が活気付くきっかけになるのであれば、私は「捨石」になる覚悟でも、逃げたらあかん!…色々なモノを見たり聞いたり体験したりしていく中で、そう気付きました。「中途半端」で終わっているものもあります。それではいかん!…という気にもなりました。
どうも、私は、たつやまさんの様な御方に支えられ、何とかここまで続けられたのだと思います。
私は、まだまだ「建築中」なのです。だから、自分を磨くためにも、敢えて「荒波」に飛び込む覚悟も決めました。
何があったのかは、申し上げられません。「寝た子を起こす」事になるかもしれないからです。しかし、その寝た子がたとえ起きても、私は、正々堂々と前を向いて頑張ります。
「何も間違っていない」…凄く嬉しかったです。
帰ってきました、Danchoとして。
私は、「自分になるため」に、帰ってきました。
しかし、私は強くありません。「ガラスのメンタル」な小心者です。どうか、私をそっと、陰ながらで充分です。ご声援を、宜しくお願い申し上げます。
本当にありがとうございます。

紫紺の八木崎健児先輩

先輩には、何て申し上げて良いか…。
先輩も、本当にご多忙にも拘らず、私の「ピンチ」の時は、必ず助けて下さる…。
私達は現役の時、先輩から「テク」をみっちり鍛え上げられた記憶はございません。
「辛い練習」によって肉体的に鍛えられたという記憶がございません。
しかし先輩は、私達が応援団としての「振る舞い」とか「資質」とか「しきたり」という面で困った時には、必ず、どんなに忙しくても、「精神的」な面で「お兄さん」になって頂きました。先輩にお尋ねすれば、必ず答えが返ってくる…。そして、「応援」の「何たるか」を、「東京六大学応援団連盟」の直ぐ傍で学ばせて頂く事も、先輩のお力添えによってできました。
だからこそ、今でも「大きな存在」ですし、拙い私のブログを温かい目で見守って下さっている事に、凄く感謝しています。
私達は、今の時代にあって「時代遅れ」かもしれませんが、先輩の後ろ姿に憧れ、先輩の後ろ姿を目標に、練習してきました。辛かったけれど、今となっては本当に続けて良かった…と思うことの方が殆どです。
恐ろしい事に、人間は、「喉元過ぎると、どうも熱さを忘れる」様にできているようです。東日本大震災から今日でちょうど9か月です。しかし、都会では「クリスマス」だの「イルミネーション」だの、「時の経つことの早さ」にいつの間にか流され、その「風化」を恐れる報道がなされて、反省もさせられました。
かくいう私も、高校3年間の「辛かったけれど、充実した日々」を、実はどこかに忘れてしまい、「現実」という波に乗り、そして飲まれて流され、その「本質」を見失いかけていた様に思います。少なくても、社会人になって、このブログを始める前の私は、山口でたった一人でいる「孤独感」に甘え、自分の今の現実の辛さだけを見て「辛い」と言っていただけの様な気がしています。
しかし、親友である53番君とのやり取りを、このブログを始めて思い出し、そして先輩のコメントに励まされ、先輩のお許しを頂いて記事も書かせていただきました。
そして、先述のブログのお友達に支えられ、ここまで来ました。
「認識の甘さ」が、この長きにわたる「お休み」に繋がってしまいましたが、「強弱」とか「緩急」という面は、暫く離れてみて勉強できた気がします。
「私らしく」という点は最後に述べますが、私は、私の体験をこういう「媒体」を有効活用して、今の現状を打破したいと思っています。母校の定時制職員として「出向」みたいな形で、「時の人」である川内 優輝 選手が勤務なさっていますが、その川内選手の目標でもある「現状打破」という言葉を励みに、頑張りたいと思います。
まだまだ未熟者の私ですが、今後とも今一層のご指導・ご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

花巻東さん

どういった意味かは、若干理解に苦しむ面はありますが、続けます。
ありがとうございます。

コンドルさん

応援団が「今抱えている問題」の「中心人物」の「保護者」という事で、私達は、「現状打破」という壁にどう立ち向かったら良いのか…名案が浮かばずに、「低空飛行」を続けているような状態です。
コンドルさんの方にもコメントを付けさせていただきましたが、私達が現役当時は、十数名が最初入部して、結局幹部になるまでに5人に絞られていく…まさに、「マラソン」の様な感じでした。
しかし、今の男子の実業団の選手が駅伝にこだわり、「マラソン」への意欲がなく、その「スタートライン」に立つ人財の絶対数の低下が、結局は「レース不成立」という残念な結果を招く問題にまで達してしまいました。もう待ったなし…の状況です。
繰り返しになりますが、私達が現役の時は「市民マラソンのマニア」みたいな人が多かった…だから、とりあえず「味見」をしてみよう…という感覚に近かったのかもしれません。しかし、どうも埼玉の東部は、その味が「味見」をする前から「まずい」とか「苦い」という風潮があるのかもしれません。もう、私達が現役当時の「常識」では現状打破は望めません。会社の製品であれば、イメージや品質が悪ければ、ユーザーが付かないのと等価です。
では、「応援団」という「製品」を、「案外美味しいんじゃない?」とアピールしていくためには…もう「営業努力」しかありません。
先程、「壮大な実験」という言葉を使いましたが、私はそれを「トータル」として「実験」とは捉えていませんでした。「少しニッチな部分での試み」程度の意識でした。
しかし、「ネットの世界」は、そんなに甘くはありませんでした。だからこそ、「成立しにくい」のか…と。
コンドルさんとも、この夏に直接お目にかかり、御挨拶させていただくに至り、この問題と真正面から対峙せねばならない…と、強く思いました。ならば、「壮大な実験」を「その通り」と捉えて、もう、訴え続けるしかない…行動しなければならない。
私は、現時点で、母校の傍に住まいがある訳ではありません。したがって「営業努力」という点で、どうしても制限があります。しかしながら、それに気付きながら何もしないのであれば、「現状打破」なんてことは絶対にありえません。だから、普段はこうしたツールを利用して訴えるしかない…。そして、「大きな行事」には、何かを惜しんで二の足を踏んでいる事は、もはやできない…だから、御挨拶させていただいた「場面」に「出席」したのです。バカで申し訳ありません。しかし、私ができる事をやったし、これからもやるつもりです。なぜなら、それがDanchoだからです。
そういう私のパーソナリズムを、恐怖も感じますが、「匿名性の良さを最大限活かす形」で示していこう…そう思っています。
励ましのコメント、本当にありがとうございます。コンドルさんより、直接的にも過分なるお言葉を頂き、色々なモノを見たり聞いたり感じたり体験する中で、帰ろうという力を頂きました。
私なりに、頑張ります。見守っていただけましたら、幸甚に存じます。


最後になります。少し長くなるかもしれませんが…。

今年の夏に「お休み」を宣言するまでは、私は、何だか不安げに見える「暴れ馬」の様な人間だったのかもしれません。それでいて、実は、自分の事を大事に考えすぎるあまりに、、「ガラスのメンタル」故に、叩かれるとポッキリと折れてしまう…そんな人間だったのかもしれません。だから、「逃げ出そう」とも思ってしまいました。
短期間で、私の「個性」や「人格」までは変えることはできません。そんな力は、私にはありませんし、やはりメンタルは「ガラス」のままです。
しかし思います。「それも、自分」だと。ですが、そこに甘んじるつもりは全くありません。今、生きている事が、凄く楽しいですから。
これは、後で記事にしようと思っていた事でもありますが、私は「真面目」という言葉が嫌いでした。でも、そのように周りの皆様には見えるようです。でも、「それも、自分」です。
だから気付きました…。
立教新座中学校・高等学校の渡辺校長先生が、東日本大震災の後でHPで卒業生に向け、こう餞の言葉を発表されました。

「クソ真面目な男になれ」

良いんだ、それで…って。

そして、冒頭に「あるブログ友達の方と会食させていただいた」と述べました。
それが誰か…。
私がこのブログを始めて、初めてオフで会った方です。そう、くっち~(=振られ飛車)さんです。

私がブログを休んでいる事を、私から話さないまでも、絶対に知っていた筈です。
でも、会食させていただいた僅か2時間、くっち~さんは、その点に全く触れず、お互いが「精通する」ある意味「非常にマニアック」なテーマで語らい、私を終始「Danchoさん」って、呼んで下さいました。これが「決め手」でした。

何が申し上げたいのかと言うと、私は、このブログを始めて「Danchoさん」と呼ばれるようになって、初めて「Dancho」になれたのです。皆様方に「Danchoさん」って呼んで頂いて、「Dancho」になれたのです。それが「私」なのです。
私は、「自分になる」ためにも、「Dancho」としてここでは佇んでいて良いのだと、気付きました。だから、帰ってきました。

ご心配をおかけしました。申し訳ありません。

途中、「さぁ、再開するぞ!」という私の声を「とても不安」とご助言いただいたnanaponさん、本当にありがとうございます。

私は、私になるために、どこかの「あなた」が、私という人間と、応援団にほんの少し興味を持っていただけるように、頑張ります。
だから、「ゆるゆる」やらせていただきます。私になり、私であり続けるために…。

そして、『私』とは、「禾へんに「ム」」と書きます。

禾へんは、目印を付けた木の事で、隣の「ム」は田んぼを耕す道具、鋤の事…。
これは、「漢字一文字の手紙」と題した拙稿にも書きました。

私は、もっと成長するべく、私をしっかり耕して、「豊かな人間」になるために、ブログも続けます。これ、書く度に、実は、私は感極まって泣いてしまうのですが。

どうやら、無事、来月8日に、5周年を迎えられそうです。

待っていて下さったnanaponさん、ssayさん、川島さん、風屋さん、くっち~さん、imuimuさん、休んでいた間にそちらにコメントを時々付けさせて頂いたあおやきさん、コンドルさん、おばらあつひろさん英さんこてくんさんテリーさん、カクパン先輩、ヘボさん、同級生のもりやす君、その他大勢のブロガーの皆さん、ブログを止めてしまいましたが、陰ながら支えていただきました、ハンドルネーム・りらさん、そして、常連コメンテーターのK・O・Fさん、烈さん…ただいま。
Danchoは、「Danchoになる」ために、帰ってきました。
本当にありがとうございます。

この気付きを与えて下さった皆様…本当にありがとうございます。

以上で、拙く長文で恐縮ですが、『御礼と感謝』に代えさせて頂きます。
Comments (3)
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