Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

往復2,000kmの旅

2010-05-25 00:00:01 | その他(外出/日記等)
これ、全くタイムリー性ないけれど、15日の晩から深夜にかけて書いた、力作調の紀行記事なので、勿体ないのでエントリーします。

読者の皆さん、気長に気楽にお付き合いくださいませ。

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今年のゴールデンウィーク。
各地で軒並み「夏日」になるなど、絶好の行楽日和になりました。
(私の知る限りでは、関東以西が当てはまりますが…。)

ところで、私が2台目の新車を購入したのが、今から3年前。
前の車は、「正式に」山口配属が決まってすぐの1997年4月に購入したミドルクラスのセダン。
3年前に11年目の車検を通そうとしたところ、些細な欠陥がみられ、このままでは車検は通らない…と、ディーラーに通告され、さてどうしようか…という時に、思い切って買ったのが、今の新車(といっても、来月初の車検なので、もはや「新車」とは言えないのですが…)。

では、「この」車を選んだ理由ですが、一つは家族で遠出ができること。
もう一つは、試乗して実際に乗り心地が良かったから…です。
乗り心地が良いということは、すなわち、「長時間運転しても疲労度が違う」ということです。
実際、乗ってみるとその通りで、最初に買ったセダンに比べれば、本当に疲れない。良い買い物をしたと、今でも思っています。

だったら、一度は、山口に住んでいるうちに、埼玉の実家にこの車で帰省するのも良いかな…と、実は前々から思っていました。

娘も小学校に入学するまで成長し、ある程度「我慢」ができるようになったし、私の両親に娘を会わせるのも4年ぶり…ということもあって、家内と交代交代で運転して、帰省しようと思って、実行に移しました。

その時の心境を、imuimuさんのリクエストもあったので、披露しようと思います。


まず、前提として、「渋滞」をある程度あると想定した場合、娘が長時間の乗車に我慢できないだろう…と考え、だったら「娘が就寝しているうちに、着いてしまえ」ということで、行きも帰りもその日の夕方に出発して、翌朝到着するようにしました。

つまり、「ミッドナイト・ドライブ往復2,000kmの旅」ということに…。

でも、これが結果的には「正解」でした。まぁ、事故なく行って戻ってくることができたので、そう言えるのかもしれないのですが…。

山口を出発したのが、5月1日の夕方16時30分過ぎ。

カーナビに計算させると、14時間弱かかると答えが返ってきましたが、まぁ、それは事前にシミュレーションしていたので「そうか」と。

途中、山陽自動車道の宮島SAで、娘が「晩御飯にしたい」と言い出し、ここで先ず最初の休憩。高速に乗って、僅か50km走っただけですが…。

家内とは、距離にして250kmを走ったところで交代と打ち合わせをして、後は適当に休憩を取ることに…。

そして、最初の交代は、山陽自動車道・吉備SA。距離にしてちょうど250km。
ここで、家内と最初の「バトンタッチ」。
時刻は5月1日の20時30分頃だったと記憶しているので、まぁ、それなりに順調。
でも、広島県が意外に長くて、気が遠くなったことも確か(なんだ、まだ広島かよ…なんてね)。

ここから3時間くらいは眠れるかな…と思いきや、全く眠れない。
車中で睡眠を取ることが、こんなに難しいとは…。
これじゃ、この先、高速バスで帰省…という選択肢もあるけれど、私には難しいかも…と、正直思いましたね。

そして、なかなか家内が休憩を取らない。
先は長いので、逆に心配で、もはや睡眠どころではなくなってしまいました。

そうこうしているうちに、山陽自動車道→中国自動車道(ほんのちょっとだけだけど…)→名神高速道(途中「京滋バイパス」を経由)と、どんどん進んでしまう家内。
車の運転は、確かに家内の方が免許を受けている年数が長い分だけ上手なんだけど、どんどん心配に…。
「休憩、大丈夫?」なんて、力なく問いかけてしまう私。
何しろ、初体験なので、どんどん走るたびに緊張と不安が…。
(人前に出ても、滅多に緊張しない私でも、情報が少ない場所を深夜にドライブとなると、さすがに緊張します…。)
しかも、「ガス欠」のリスクマネージメントもしていたので、そんなに走って、大丈夫?…という不安も。

名神高速道・多賀SAで「やっと」給油。山口から540km程走行。
家内からバトンを再び受け取って、ほんの少し安心。
でも、まだ滋賀県(やっと滋賀県とも言えますが…)。
残り450km。先はまだまだだなぁ…と。

少し話は脱線しますが、関西在住のくっち~(=振られ飛車)さんなら、よ~くご存じな事だと思うけれど、山口方面から多賀SAの途中に、『竜王IC』なんて、「格好良い」ICがあるんですね。びっくりしました(これで、完全に睡魔は去りました)。
多分、全国探しても、将棋のタイトル名(しかも最高峰)が付く施設なんてないでしょうね。
(まぁ、滋賀県に「蒲生郡竜王町」という町名があるから、全然珍しい事でもないのでしょうけれど…。)

多賀SAを出発したのが、5月1日の23時40分過ぎ。

日付が変わる深夜にドライブ…という経験がない私。全くの「未知の世界」。
しかも、縁も所縁もない場所を走行となれば、今までに味わった事のない不安と緊張感。
でも、事故は絶対にできない…。
「周り」にどんな風に思われても「キープ・レフト」で、無茶な追い越しはしない…と決めて、ただ前を行く車のテールランプを頼りに、車間距離を開け過ぎる程開けて、これまでになく慎重に運転していたように、今になって思いますね。

まぁ、先程の「竜王IC」の発見で完全に払拭されたとはいえ、いつ何時睡魔が襲ってくるかもしれない…と思い、仮眠しようとしている家内には迷惑だったかもしれないけれど、iPodの「新幹線乗車用のプレイリスト」の音楽を鳴らして(我が家のカーナビは、iPodを接続することが可能なので)、滅多に口にしないガムを噛みながら、一人で「カラオケ」して、適度に緊張感をほぐしながらとにかく先を…。
ここぞとばかりに、前に書いたけれど、福山 雅治の『はつ恋』をマスターするべく、歌っていましたかね…。

やがて滋賀県を抜け、imuimuさんが住む岐阜県に…。

日付が変わって、5月2日の0時30分か、1時ちょうど頃かな…と思うのですが、新幹線の岐阜羽島駅の近くに差し掛かった時。
名神高速道と新幹線が並行して走る場所があるのですが、いつもは「もし、車で埼玉に帰る時は、ここを通るんだな…」と、新幹線の車窓から眺めてぼんやり思っていた時とは「逆」の立場で、新幹線の鉄橋を眺めることに…。
「遂に新幹線から眺めているところまで来たのかぁ」と。
少しずつではあるけれど、確実に埼玉に近づいている実感が初めて湧いたかな…。

睡魔が襲うことも全くなく、岐阜県を過ぎ、愛知県の小牧ICも過ぎて、東名高速道へ。

車は確かに多かったけれど、これと言った渋滞もなく、「鬼門」とされる岡崎ICも過ぎて、静岡県へ…。

単調ではあったけれど(これが東名高速の欠点かなぁ。IC間も距離がとてつもなく長いし…)、適度な緊張感を保ち続けて、静岡県富士市の富士川SAに到着。
多賀SAから300km程走り、ここで家内と再度バトンタッチ。
(しかし、混んでいました…。ここでは、本当に「トイレ休憩」と運転手交代のためだけに止まっただけ。)
いやぁ~静岡県も長い。走っても走っても、静岡県…。あと神奈川と東京を通過すれば目的地に着けるのに、とにかく長い事長い事。

残りおよそ150km。5月2日の3時15分頃、富士川SAを出発。

残りはさすがに眠れるだろう…と思っていたけれど、東に向かっているので、「夜明け」が早く、神奈川県に入ってすぐに明るくなり始めて、結局一睡もできず。
車の中で寝ることは、私には難しいのかも…。

東名高速道も抜けて、いよいよ首都高速に。

実は、私は首都高速を自分で運転して走った事が、ない。
もちろん、家内も初めて。
でも、家内は何度も走った事がある様な運転で、「やっぱりかなわないな…」と。
実家に着いてから家内が言っていたけれど、「とにかくカーナビの指示に従っただけ」だったそうだ。それにしても、見事な運転技術だったと思う。

外環道の草加ICに到着したのが、5時15分頃。
実家の母には、「5月2日の朝に着く予定」とは話をしていたけれど、それにしても早く着いた。
このまま走り続ければ、あと15分で着くことができるところまで来てしまったので、とりあえず24時間営業のファストフード店で「朝食」を摂ることに。

因みに、娘は、私が広島県内を走行中に眠りに就き、目覚めたのが首都高速に入る直前だった。
「娘が就寝しているうちに…」という予定は、思惑通り、その通りになりました。

母が起きているだろうと思われる時間に、「すぐそこまで来ている」旨の連絡を入れたのが、6時30分過ぎ。
ですが、母は、私が「朝に就く予定」と話したことを聞き漏らしたそうで、電話口で驚いていました。「もう来ちゃったの?」って。
まぁ、受け入れる方は「一向に構わない」ということで、実家に向かいました。

無事に実家に到着したのが、7時ちょっと前。
休憩の時間を含めないと、13時間弱で埼玉・越谷市の実家に到着できました。

その後も夜まで結局起きていたので、約40時間起きていたことになるのですが、それも初めての事。
山口に戻る時も、同じことになるのだろうなぁ…という予感は、結果的に「的中」するのですが、でも、これで変な意味で「自信」がついたことも確かですね。
これまで、「絶対に寝ないと、ダメ」と思っていたのですが、「起きていても何とかなる」と実感できたので…。

実家では、実質2日ちょっと過ごしたのですが、それは前に書いた(これと、これ)通り。

山口に戻るために実家を出発したのが、5月4日の16時30分頃。
夕食や入浴はそれまでに済ませているので、途中は、トイレ休憩や運転交代のために止まるだけ。
娘も、「行き」と同じように、東名高速道に入って間もなく眠りに就き、起きたのが翌朝の岡山県内のPA(篠坂PAだったかな?)に着いた時。

「帰り」は、静岡県の裾野ICから日本坂PAまで渋滞が予想されると、事前に調べて覚悟はしていたのですが、本当にその通り。

しかし、想定外だったのは、そこから名古屋まで渋滞が続いたこと。

実家から東名高速道の小笠PAまで、私が運転を担当しましたが、道中のSAは全て「満車」の状態。小笠PAで、何とか駐車帯に車を止めることができた程、車の数が凄かった。
小笠PAから東郷PAまでを家内が運転を担当して、そこから山陽自動車道の三木SAまでを私が再度担当。途中、滋賀県の草津PAで給油のために止まりました。

名古屋を抜け、名神→中国→山陽道は、スムーズに流れて、その流れに乗る様な恰好で、無事山口の住まいに戻ることができました。

山口→実家の緊張感を、実家→山口でも持続できたことが、良かったと思っています。


色々な意味で初体験があった、「往復2,000kmの旅」。

一生の思い出になった事だけは、間違いはないですね。
Comments (2)
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