いつもご覧下さり、誠に有難うございます。
何年か中断があったとはいえ、19年もの間ブログをダラダラやっておりますと、読み返してみて「我ながらコレはいいことを言っている!」という過去ネタに出くわすことがあります。
ある意味、答え合わせ的な要素もありますが、折を見て復刻版としてご紹介したいと思います。
第1弾は2009年に投稿したコレ!
◼️2009年9月
読むのは簡単ではないけれど…邯鄲の夢
「人生とは何か」を考えさせてくれる本。
その核心部分がp.191以降にありまして、妙に納得した次第です。・・・人生とはどっちに転んでも、たいしたことはない。
社長になろうと、一生ヒラ社員で終ろうと、どんな職業に就こうと、その立場立場で悩みがあり、苦労と喜びがあり、トータルで見れば結局同じことなのである。
要は、違う世界を知らないが故のないものねだりであり、その立場になればこうじゃなかったはずだと思うもの。
そこで、著者が引きあいに出したのが、
タイトルにある「邯鄲(かんたん)の夢」というお話です。
こちらのサイトで解説がしてありますので、ご覧下さい。 →邯鄲の夢
生きるうえで、いかに苦労して立身栄達をきわめようときわめまいと、過ぎてしまえばみな同じだ。
(ではどうすればよいか、それは、)
おのれに適した仕事を営み、嘘偽りのない日々を送り、心清く、その年齢に合った愉しみを見つけて暮らせということだ。
まして五十路を過ぎても出世欲にかられ、
人を裏切り心を鬼にして会社に尽くすなど愚の骨頂。出世欲を捨てても、心静かに知的好奇心を磨くという最大の愉しみが残っているではないか。
・・・・という流れで、著者は、
「教養を磨いて、世俗的な欲望(出世・名声・財産)や多忙さから解放されて、独自のオリジナル生活をエンジョイする現代の高等遊民を目指せという提言」をしております。
とっくの昔に「出世」が死語となった私におきましては、我が意を得たりの心境。
(もっとも私の場合は、負け犬の遠吠えですが・・・・)
まっつ、要するに、達観のススメといったところでしょうか。
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あれから15年。
著者の考え方に強く共鳴していた私は、下等遊民として楽しく生きて来れたと思いますし、この15年間を振り返ってみて著者の指摘はその通りであったと実感しております。そういう意味では、座右の書となりました。
この本、中古で安く売っているので、ご興味ある方はぜひ。
蛇足ですが、邯鄲の夢の解説サイトにあった会話例にドキっとしました。
「中村のやつ、株の大暴落で大損したってさ」
「いや、ちょっと前までは財テクの達人なんていわれて豪勢な暮らしをしていたけど、今じゃ借金だらけ」
「いやあ、邯鄲(かんたん)の夢だね」
なんか近未来を予想しているよう。
皆さん、「中村」にならないようにね。
ではまた。