あした天気になぁれ!!               

  
心の中に残った事を書いてます。   
今はGIMPの画像処理も面白い  

欠けたお月さま

2007-08-29 | Weblog

太陽・地球・月が一直線に並び、地球の影の中に月が入って
暗く見えるのを「皆既月食」というそうです。
小学校頃から何度も月食という言葉を聞いた事はあるけど、
大抵深夜とか明け方とか私が眠っている時間帯でした。
中学・高校の頃は夜中起きてて観察し、それを学校で発表する人もいたけど
お月様見るより寝てる方が大好きな私は無関係!!

ところが8月22日は時間が早いので見られそう‥‥と待ってました。
調べてみたら、
   半影食の始め  16時52.2分
   欠け始め    17時50.9分
   皆既食の始め  18時52.0分
   皆既食の最大  19時37.3分
   皆既食の終わり 20時22.7分
   部分食の終わり 21時23.8分
   半影食の終わり 22時22.4分   との事でした。
福岡の月の出 18時47分の筈なのに山が邪魔でなかなか月は出てこなくて
暫く他の用事をしてから見に行くと
薄ぼんやりとした赤味がかった月が東南東に‥‥。



 「これが月食??」 
 「きっとまだなのよね」
 「周りの輪みたいなのが少し見える」
 「輪が少し大きくなったみたい、はっきりしてきた」
気がついたら皆既食の終わりの頃‥‥
こんなに空を眺めたのは何年ぶりの事でしょうか?
何かしら幻想的な雰囲気で、時間がゆったりと流れている感じでした。

 

夏は暑いほうがいい?涼しいほうがいい?

2007-07-28 | Weblog

今週のgooブログ、トラックバック練習板の題は
「夏は暑いほうがいい?涼しいほうがいい?」

「どんなにしたら、肋骨を折れるの?」って以前友人からかわれた事があります。
というのも、前の家に越した時、何故か全館冷房システムになっていて
個別の温度設定が出来ず、夏も家の中は寒くて寒くて、
と思っていたら何年か後には咳が出始めました。
五月頃風邪ひいたナ‥‥と思ってたけど、咳がぜんぜん良くならず
七月には咳した途端胸に激痛!!
病院へ行ったら、「肋骨が折れてます。疲労骨折ですね」との事!
結局、寒冷過敏症が引き金になった「喘息」といわれました。
それ以来、冷房などを感じただけで、咳が出始める私。
引越しした後も咳は残り、体感温度が狂っていると自分でも思います。

苦手はクーラーの利いた場所全部。
バスの中。汽車の中。病院の待合室。美容院。映画館。

私の場合は、絶対暑いほうがいいのです。
だから夏は好きだけど、クーラーは恐ろしい。

九州の夏、今日の我家の暑さ33度を「丁度いい」と言ったら、
「冷房不用は経済的だけど、一緒の部屋では過ごしたくない‥‥」
と家族から言われてしまいました。


梅雨入りしたけど

2007-06-16 | Weblog


13日にやっと梅雨入りが発表されました。
このところずっとお天気続きで、
「爽やかな気持ちの良い初夏」
というイメージだったけど、
「ダムの貯水量が減って、
行橋市では渇水対策本部設置」
「庭木の水遣りがたいへん」など
見聞きすると、やっぱり雨は大切なのだと
梅雨を歓迎したい気持ちになってました。


ところが今日は外出なのに朝からパラパラと雨!
バスの中で知らない方から、
「自分が出かける時は雨はやっぱり嫌ね。」

と話かけられ、「ほんとにそうです」
とつい本音で答えた私です。

九州北部は、平年は6月5日なのに13日では8日も遅い入梅でした。しかも、まだおしめり程度!
何年か前、水不足で大変だった事を思い出します。
梅雨明け平年は7月18日だそうですから、それまで待ちましょう。
でも2~3年毎に起こる豪雨・洪水はどうぞ起こりませんように。


( 画像左右配置の練習とマージン )


あなたの名前、誰がつけましたか?

2007-06-09 | Weblog

今週のgooブログ、トラックバック練習板の題は「あなたの名前、誰が付けましたか?
私の名前は父が漢字に凝って、昔の尊い宮様の字を頂いて付けたそうで、
物心ついてこのかた一度も誰も正しく読んでくれた事はありません。
いつも「何と読むのですか?」と聞かれます。
そう!誰も読めない名前なのです。
名付けた父は「幸せな女の子という意味!高貴な感じで滅多にないいい名前!」
と満足そうでしたが、本人としては誰も知らない字なんて迷惑です!

若い時、遠隔地で入試を受けたのですが、
合格発表を学校の近くの人に見に行って
貰うよう父が頼んでいたのに全然返事なし。
合格通知が届いた後尋ねたら
「同じ姓はあったけど、名前が違っていたから連絡しなかった」との事。
要するに父も電話では、私の名前を正しく説明出来なかったって事でしょうね。

今でも銀行で通帳を作ろうと名前を書くと、必ずもう一度呼び出され、
「コンピューターに登録されてない文字・
漢字変換が出来ないので手書きで文字を作るので暫くお待ち下さい」。
面倒なのでヒラガナで通帳を作ったら後で引き出しの際
「本人確認用の公の書類と通帳の名前が合わない」とダメでした。

だから、同窓会名簿など配布されても、私の欄だけ手書きはザラ!
幹事さん名簿ではたびたびお手数かけてすみません。


エル・タンゴ2007

2007-06-02 | Weblog

「タンゴの演奏会を聴きに行く」という仲良しの友人にチケットを頼んで、
私も一緒に行く事にしました。
日本では、タンゴがヨーロッパに渡って変化したものをコンチネンタル・タンゴ
それに対して元来のものをアルゼンチン・タンゴと呼んで
区別することがありますが、今回の公演は「エルタンゴ2007」
アルゼンチンタンゴオズバルド・ベリンジェリ楽団の演奏会でした。



指揮ピアノがオズバルド・ベリンジェリの他、
ヴァイオリン、コントラバス、バンドネオンの4人での演奏でしたが、
名前を知っている懐かしい曲がプログラムに沢山印刷されてました。



エル・チョクロ! さらば草原よ! ガウチョの嘆き! ラ・クンパルシータ
淡き光に! アディオス・ノニーノ! etc
タンゴ演奏は編曲がすべてと思ってますが、どの曲も見事な編曲! 
間で歌ったエステバン・リエラという歌手が素晴らしいと思ったら、
タンゴ・ナショナルコンクールの優勝者とか。
ダンス・カップルの踊りも見事!
最後のアンコールでは、大好きなリベルタンゴ
歌声と踊り付きで絶品の仕上がりでした。
思わずCDを買って帰った私です。

( 画像サイズ指定の練習 )


フジコ・へミング・ピアノリサイタルへ

2007-05-19 | Weblog
ずっと以前、NHKのドキュメント番組
フジコへミング~あるピアニストの軌跡~」を偶然見ました。
スエーデン人建築家の父とと日本人音楽家の母との間に生まれた彼女。、
東京芸術大卒業後ドイツ留学を試みても無国籍のため叶わず避難民として渡欧、
ベルリン国立音大卒後、「リストとショパンを弾くために生れてきた」と言われながら、リサイタル直前に風邪が原因で両耳が全く聞こえなくなって、その後は次第に音楽界から忘れられていったそうです。

でも、NHKの番組で聴いたピアノのなんと素晴らしかった事!
高校時代 「進学先に音大もいいナ」なんてチョッピリ考えた事もある私!
フジコへミングの音色には参ってしまいアクロス・シンフォニーホールでのリサイタルを楽しみにしていました。

気の遠くなる様な練習量の結果でしょうが
あの音量のあるパワフルで柔らかな音色が
主に指先と手首から生み出され、普通のピアニストがよく使う肘や上半身の大きな動きが
殆ど無かったのは表現方法として驚きでした。
偏見と独断でいえば「あの弾き方でよくあんな音がだせるなァ、凄いなァ‥」

一部では鮮やかなコバルトブルーのドレス
二部ではパンツ・スニーカーの上に和服をふわりと羽織った形で現れました。
後ろから見ると帯や帯揚げが着物に縫い付けられていて、演奏中はまるで和服で演奏しているみたい! 

柔軟な感性なのに年齢が75歳?というのにも驚きです。

遠方からこの日のためにはるばる来たと言う人達もいて、会場は満員!
最後は拍手が鳴り止まず、花束のプレゼントがずっと続き、
柔らかな彼女の笑顔が印象的でした。

母の日のカーネーション

2007-05-13 | Weblog




 母の日は20世紀の初めに、
アメリカのフィアデルフィアに住むアンナ・ジャービスという女性が
亡き母を偲んで教会での記念会でカーネーションを贈ったのが始まりだそうです。

アンナの母の好きだった白いカーネーションを祭壇に祭った事から
母が生きていたら赤いカーネーション、亡くなっていたら白いカーネーションを
贈る習慣へ変化していったとか‥‥。

それがやがてアメリカ全土に広がり、1914年には
5月の第二日曜日が「母の日」として制定され、
アメリカ国民の祝日になりました。


私も毎年娘から、母の日にカーネーションを貰うのですが
「娘からのプレゼント」って嬉しいものでいつも心待ちにしています。

昨日会った時何も言わないから、
今年は忘れたかな?って思っていたら、
朝、花屋さんが愛らしい花籠を持ってきてくれました。

今年はピンクのカーネーションと蘭とカスミ草!!
「お母さんありがとう」のカードを添えて贈ってくれる心が嬉しく
リボンを付けてラップされたままの籠を
ずっと眺めていました。


お参り

2007-04-24 | Weblog


忘れてた訳じゃないけど雑用に追われてつい延ばそうとしたら
「自分の親の命日くらいは‥‥」と 夫に言われて、
一緒に墓参りに行きました。
市の霊園でとても広く木々の緑が良く手入れされて
気持ちの良い空間です。
お墓は子供の頃なんとなく怖い処だったけど、
父母が 早く旅立ったあと 
何度と無く訪れて時間をかけて掃除しては 
涙したり、いろんな事を報告したり、相談したり、お願いしたり
心安らぐ場所になりました。

母は私を生む時、冬の自宅分娩、そして一ヶ月早い未熟児で、
生れた後すぐは泣かなかっなかったので
もうダメかと思ったたそうです。    
自宅なので保育器など無かったし、その時‥‥
母方の祖母は着物の中に小さな私を入れ周りをくるんで、
自分の肌の体温で必死で温めたとか。
命の恩人です。
時折泊まりに来ていた祖母の布団の中に
中学校時代までは、いつももぐりこんでいました。
おばあちゃん!ほんとにやさしかったなぁ!

「目の中に入れても痛くない」と言われるほど可愛がってくれた父
「本人のためにしっかり育てないと」と厳しかった母

お墓の前で話しかけていると、父母からは昔と同じ声で
心配するな  」「 大丈夫 」とか聞こえてきます。 
どれだけ励まされいることか  シンミリ‥‥


マリー・アントワネット

2007-03-24 | Weblog
華やかな宣伝に魅かれてこの映画を見にゆきました。
14才で単身オーストリアからフランス王朝へ嫁ぎ、周りの悪意に満ちた噂に傷つきながらも、プライベート用に作った農園で自然の中で子育てをする、愛情溢れる母親の王妃が描かれていました。
今まで傲慢で浪費家というイメージだったけど、どっちが本当?
どの世代でも人それぞれ大変だったのでしょうね!
でも、世界遺産の豪華な宮殿の中での物語・フランスの美しい風景は素晴らしいものでした。
                            

こんにちわ!ブログ!

2007-03-10 | Weblog
               今までたくさんのWEBを見て感心していました。
                    今日からはまた私も参加!嬉しいな!
                      でもブログ作りは難しそう
                     一度失敗してるので今度こそは