この時期が来ると決まって読む話がある。山川方夫・作『夏の葬列』。
舞台は東京近郊の海辺の町。時は昭和二十年八月十四日の真昼。
分散疎開でその町に来た小学三年の『弱むし』のぼくと『真っ白なワンピースを着た』、いつもぼくをかばってくれる五年生のヒロ子さんの話。
***
『濃緑の葉を重ねた一面のひろい芋畑の向こう』を葬列が行くのをぼく達は見ていた。そのあとを付いて行けば葬式饅頭がもらえるかもしれないというのが、今のふたりの関心事。そうと決まると行動に移すのは速かった。ぼくは芋畑の中を走り、ヒロ子さんは畦道を遠回りして走っていった。
その時だった。突然、丘の陰からアメリカの艦載機が飛び出してきたのは...。
機銃掃射。
葬列に従う大人の絶叫が聞こえた。
「おーい、ひっこんでろその女の子、だめ、走っちゃだめ! 白い服はぜっこうの目標になるんだ、・・・・・おい!」
ぼくは、ヒロ子さんが撃たれて死んでしまうのかと思った。すぐに第二撃が来る。
「さ、早く逃げるの。いっしょに、さ、早く。だいじょうぶ?」
ヒロ子さんは、危険を押してぼくを助けに来てくれたのだ。それなのにぼくは白い服を着たヒロ子さんに叫んだ。
「よせ! 向こうへ行け! 目立っちゃうじゃないかよ!」
ぼくは全身の力でヒロ子さんを突き飛ばした。その直後に襲った『強烈な衝撃と轟音』。ぼくは見た ---- ぼくに仰向けに突きとばされたヒロ子さんがまるでゴムマリのようにはずんで空中に浮くのを....。
下半身を真っ赤に染めたヒロ子さんはもはや意識がなく、即席の担架で家に運ばれていった。
ぼくはヒロ子さんのその後を聞かずに町を去った。だって、その翌日、戦争は終わったのだから。
***
それから大学を出て、就職をして、一人前の出張帰りのサラリーマンとして、ぼくは、あの日以来初めて、その海辺の町を訪ねた。
ヒロ子さんがあのまま死んでいたら、ぼくが殺したのも同然という思いに決着を付けられないままでいたのだ。
あの事件のあった芋畑の辺りまで来た時、偶然にもあの日と同じ葬列がやって来た。
棺の上の写真を見るとヒロ子さんによく似た二十代の女であった。その時、ぼくはヒロ子さんが生きていたことを確信する。
葬列に続く子供達の一人にぼくは訊ねる。
「・・・・・・この人、ビッコだった?」
「ううん。ビッコなんかじゃない。からだはぜんぜん丈夫だったよ」
『癒ったのだ! おれはまったくの無罪なのだ! おれの殺人は、幻影、妄想、悪夢でしかなかったのだ』
葬列を前にして、ぼくは不謹慎だったかもしれない ---- 悪夢から解き放たれ、ぼくは青空のようなひとつの幸福に化してしまったのだ。その有頂天さが、ぼくに余計な質問をさせた。
「なんの病気で死んだの?」
子供は、仏さんは気の違ったお婆さんで、川に飛び込んで自殺したのだと答えた。
「お婆さん? どうして。あの写真だったら、せいぜい三十くらいじゃないか」
ハナをたらしたその子供は言う ---- うんと昔の写真しかなかったのだと。
「だってさ、あの小母さん、なにしろ戦争でね、一人っきりの女の子がこの畑で機銃で撃たれて死んじゃってね、それからずっと気が違っちゃってたんだもんさ」
***
やがて、ぼくはゆっくりと駅の方角に足を向けた。風がさわぎ、太陽はあいかわらず眩しかった。
もはや逃げ場所はないのだという意識が、ぼくの足どりをひどく確実なものにしていた。
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“And When I Die” Laura Nyro
FINIS
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