「記事の切り口が甘い」と、その人はデスクによく叱られていた。しかし、その人が三面で担当する町ネタは、女性らしく幾分叙情的なきらいはあったが、とりわけ美文・名文をひけらかすわけでもなく、また奇をてらうわけでもなく、しかし、微妙な雰囲気を書き分けるのには長けていたように思う。
私は、彼女の落ち着いた文体の隠れたファンであった。
彼女が新聞記者を辞めるまでの四年間、職場で私が彼女と会話を交えたのは挨拶以外ほとんどなかったが、私が彼女に親しみを憶えたのは、デスクに叱られている理由が自分の若い頃に言われていたことと似かよっていたからかもしれない。
自分は記者歴を重ね、今は遊軍として、普段は部内で送られてくる記事の整理をしているばかりだが、彼女が小さな文学賞をもらって新聞社を辞めると聞いた時、私は自らの人生の選択を、ある意味、しくじったかなと思わずにはいられなかった。
彼女も私も、新聞記者としては多少、文体に不向きな点があったことは確かだ。自分のスタイルがそれに向いていないと気付くと、早々と記者に見切りを付けた彼女のような勇気が昔の私にあったなら、今頃自分はどんな人生を送っていただろうと、やはり考えずにはいられない。
私は、彼女の文業が成就することを密かに願っている。
社屋のビルの窓から見下ろす皇居のお濠は、秋の夕暮れに、日陰ばかりが青みがかった色に染まりつつあった。程なく、それは肌寒い夜の最初の闇に紛れていくのだ。
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