きみの靴の中の砂

ハーヴェイ君、惨敗

 

 

 東京、19時。
 タワーが間近に見えるホテルの15階のバー "Kangaroo Hop" にぼくはいて、いつものペルノを注文していた。
 実は、このホテルのメイン・バーとダイニングは3階にあるのだが、夜景の美しさと肩の張らない雰囲気が気に入って、ぼくは、もっぱら、このセカンド・バーの方をよく利用していた。

 いつもバー・カウンターの定位置に立ち、国籍は不明だが(恐らくマレーシア界隈か)、ここ数年、都内で十指に入ると噂されるようになったバーテンダーのテリー・Bに、未だたどたどしい日本語で「もしかしたらフランスの方よりも、ペルノがお好きかもしれませんねェ」と感心され、「な~に、ただの通風予防ですよ」などと、この夜も与太な返答をしている時のことだった。
 きわめて目もと涼しい大人の女性がひとり、カウンターのスツールに腰を掛けた。
 テリー・Bと彼女は、お互い既に顔見知りのようだった。
「今夜は、何をお作りしましょう?」
「じゃあ、いつものバラライカを...」

 バーには、時折、多くを語らずともインテリであることを思わせる女性がやって来る。ブランディーをベースにした『サイドカー』などと言わないところが乙に澄ましていて気持ちが良いし、また、ジン・ベースの『ホワイト・レディ』などとカマトトぶらないところにも好感が持てる。
 いつだったか、別の、やはりひとりで椅子に座った大人の女性が「今夜は、もう飲んできたので、一杯だけプリマスをソーダで割って下さいナ」などと言っているのが聞こえてきて、《ああ、やるもんだなぁ》と感心させられたことがあった。
 《そんな飲み方をどこで覚えたのか》、あるいは《誰に教えられたのか》など、なかなか興味が尽きない。

 カウンター越しの大きな窓から望む東京タワーのオレンジ色の夜景をバックに、テリー・Bがバラライカの女性に尋ねた。
「お代わり、いかが致しましょう?」
「じゃあ、今度はハーヴェイ・ウォールバンガーを...」
「はい、かしこまりました」

                    

 "Harvey Wallbanger" は、キャリフォルニアのサーファーが愛飲するカクテル。

 ある日のサーフィン大会で断然優勝候補だったハーヴェイ君は、その日に限って何の手抜かりがあったのか不本意な負け方をした。

 そしてその夜、彼が訪れた馴染みのバーのバーテンダーがハーヴェイの敗戦を慰めがてら、コンペ用に考案中のカクテルを試飲させた。元来カクテル好きなハーヴェイは、それが口に合ったのか、案の定《やけ酒》となり、そのお代わりを続けた揚げ句、「気に入ったら、このカクテルに名前を付けてくれよ」というバーテンダーの頼みも聞けないほどまでに泥酔した。

 その夜、ハーヴェイは、尚も納まらない惨敗の悔しさから「コンチクショー」と叫んでバーの壁を殴り、ふらつく足で帰って行った。それを見ていたバーテンダーが閃めいた。そのとき、世界に名を馳せるカクテル —— 『ハーヴェイ・壁を殴る人』 —— は命名されたとか...。

                    

 今夜は、バラライカの女性のその都会的で垢抜けたセンスについて、つまり《多くを語らずともインテリであることを思わせる》要素について、ぼくは、しばし考えを巡らせるのだった。

                    

【 Harvey Wallbanger recipe 】
Ingredients :
1 oz vodka
1/2 oz Galliano herbal liqueur
4 oz orange juice

Mixing instructions :  Pour vodka and orange juice into a collins glass over ice cubes and stir. Float galliano on top and serve.

 

 

 

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