きみの靴の中の砂

今更ながら気付いたことがある




 殿(しんがり)で戦場を離れ、すでに四十分以上飛行していた。我々より後に友軍機はいないはずだ。
 間もなく我が機動部隊の大艦隊も見えてくるに違いない。

 敵戦闘機の追撃はないものと見て、私は後尾の七ミリ機銃は格納したが、座席は後ろ向きのまま警戒だけ怠らずにいた。
 その時だ、操縦の板垣一飛曹が、十一時方向に友軍機が見えると伝声管で伝えてきたのは・・・。振り返ると、我々の乗機と同じ艦爆(九九式艦上爆撃機)が一機、八百メートルほど離れたところをフラフラと飛んでいる。被弾か故障かは不明だが、気筒(シリンダー)のひとつ、ふたつイカれてしまっているようで、排気管から等間隔で黒煙を吐いているのが確認できる。不規則な発動機(エンジン)音が聞こえてくるようだ。
 私は、板垣に編隊を組んでやれと言って、持参していたライカ(カメラ)で写真を一枚撮った。

 近付いて右舷で編隊を組もうとした時、その機のパイロットが手信号で発動機故障を伝えていた。機速百四十ノットを出すのもやっとのようだ。垂直尾翼の記号と脚覆いの識別帯から、それが五航戦(第五航空戦隊)所属の艦爆二百三号機で、五航艦(第五航空艦隊)二番艦・空母『瑞鶴』搭載機であることがわかる。
 母艦が見えてくるまでの間、その機と編隊を組み、援護しつつ、その後部席の偵察員を見ると、飛行眼鏡をかけたその顔が、やけにまだ子供っぽくて、わたしは息を呑んだ。このハワイ作戦には、少年兵も参加していることを急に思い出して・・・。

 やがて雲の間から鮮やかな航跡を引いて移動する我が艦隊が見えてきた。その円陣の中心に彼らの母艦『瑞鶴』も我が母艦『赤城』もいる。
 彼らは何度も「アリガトウ」の手信号を残し、母艦に向かって緩降下して行った。遂に上空にあるのは、警戒中の零戦二ヶ分隊六機と我々だけとなった。
「オイ、板垣、オレたちの母艦は見えるか」
「中隊長、真下です」
「よーし、着艦だ」
「ハイ」と言うと、板垣一飛曹は操縦桿を押し、機を大きくひねり、母艦に向かってまっしぐらに急降下して行った。

                         *

 着艦後、非戦闘時では禁止されている艦隊上空での急降下をしたため、我々は危険操縦服務規程違反で飛行長から呼び出しを喰らい、こっぴどく怒られたのは言うまでもない。

                         *

 あの日撮影した写真を見て、今更ながら気付いたことがある。
 敵の追尾がないとわかっているにも関わらず、あの不調機の少年偵察員は、あの時、尾銃を上方に指向させたまま、尚も果敢に戦闘態勢をとり続けていたのだ。
 私はその写真を半紙で丁寧に包むと、旗艦に会議でやってきた『瑞鶴』の連絡士官に、艦爆二百三号機の偵察員に渡してもらいたいと言って託したのだった。


FINIS

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