あるブログで『持ち物は、一番好きで使い易いものを揃えるのが大事』という一文をみつけた時、ちょうど傍らに西村書店から出た『作家の家 —— 創作の現場を訪ねて(原書は仏文)』という写真集があった。いつだったかの新聞の書評欄にも採り上げられていたから、すでに全国の公立図書館の棚にはあるはずだ。明治大学の鹿島教授が訳文を監修していて、カバーの折り返しにこんなことを書いている。
文体は作家なり、家も作家なり。
作家の家を見るということは、
作家の作品を読む以上に、
作家の本質に触れるということなのだ。
存命の作家の家や書斎を紹介した本は日欧米とも過去に多くある中、この写真集で採り上げられた作家は、すでに鬼籍に入った作家ばかりで、日本で有名なところをピックアップすると、デュラス、コクトー、フォークナー、ヘミングウェイ、ヘッセ、ロティ、モラヴィア、ディラン・トーマス、マーク・トウェイン、ヴァージニア・ウルフ、イェイッなど...。
創作家が、自分の家、スタジオやアトリエ、著作の私家版、画集や写真集、ブログのホームページやそのタイトルに凝るのは当然のことで、それはすなわち『物を一番好きで使い易いものにする』のと同列のことである。
文章に読点をひとつ加えるかどうかを決めるのに丸一日かけることも同質のこだわりであって、こういったことがないとすれば、人は自分の人生にも拘泥することがない。