二十代の頃、ヴァレリーの『カイエ』に手を出して撃退されたことがある。食べ物で言えば咀嚼できないという以前の問題で、口に入れることすらできなかった。なんと言うか、口にし難い味覚と言うか未知の珍味の類だった。いずれ歳がいって分かるようになったら読もう、とすら思わなかった記憶がある。
ところが、ここ数年前から始めた書庫の整理で、久々に手に取ったカイエが多少は面白いと思えるようになっていた。我ながら不思議な進化だ。
今、その第一巻が机の端にあって、日々、数行ずつ読み進めている。
なるほど『カイエ』は、過去の文学者達が自らの著作に引き合いに出すことがなくても、常識的な教養の一環としてみんなが読んだに違いないというオーラを発している。これは、自称教養人や自称文学者も含め、読む者みんなにとって聖書のようなものかも知れない。通読すると言うよりは、常に傍らに置き、一行一行を精読し、理解に努める書物といった位置づけだ。
カイエ日本語版全集は、全九巻にヴァレリーの五十年分の思索ノートがまとめられている。今のような読み方をしている限り、死ぬまでに読み終えられるはずはない。可能か不可能かという能力的な問題ではなく、人生にその五十年分を読了するに必要な残り時間がない、という簡単な引き算の問題なのである。
【Starship - Nothing's Gonna Stop Us Now】
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