きみの靴の中の砂

7センチの足先





 東京を立つ時、Hotel White Beach という名前に、初めはリゾートらしい、やたらモダンな響きを感じた。しかし、後で聞けば、網元が以前営んでいた白浜荘という鄙びた宿を和洋折衷の小さなホテルに建て替えるに際し改名したというから、古い屋号をただ英訳したに過ぎないようだ。

 浜も白浜とは名ばかりで岩場が多く、海流の浸食で水深は波打ち際から急に落ちみ、それが理由か、浜は全面遊泳禁止になっていた。だから、泳ごうという者は嫌でもこのホテルのプールを使うしかなく、日光浴は浜辺で、泳ぐのはプールでというのがこの場所の作法のようであった。

 かつて半年ほど結婚していたことがあるというマユミさん、つまり、ぼくのガール・フレンドは、ここに来て以来、食事の、その妙な洋風の味付けに飽きたのか、
「何か他においしいものって、この辺にはないのかしら...」とこぼすことしきり。
「ご飯と魚のアラのみそ汁、それに青菜の漬物と塩茹でした蛸の足が7センチもあれば最高なんだけどな」とぼくはプールの白い柵越しに見える隣の民宿の潮焼けした看板を眺めながら言った。
「そうね、そんなのが食べられるんだったら、民宿泊まりも良かったかもしれないわね」と彼女も言う。
 マユミさんもそろそろ、そんな食事に憧れ始めていたのかもしれない。

 日永泳いで昼寝をして、本を読んだり話をしたり、気まぐれに砂丘を歩いたり灯台に昇ったりして過ごした五日目の朝、とうとうぼく達の休暇も終わり、東京に戻る時が来た。

 往路同様、ふたりは、藤枝まで他に乗客のいないバスに揺られた。

 ハマナスの鮮やかなライト・グリーンの葉が両側にどこまでも続く田舎道を、バスは海と平行に長い時間走った。開け放たれた車窓からは、爽かな夏の朝の海風が吹き込んでいた。

「やっぱり蛸の足、食べたかったな...」
 きみは眠るようにぼくの肩にもたれ、つぶやくのだった。




The Hollyridge Strings / The Warmth of the Sun


 

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