文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

SF版『おそ松くん』

2020-01-18 13:47:33 | 第2章

森羅万象あらゆるジャンルから、笑いへと繋がる有効素材を引き出し、独自のドラマトゥルギーを形成し得た長編版『おそ松くん』であるが、意外にも、科学空想的なテーマを打ち出した奇想天外なストーリーも幾つか描かれ、SFというキーワードもまた、『おそ松』ワールドを語る上で、無視出来ない存在だ。

しかし、そのいずれもが、ミュータントとの熾烈な戦いを軸に展開するスペクタルシーンと、常に死と隣り合わせのハラハラドキドキの冒険シーンが連続して織り交ぜられるヒロイックなスペースオペラや、高度な科学文明の発達が人類のカタストロフを示唆する終末論的イマジネーションを身上とした本来のサイエンスフィクションとは対極に立つ、非リアリスティックな悪夢的程合いが濃厚なサイエンスファンタジーであり、形而上学的なSFのドラマ領域を基盤としつつも、直球ギャグで笑いを誘発する、刺激的興奮に満ちたクレージーコメディーとでも形容したい異形の作品ばかりである。

比較的初期に描かれた作品で、タイムトラベルをテーマとした「おそ松くん 石器時代へいく」(「別冊少年サンデー 秋季号」64年10月1日発行)なるタイトルがある。

おそ松達六つ子が、老科学者が開発したタイムマシンに乗って、一〇〇万年前の石器時代にタイムスリップし、驚異の大自然と現代的な文明社会が融合した世にも不思議な原始世界で遭遇するスリリングな異文化体験を、解放感溢れるナンセンスで紡いだ一編で、これはこれで、深い個性を纏った捨て難い作品ではあるが、取り分け、傑作が集中しているのは、地球侵略を企む知的生命体が、おそ松ファミリーが住む街を襲来し、おそ松らが各々結集した叡智(?)で、その侵襲を阻止すべく、エイリアンとの攻防を繰り広げるという一連のフォーマットに導かれし作品群だ。

「テンノースイカばんざいよ」(「週刊少年サンデー増刊 夏休みまんが大特集号」66年7月27日発行)は、日照り続きによる人口増加に悩み、地球を第二の故郷にしようと侵略を企てたスイカ星人達が、種を口にした者をマインドコントロール出来るという不思議なスイカを地球人達に与え、地球を意のままに動かそうとするパニック大作。

「またまたインベーダー来襲」(68年20号)は、やはり地球侵攻を企むエイリアン達が、言葉巧みにおそ松とチョロ松を誘拐し、知的生命体としての地球人の種族レベルを計るべく、彼らに化け、松野家に潜入するものの、松野家の超常ぶりに恐れおののき、地球から退散するという、エイリアンのヘタレっぷりが何とも可笑しい、如何にも赤塚ギャグな秀作だ。

いずれのエピソードも、天文的フィールドを持ち住む知的生命体が、地球人種を取り込み、また研究対象とした際、オーバーテクノロジーに立脚した想像次元など、如何に偏狭で釈然としないものであるかという、行動基準や文化的価値観のズレを然り気無くテーマとして扱っている。

多種多様な価値観こそが社会を支える歯車であり、価値基準の画一化こそが人間文化に破壊を促すクライシスだという明徹な箴言を、SFというジャンルを隠れ蓑にメタファーとして示した最良のエグザンプルと言えるだろう。

「らくがきインベーダー出現」(「週刊少年サンデー増刊 お正月大長編よみきりまんが号」68年1月5日発行)は、不思議なクレパスを譲り受けた六つ子達によって描かれた壁の落書きが、突然生命を宿して壁から飛び出し、六つ子にクレパスを与えた謎の男(実は宇宙人)の指示により、落書き達が地球人を襲うという、『天才バカボン』の左手で描いた漫画(「説明つき左手漫画なのだ」/「週刊少年マガジン」73年48号)や、複数の赤塚番記者に漫画を描かせた『天才ヘタボン』(「ビックリハウスSUPER」77年1月10日創刊号)等、後に迎えるヘタウマギャグにも通ずる、シュールな先鋭的触感と馬鹿馬鹿しいまでの手抜きぶりがクロスオーバーした快作。

『おそ松』ワールドのリアルな住民達と、壁から飛び出して人間を襲う落書き軍団のタッチが全く同一であるというのはご愛敬だが、ドラマ全体を覆う、微妙な味わいを纏ったビジュアル造型が、当時の読者の脳裏に強烈なアフターイメージを残したであろうことは想像に難くない。

精度の高い科学的知見をバックボーンにして試みる未来への外挿や、ドラマティックな悲劇的着想に根差して展開する複雑な物語構成といったジャンル本来のこの上ない趣とは一線を画する『おそ松』版SFであるが、同系種の翻訳パニック小説に有りがちなシンプルなストーリー構造にプロットを委ねつつ、ルーティン化したあらゆるSFの表出概念をメタフィジカルな領域において徹底的に相対化し、シニカルな笑いへと置換してゆくあたりは、反理性、反知性を標榜とするオートマティスムと、ギャグ漫画特有のブラックな遊撃性が相互作用したフットワークの軽さがあり、そこに赤塚ギャグの更なる進化のプロセスを垣間見ることが出来る。

また、おそ松達と極めてナンセンス性の強いエイリアンという『未知との遭遇』そのものが、総体的に明るく乾いた祝祭的スペースを醸成し、落語的な烏滸の笑いから遠く隔たれた『おそ松』ワールドの独壇場である非日常的趣向を、その枠組みの中でよりクリアに露顕させるなど、これらの作品がそれまで描かれた『おそ松くん』のどの傑作エピソードよりも、アンチユーモア漫画の風格を一層漂わせているようでならない。

そういった意味でも、『おそ松くん』にとってSFは、その相乗効果により、作品世界に予想を超えたボルテージを生み出すとともに、独特の世界観を差し迫って深めてゆく極めて相性の良いジャンルであったと言えるだろう。

因みに、「テンノースイカばんざいよ」は、その後タイトルを「スイカの星からこんにちはザンス!」と改題され、1989年の『東映まんが祭り』にて、リメイク版『ひみつのアッコちゃん』を含む当時の人気アニメ、人気特撮とともに劇場公開アニメとして映画化される。

オリジナルには全く描かれなかった、ウルトラマン宜しく巨大化したニャロメとスイカ星人が搭乗する巨大ロボットとの戦闘シーンも登場し、劇場公開アニメならではの迫真的な映像が堪能出来る所謂「原作超え」した密度の濃い二次媒体作品となったことも、この場を借りて記しておく。