文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

パイレーツ『おそ松くん』

2020-01-17 00:51:46 | 第2章

簡潔な筋書きでありながらも、大作に恥じない圧倒的なボリュームと、迫力に満ちたスラップスティック的展開によって、現代に至るまで幅広く愛読されているジュブナイル小説の傑作をパロディー化した作品も、後期『おそ松くん』の特別企画として、僅かながらではあるが、描かれることになる。

その代表的な一編として、ファンの間で定着した感が強いのが、ロバート・ルイス・スチーブンソンの『宝島』を滑稽化したその名もズバリ「パロディー版だよ宝島」(「月刊別冊少年サンデー けっさくゆかい号」66年7月号)であろう。

港町で、レストランを営む松造とおそ松は、食い逃げしようとする男から宝の地図を奪う。

早速、宝島へトレジャーハンティングへと向おうとするおそ松達は、デラックスな船を購入し、乗組員を募集するが、そこに集まったのは、奇っ怪な人物ばかりで、その中には、宝の地図を手中に収め、島に眠る財宝を横取りしようと企てるイヤミ、デカパン、ハタ坊の海賊一味や、見果てぬ宝に目が眩み、おそ松達を裏切ったコックのチビ太が紛れ込んでいた。

謀略と裏切りが渦巻く緊迫状況の中、おそ松達は、一路宝島へと向かうが、そこでは、更なる謎と危険が彼らを待ち受けていた。

松造とおそ松は、無事に宝を見付け出すことが出来るのか……?

一難去ってまた一難という形で、新たな危機が訪れる冒険小説の構成に、ウィットな性質を強めた笑いを共存させつつ、サスペンスの厚みと武勇なロマンを加味し、終盤までドラマを盛り上げてゆく作劇法は、もはや堂に入った感も強いが、読者が作品世界に没頭したとたん、予想外の結末へと逸らしてゆく展開により、肩透かしを喰らわそうとする演出意図を違和感なくドラマに溶け込ませる巧妙さが、それを上回るほどに目を引き、通常のジュブナイル物における便宜的なドラマトゥルギーとは次元の違った、赤塚漫画ならではの超然的な作風へと転化されている。

この「パロディー版だよ宝島」は、その完成度と密度の濃さから、後に一冊の別冊付録(「小学三年生」69年1月号)として再録された際、ザ・タイガースのジュリーこと沢田研二も傑作の太鼓判を押しており、こちらもまた、長編版『おそ松くん』のマスターピースの一本と定めて大過ないだろう。

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この作品の成功に自信を深めたのか、大航海時代終焉のカリブ海域を彷彿させる大海原を舞台としたパイレーツ物の大作が、最末期の『おそ松くん』において描かれることになる。

アケボノコミックス『おそ松くん全集』第22巻の表題作にもなった「キャプテンかあちゃん」(68年15号)がそれだ。

財宝の有りかを記した地図を巡り、争奪戦を繰り広げるキャプテン・カーチャンとハターボ。海船中、宝の地図をハターボ達に奪われたカーチャンは、憤怒の余り、人質として捕らえたハターボの手下の船員に徹底した拷問を与えるなど、ヒステリック且つ冷酷無比な性格ぶりで、その存在はカーチャンの配下であるクルーらからも恐れられていた。

人質に捕らわれたハターボ側の船員の中には、おそ松とチョロ松もいた。

ある夜、敵でありながらも、親しくなったトト子に、おそ松は、自分達六つ子は、赤ん坊の頃、海賊に奇襲され、母親と生き別れてしまい、その母に一目会うために、海賊となったことを吐露する。

それをたまたま耳にしたカーチャンは涙を零す。実は、六つ子の母親こそが、他ならぬカーチャンだったのだ。

敵の人質が、自らの子供だと知るが、結局母親であることを名乗ることが出来ず、そのままおそ松達を人質としたまま、財宝が眠るとされるシコロモ島沿岸で、再びハターボの海賊船を迎え撃つことになる。

しかし、カーチャン側の劣勢は、火を見るより明らかで、遂に火薬庫が炎上。もはやこれまでと観念したカーチャンは、おそ松とチョロ松、そしてその母親を我が手で殺してしまったトト子の三人を船から逃がし、ハターボ・シップの砲弾を浴びる中、カーチャンの船は海の藻屑と消えてしまう。

大ゴマ一面に広がる海賊船同士の熾烈な戦い、人質となったおそ松達が人間砲弾となって、炎上する船から脱出するクライマックスなど、ケレン味たっぷりな見所をバランス良く取り入れ、迫力ある異端の娯楽アクションを総体的に構築しながらも、ドラマの根底に描かれた人間模様は、更にその深みを増してゆく。

歴史のうねりと悲劇の中で、我が子と引き裂かれた母親の子供達への切々たる情愛の高まりが、ワンシーンごとに鮮やかに決まってゆく中、最後に熱い塊となって読者の胸に応え響くこの圧倒的な筆力は、泣かせのタイミングを巧みに捉えており、エンターテイメント性重視の海賊物とは一線を画した、純日本的な湿っぽさとも括れない別の位相さえも湛えた一作へと昇華された。