「週刊少年キング」版の『おそ松くん』とオリジナルバージョンの「週刊少年サンデー」連載版における、両作品の決定的な差異を挙げると、「少年キング」版『おそ松くん』では、イヤミが実質的な主役と化し、チビ太ですらもチョイ役扱い。そして、何よりも顕著であるのが、主人公のおそ松兄弟が全くと言って良い程登場しない点であろう。
冒頭、おそ松がイヤミに「ぼくがさっぱりでないのに おそ松くんなんてひどいよ‼」と抗議をしたり(「デスカバー8ミリ」/72年33号)、イヤミが作品タイトルをジャックし、「イヤミくん」(72年34号)と変更してしまったりと、主人公が全く登場しない漫画としての特性すらも、笑いに転化してしまっている。
ストーリーも、貧乏で常に空腹に苛まれているイヤミが様々なトラブルに巻き込まれる悪状況の中、ニャロメ、目ん玉つながり、オカマのカオルちゃん、ウナギイヌ等、同時期の『天才バカボン』を中心とする他の赤塚作品からゲスト出演したキャラクター達が、ドラマの盛り立て役として絡むというのが、一つの定番であり、イヤミが凶暴なエイリアンに襲撃されたり(「エッチの報酬」/72年40号)、タコやワニといった異形の生物に姿を変えられたり(「南の島でしあわせに」/72年26号、「こわくてかなワニいざんす」/73年34号)、はたまた殺されて地獄に堕ちたり(「イヤミ医院」/72年37・38号)と、倒錯極まりない、シュールでドラッギーな内容が毎回の如く展開された。
また、イヤミに色魔的なキャラクターが付与され、女性の体に迫るなどの下ネタギャグや喫驚や怒髪天を表す表現として、大ゴマを使用したグロテスクな劇画タッチの顔面クローズアップ等の作画が多用されているのも「週刊少年キング」版の特徴である。
この二つの『おそ松くん』の機軸を、赤塚作品のバックボーンとなった喜劇映画に例えるなら、「週刊少年サンデー」版がチャーリー・チャップリンのウェットな人情喜劇の世界観を、「週刊少年キング」版がバスター・キートンのドライなアンリーゾナブルな世界観をそれぞれ踏襲し、作品総体のトーンを構成していると言えなくはないだろうか。
勿論、両作品の作風の違いには、時代の変化というのも、その背景に大きく横たわっているのだろう。
「週刊少年サンデー」掲載時は、高度経済成長が最高潮の時期であり、システム化された現代社会で、子供らしい活発さを失った現代っ子と呼ばれる軟弱な児童が増え始めた最初の時代であったが、当時の子供達は、まだまだ食べ物に対する貪欲な飢餓感があり、チビ太のおでんを六つ子達が奪い合ったり、登場人物が全員、金銭欲の塊だったりと、そういった子供のストレートな欲望がそのままテーマとして成り立っていた。
だが、「週刊少年キング」で連載が始まった70年代に突入すると、当時テレビで爆発的な大ヒットとなった『仮面ライダー』の怪人、戦闘の名場面をプリントしたカードをおまけに付けて売り出した『仮面ライダースナック』を、カード目当ての子供達がカードだけを抜き取り、スナック菓子の方は全て破棄してしまうという事態が全国的に波及するようになり、やがてそれは、教育委員会をも巻き込む社会問題へと発展してゆくことになる。
そう、列島改造ブームに湧く建設需要の盛り上がりと、オイルショックを契機とするインフレ傾向が急激に加速してゆく直前のこの時期、経済発展の捻れの構造は、更に深まり、子供の生活圏内においても、飽食の時代を迎えつつあったのだ。
また、都市の急激な過密によって、都会の子供達の遊びの空間が喪失していったのもこの頃だった。
「週刊少年サンデー」誌上にて『おそ松くん』の連載が終了して、僅か数年しか経過していないにも拘わらず、子供達を取り巻く生活環境には、隔世の感を禁じ得ない。